昨年10月、長野県が長野市内の青木島遊園地の廃止を決定した。遊園地とは称されているものの、スプリング遊具と鉄棒のほか目立った遊具もない、ごく普通の公園である。ところが廃園が報道されるやいなや、全国からの視線を集めることとなってしまった。
原因は騒音トラブルだったという。同遊園地は児童センターや保育園等に囲まれており、長年にわたり、一部住民から「子どもたちの声がうるさい」との苦情が寄せられていた。存続を求める声も上がったが、同遊園地は借地で、さらには管理の担い手もいないことから県は4月末での廃止を決定。この決定が一部住民の声が公園を廃園に追い込んだように見え、日本中から注目されることになってしまったのだ。
音の公害には「騒音」と「煩音」の2つがある
「音の公害には『騒音問題』と『煩音(はんおん)問題』がありますが、この問題は後者でしょう。自治体は騒音に対しての防音対策はしていたでしょうが、煩音対策はできていなかった。それが、廃園という声が出るまで問題をこじらせた根本の原因だったと思います」
こう語るのは、騒音問題ジャーナリストで騒音問題総合研究所代表の橋本典久さんだ。
「煩音」とは40年以上にわたって騒音問題を研究してきた同代表が作った造語だというが、2つの違いを橋本代表はこう語る。
「騒音は音が大きくてうるさく感じるものを言います。一方、煩音は、音はそれほど大きくないものの、相手との人間関係や心理状態によってうるさく感じてしまうもの。なぜ2つに分類したかというと、対策方法がまったく異なるからです。煩音対策の場合は、防音よりも人間関係の改善のほうが重要なのです」(橋本代表)
煩音に防音対策は逆効果!
「騒音」の場合、何よりも有効的なのは音を小さくする防音対策だ。植栽を設けたり、防音壁を建てるのがこれに当たる。一方「煩音」の場合、こうした対策はほとんど効果を発揮しない。それどころか逆効果になりかねないと、橋本代表は語るのだ。
「騒音の苦情が出ると、言われたほうは費用をかけて騒音対策をします。例えば敷地の境に塀を立てるなどです。すると加害者側に“お金をかけて騒音対策をやらされた”という被害者意識が生まれます。さらには、“これだけ騒音対策をしてやったんだから満足しろよな!”という感情まで芽生えてしまう。
一方、苦情を申し立てた被害者も、騒音対策で多少、音は小さくなってはいても相手への不快感は拭えていない。そこに、“してやった”と来られると、音がさらに大きく、不快に感じられてしまう。双方とも、感情がエスカレートしてしまうのです」(橋本代表)
前述した青木島遊園地の問題について長野市が昨年12月28日に公表した『青木島遊園地の廃止を判断した経緯について』を見てみると、行政は植栽の追加や出入り口の変更、遊具の移設等、さまざまな「防音対策」を行っている。だが、苦情を申し立てた一部住民との関係改善、すなわち「煩音対策」を図った形跡は見られない。
「音の公害の場合、それは騒音問題なのか、あるいは煩音問題なのかを見きわめ、煩音問題であったとしたら、やるべきことは相手との人間関係の改善なのです」(橋本代表)
防音でなく、相手との関係づくりに注力を
橋本代表いわく「この時代、音の苦情を言われたら、それは煩音と思ったほうがいい」。
人里離れた場所に建つ「ポツンと一軒家」でもない限り隣人は必ずいるものだし、子どもは遊んで騒ぐのが仕事のようなもの。
では、そんな現実の中、煩音でトラブルにならないためにはいったいどうすればいいのか?
「初期対応、つまりは挨拶とルールづくりが何よりも大切です。小さな子どもがいるのなら子どもを連れて挨拶に行き、“夜の●時以降は騒がせないようにしますが、粗相があるかもしれません。その場合はどうかご勘弁を”と挨拶するだけでも効果があります」(橋本代表)
ちなみに橋本代表によると、長い期間、空室だった部屋への引っ越しは格段に注意が必要とのこと。
「今までずっと静かだった空間に突如として音が発生するわけです。誰であっても面白いわけがありません。夜間のちょっとした音や許容範囲内の音であったとしても、下階に住む人には煩音になってしまいかねません」(橋本代表)
苦情を言われたら、その瞬間が相手との人間関係づくりのスタートと思うべし。挨拶はもちろん、立ち話など、日ごろから意識してコミュニケーションを取るようにしたいと橋本代表。
「常にあなたの存在を気にかけています」といったコミュニケーションが有効だ。
ちなみに煩音問題は個人対個人はもちろん、公共施設等がその解決に長年頭を抱えている問題でもある。こうした公共施設では、どうやって煩音問題を解消しているのか?
橋本代表によれば、例えばテニス部の練習が「うるさい」との苦情を受けた山形県の高校では、生徒が冬場、近所の雪かきボランティアを申し出た。ある保育園では年末になると餅つき大会を行い、近隣住民を招待するとともに、来られなかった住民には後日、園児が餅を持参したという。
前者のボランティアでは多くの高齢者から感謝の声が殺到、同時に苦情がピタリとなくなった。保育園の近所でも、年末の餅つきを楽しみにしているとの声が上がっているという。
「雪かきボランティアしかり、餅つき大会しかり。施設対個人でも個人対個人でも、こうした地域コミュニケーションのあるなしが、煩音問題の分かれ道になるのです」(橋本代表)
騒音による殺人事件は年間50〜60件も
さて4月。異動や転勤で引っ越しをしたり、これから予定している読者もいるに違いない。
コミュニティの新人として挨拶をし、迷惑をかけない生活を心がけても、それでも煩音問題が発生してしまう場合がある。
「こうした場合、日本には解決のためのシステムがないのが問題だと思います」(橋本代表)
ちなみに米国にはNJC(Neighborhood Justice Center)、日本風にいえば「ご近所トラブル解決センター」ともいうべき存在がある。これは当事者2人とボランティアによる調整人2人参加の計4名で行われる無料の話し合いシステムで、煩音トラブルをはじめ、さまざまなトラブル解決の手助けになっている。
「ところがこうしたシステムがない日本では、煩音トラブルがエスカレートした場合には、どちらかが引っ越すしか手の打ちようがないのです」(橋本代表)
橋本代表によると、マンション等での煩音トラブルは「4点セット」と呼ぶ(1)〜(4)の段階を踏んでエスカレートしていくという。
「煩音が生じると、(1)被害者はまず管理組合に苦情を言います。組合は“騒音注意”の張り紙こそしてくれますが、それ以上はしてくれません。(2)すると今度は被害者が行政に相談するものの、行政は“苦情が来ています”等の注意ぐらいでやはり何もしてくれない。(3)困った被害者は警察に相談しますが、こうなると、それまで多少は気を遣っていた加害者側にも、被害者への敵意が生まれます。“そこまでするならこっちも気なんて遣うものか!”となり、解決したいとあがけばあがくほど、関係がますます悪化していくのです」(橋本代表)
(3)の段階まで行くと今度は、(4)被害者側が被害の記録を取り始める。
「深夜の何時まで音がしていた、何デシベルもあった等々で、お互いますます敵意を募らせることになってしまう」(橋本代表)
こうなってしまったら訴訟までは時間の問題だが、裁判に勝ったとしても手にできるのはよくても数十万円程度。弁護士費用にもならないし、被告側も原告側も、顔を合わせて住み続けるのも難しくなる。賃貸ならば引っ越せばいいが、分譲だったら目も当てられない。
ちなみに橋本代表の調査によると、騒音による殺人事件は年間およそ50~60件で、傷害事件はその30倍に上るという。問題発生から2~3年、早いと3か月半ほどで事件までステップアップしているというから恐ろしい。
「私は常々、“騒音問題は消火設備(NJCのような解決システム)がない火災”と言っています。だからこそ、煩音対策には初期消火が大切なのです。
怒りに対して怒りで応えれば双方に悪意が芽生えるだけ。苦情に対してはまず心を開いて受け止めて謝り、気をつけながら個人的にも仲よくなることを心がけましょう。そう思っていれば、関係悪化がエスカレートすることはありませんから」(橋本代表)
(取材・文/千羽ひとみ)
〈PROFILE〉
橋本典久(はしもと・のりひさ)
騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授。福井県生まれ。東京工業大学・建築学科卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に『2階で子どもを走らせるな!』(光文社)、『苦情社会の騒音トラブル学』(新曜社)、『シニアのための海外自転車ツーリング講座』(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞等受賞。米国への現地調査後、わが国での近隣トラブル解決センター設立を目指して活動中。