「ゲーム」をスポーツとしてとらえた競技の総称である「e-Sports」。2025年には国内のファン数(観客動員数など)が1200万人を超えることが予測されているが、シーンの盛り上がりに欠かせないのが、ゲームの実況と解説を行う「ゲームキャスター」の存在だ。
取材を行ったのは、ゲームキャスターとして活躍されるOoodaさん。前編ではゲームキャスターになる前のOoodaさんのお話を聞かせてもらった。
【前編→『VALORANT』国際大会、日本開催が決定!ラッパー、映画監督を目指していたOooDaさんが”ゲームキャスター”という職業の第一人者になれた理由】
キャスターになる前の自分を「いろいろなことから逃げてきた」と語ったOoodaさんが “本当に好きなものを続けた”先に感じたこととは。後編である今回は、歴史的快挙となった日本代表チームの躍進と、FPSゲーム『VALORANT』公式大会発表時に見せた涙のワケ、FPSシーンを引っ張ってきたOoodaさんのこれからについて伺った。
「ゲームが仕事になる」の歴史
──今はe-Sportsってオフラインのスポーツとの垣根がだんだんなくなってきていますが、10年くらい前は「ゲームばっかりやっちゃダメ」という風潮でしたよね。OooDaさん自身が逆風のようなものを感じたことはありますか?
「う~ん、僕はなかったですが、選手のみんなはあったでしょうね。昔はゲームで食っていくということが成立しなかったので親にも反対されたでしょうし。バイトしながらゲームするのも後ろめたさがあったかもしれません。
でも今はプロチームができて大きなスポンサーがついて、世界大会も増えました。それとSNSや配信媒体ができて稼げるようになった。だからだんだんと“ゲームで飯を食っていく”って言いやすくなってきましたよね」
──この流れは急速に来ましたよね。最初にプロゲーマーという職業で活動したのってどなたなんだろう……。
「はじめは格闘ゲームの梅原さん(※)だと思いますね。その後、2000年代末にシューティングゲームでプロチームができました。当時は大会もいくつかはありましたけど、優勝しても賞金は出ず、粗品が配られるという感じでしたね。そのくらい予算がなかった。
2013年くらいからプロチームが増えてきたんですけど、そのときはまだフルタイムでお金を払うことはできなかったと思います。最初にフルタイムで選手を雇用して給与を支払ったのはDetonatioN(現・DetonatioN FocusMe)というチームでした」
※梅原大吾:1990年代より主に2D型格闘ゲームであらゆるタイトルを獲った、世界的に有名なプレイヤー。
──OooDaさんはDetonatioNとは関わりがあったんですか?
「僕も創設した1年目のときはDetonatioNに在籍していましたね。実況だけでなく、練習に混ぜてもらったり、スポンサーに営業したり……いろいろ協力していました」
──プロとしての最初の世代ですね。
「そうですね。DetonatioNが転機になって他のチームもプロゲーマーにフルタイムで給与を支払うようになり、だんだんとプロゲーマーという職業が確立されたのかなと。その時期に創設したチームが今の状況を牽引しているのは間違いないです」
──まさに当時のメンバーが今の日本のe-Sportsの基盤を作ったわけですよね。ただ黎明期である当時は、資金的にも恵まれた状況ではなかったと思います。
「そうですね。今ほど一般企業のスポンサーは獲得できなかったです。当時はゲームの大会とシナジーのあるPC周辺機器・マウスのメーカーに必死に営業をかけてスポンサーになってもらったり……。チームオーナーの方々の“ゲームを広めたい”という愛がすごかったんだと思いますよ。
そこからYouTubeなどの配信プラットフォームができて、一気に“ゲーム配信”という文化が浸透していくんですけど、これが大きかったです。広告効果としての価値が生まれたので、スポンサーの数も増えて大会のサイズもデカくなっていきました」
──その流れと比例してOooDaさんのお仕事も大きくなっていったと思いますが、キャリアとして転機となった仕事とかありますか?
「それはもう2017年に出たPUBG(※1)一択でしょうね。当時、PUBGはFPSゲーム(※2)としては世界中で圧倒的に人気でした。“PUBGによってFPSの知名度がいち段階上がった”ってくらいのインパクトがあったと思います。“PUBGがきっかけでPCを買った”という方もたくさんいますしね。今はたくさんのファンがいるSHAKAさんや関優太さんといった配信者の方もPUBGで人気が爆発した。僕としてもPUBGの大会で実況させてもらえたのは、大きなステップアップでした」
※1 PUBG Studiosからリリースされている韓国のバトルロイヤルゲーム。2023年4月現在、販売本数は世界5位という大ヒット作。
※2 ファーストパーソン・シューティングゲームの略。一人称視点で戦うゲームの総称。
──発売当初からPUBGの日本チームは世界大会に出ていたんですか?
「もちろん出ていましたが、いい成績を残せていなかったですね。やっぱり海外のチームは強いんです。僕も本当に“悔しい”と思い続けてきました」
──日本チームがPC版FPSゲーム分野でなかなか勝てなかったのはどうしてなんでしょう。
「単純に日本は遅かったんですよね。海外チームは日本でe-Sportsが盛り上がる何年も前から、フルタイムでプロゲーマーに給与を支払い、育成する環境がありました。日本はここ3年くらいでようやく追いついてきたかな、くらいで」
──そうなんですね。日本はどうして遅れをとったんでしょう。
「いろいろと要因はあると思いますが、ゲーム人口が少ないからだと思います。例えば日本だと任天堂やソニーなどのハードウェアが広まってますよね。だから『ストリートファイター』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』は子どものときからみんなやると思うんですよ。すると自然と切磋琢磨できるから、日本チームって世界トップクラスで強いんです。
でもPC上でチームを作ってみんなで遊ぶ文化って、日本だとまだ少ないですよね。一方で海外では子どものころから普通にPCでゲームをしている。だから日本ではプロ選手の育成が遅れたんじゃないかな」
遅れをとっていた日本チームが世界3位まで躍進
──おもしろいです。ゲーム大国の日本ならではの現象かもしれません。ただ、そんな中2022年に日本代表チームの「ZETA DIVISION」が5対5のFPSゲーム『VALORANT』の世界大会で3位になりました。
「いやぁ、もう大事件でしたね。5対5で戦うVALORANTのような競技は日本チームはずっと勝ててなかったんです。そんななかでの3位だったので、僕も感動しました。
メンバーの苦労も知っていたので、いろんな思い出がフラッシュバックしてきて、グッときましたね」
──選手への思い入れが深いのは、近くで実況し続けているOooDaさんならではの感情ですね。
「そうですね。僕も日本国内の大会からずっと実況をしていて、代表として海外に出て行って一矢報いてほしいと思いつつ、無残に散っていく姿を見てきたので……。
他のスポーツと違って、e-Sportsって違うゲームタイトルの選手になることもあるんですよ。ZETA DIVISIONのメンバーのなかには、VALORANTの代表になる前に他のゲームの選手だった人もいるんで“やっと報われたな……”と、個人的にも感慨深かったです」
──プロゲーマーのキャリアの中で、扱うゲームが変わることもあるんですね。
「そう。この点もe-Sportsのおもしろい部分ですね。例えば野球選手ってずっと野球のプレイヤーじゃないですか。ただ、e-Sportsってゲーム自体の人気が下がると、大会が開かれなくなるんですよ。
その場合、選手は別のゲームのプレイヤーになります。わかりやすく極端な例を挙げると、『スーパーマリオ』の日本代表の選手が、ある日『ポケモン』のプロ選手になるみたいな。
いま『VALORANT』で活躍している選手も、5年くらい前は別のゲームタイトルでスターだった子たちなんです。その時期から僕は見てきて、みんなのバックボーンも知っています。だから余計に感情が入っちゃいますね」
──なるほど。感慨深いですよね。
「いま世界で活躍している選手とか、その子たちが15、6歳くらいのころから知っているんですよ。だからもう感覚としては“教え子が卒業して社会で活躍しているのを見る担任の先生”みたいな(笑)」
──(笑)。ZETA DIVISIONで特に思い出深い選手はいますか?
「そうですね~。ぶっちゃけ全員ですよ。でもひとり挙げるとしたら……特にLaz選手ですかね」
──Laz選手にはどんなバックボーンがあるんですか?
「彼はVALORANTをプレーする前は、あまり人気のないゲームで日本No.1の選手だったんです。
すごくうまいし、めちゃくちゃ努力するんですよ。でもゲーム自体が世間的に流行(はや)っていないので、ファンも視聴者も増えなくてゲームだけではご飯も食べられない。すごく苦労していた中で、人気のある『VALORANT』に移って、ZETA DIVISIONという大きなチームに入って、大きく成長した選手なんです。
世界3位という結果も出して、今は一気にファンを獲得したんですよね。すごくカッコいいですよ」
──めちゃめちゃドラマティックですね。
「他のメンバーも含め、ZETA DIVISIONって苦労していた時期が長かったんですよね。“ここまでやったし、今年ダメだったらもう解散するか”みたいな話もあった」
──ちなみに直前まで、日本チームは世界に迫るほど実力がついていたんですか?
「いや、もう全然でしたよ。半年前の大会とかではボロボロだったんで、急に3位になったっていう感じで」
──そこがまたおもしろいですよね。なぜ急に強くなったんでしょう。
「いろんな要因があると思いますが、いちばんはチームの実力が伸びたんだと思いますよ。日本のVALORANTのプレイヤー人口が増えて、より切磋琢磨できる環境になったのもありますし。
それとe-Sportsのおもしろいところで、ゲームの運営側が定期的に機能のアップデートをおこなうので“キャラクターの強さ”や“戦うフィールドの特徴”が変わったりするんですよね」
──メタ的な部分というか……野球でいうと「ボールの大きさ」とか「ストライクゾーン」が変わるみたいな感じですね。
「そうですそうです。そういった変化も追い風になった部分あるんじゃないかなと思いますね。だからひとつの大会で好成績を残しても、決して油断できないんですよ。そこもe-Sportsならではのおもしろいポイントですね」
VALORANTの世界大会が日本で開催決定
──そんな活躍もあって、ついに2023年12月にVALORANTの世界大会が日本で開催されることが決まりました。横浜アリーナで発表された際、OooDaさんがステージ上で号泣されていた姿が印象的でしたね。
「今までカメラの前で泣いたことはなかったんですけどね(笑)。
実は配信で実況をしているときも、選手の悔しそうな顔などを見て感極まって泣いてしまうことはあるんですよ。でもキャスターとしてちゃんとしなきゃいけないので、カメラが戻ってくる前に泣き終えて、感情を押し殺して喋っているんです。
でもあのときはステージ上だったし……我慢できなかったですね。横浜アリーナにいっぱいのお客さんがいて、ドカーンと盛り上がっているのを見て、自分を含めてFPS界隈のみんなが苦労してきた思い出が一気にフラッシュバックしました」
──どんな思い出が蘇ってきたんですか?
「僕がバイトをしながらキャスターをしていたころって、海外では既にデカい会場で大会が催されていて、選手のパフォーマンスを実況が伝えて、いっぱいのお客さんで大声を出して盛り上がっていたんですよ。
それを5人くらいの小さいコミュニティで実況してなかった当時の僕は配信で見ていました。それで“いつか日本で大きな大会が開催されて、日本チームが活躍して、みんなで盛り上がれたらいいな”って思ってたんですよね。
横浜アリーナの大歓声を聞いた瞬間に、その夢がぶわぁっとフラッシュバックしてしまって……。“ついに現実になったんだな”って。必死に耐えようとしましたけどね。ダメでした」
──OooDaさんと同じく、昔から日本のFPS界隈をリードしてきた岸大河さんも「頑張ってきてよかったな」と号泣されていました。
「そうですね。本当に僕らは各ゲームタイトル、選手たち、運営の皆さんに夢を見させてもらっているな、と思いますよ。
だって、大阪でも東京でも引きこもってゲームばっかりしてた僕が、横浜アリーナ・さいたまスーパーアリーナのステージで喋らせてもらってるわけですからね。これは現実なのかっていう……。いろいろと逃げてきた僕ですが“本当に好きなもの”って続くんだな、とあらためて感じますね」
──それは本当にOooDaさんが自分に正直に好きをまっとうした結果ですよね。日本でここまで急速にe-Sportsが浸透したのは、選手の皆さんはもちろんですが、キャスター陣の方が熱量を持って伝えてくれる点が大きいと思います。
「そう言っていただけるとありがたいです。これからも“ゲームって見るのもやるのも楽しいよね”ということを楽しみながら伝えたいですね。選手の“勝ちたい、戦いたい”という”熱”を視聴者の方と共有できたらと思います。
その結果、いつか野球やサッカーのようなメジャースポーツと同じようにe-Sportsを多くの方に知っていただけたら嬉しいです。もっともっと盛り上がっていくと思いますので、普段はゲームをしない方にも、ぜひ見てほしいですね」
(取材・文/ジュウ・ショ、編集/FM中西)