2005年ごろからメディアで注目を集めはじめ、世間に知られるようになった「メイドカフェ」。可愛らしいメイドさんが「お帰りなさいませ、ご主人様」と迎えてくれる点で、ただの喫茶店ではない。かといって、キャバクラほど距離が近いわけではない。そのユニークな形態は主に東京・秋葉原(通称:アキバ)を代表するカルチャーとして君臨するようになった。
今やメイドカフェは多様化しまくり、「コンセプトカフェ(通称・コンカフェ)」という大きなくくりにまとめられるようになった。コンカフェは、簡単に言うと「特定のテーマを取り入れ全面に押し出すことで、他店との差別化が図られたカフェ」を指し、メイドはもちろん執事、忍者、動物系、文学、男装などさまざまな種類が存在する。そんなメイドカフェ・コンカフェに20年以上通い続けており「コンカフェ研究家」として数々のメディアから取材を受けているのが、ふゅーちゃーさんだ。
ふゅーちゃーさんは、どんな人生を送った結果、研究家になったのか。また、20年前を知っているからこそ分かるメイドカフェ、コンカフェの面白さとは? 幼少期からの生涯を振り返りながら、存分に語っていただいた。
古参コンカフェ勢は気づく「ネット掲示板とコンカフェとの共通点」
──SNSで「〇〇系でおすすめのコンカフェ教えてください」などの質問に対して、ふゅーちゃーさんが「〇〇っていう店がおすすめです」と当意即妙に答えているのを見ていました。それで「この人の“コンカフェデータベース”やばすぎ……」と気になってて(笑)。
「いやいや。やっぱり僕を頼って質問をしてくれる人がいるとうれしいですし、おすすめの店舗はどんどん広めていきたくなりますね。コンカフェを紹介することで僕のアイデンティティを満たせてるのでWIn-Win(ウィンウィン)です」
──ちなみに、これまでに何店舗ほど行かれたのでしょうか。
「えー……もう正確な数字はぜんぜん分かんないんです(笑)。ただ、国内外を含めて100店舗以上は行っているかと……。中国や上海のコンカフェにも行きました」
──とんでもない情報が脳内にあるわけですね。今日は「どんな人生を送ってきた結果、人はコンカフェ研究家になるのか」を解読したい。そのためにふゅーちゃーさんの人生について伺います。小学生のころって、どんなお子さんだったんですか?
「そうですね。小学校低学年のころは、ひとりで黙々とガンプラを作っているような子でした。学校が私立で家から遠かったんで、近くに遊べる友だちがいなかったんですよね。だからずーっと、ひとり遊びです」
──「ひとりで黙々と好きなことをやる」という姿勢に、ほんのり“オタクみ”を感じます(笑)。
「オタクでしたね。親の仕事の都合で小学3年生くらいのときに海外に引っ越したんですけど、僕は海外でもガンプラを作っていたんですね。小学校高学年のころに帰国したんですけど、もうみんなガンプラ作りは卒業してて……。でも、僕は依然としてガンプラを黙々と作り続けているわけじゃないですか(笑)。そのときに、”あぁ、自分はオタク寄りなんだ”と」
──もう浦島太郎ですよねコレ。「海から上がったら自分だけオタクだった」みたいな。当時、ガンプラ以外にハマっていたことはありましたか?
「あとはパソコンですね。30年以上前ですけど、父親の仕事の関係で幼稚園のころから家に『MSX2』っていう規格のPCがあったんですよ。そのあと、小学生のころに初期の『Mac』がやってきてからはパソコンに興味が出てきて、秋葉原で周辺機器を買っていました」
──子どものころから秋葉原に通っていたんですね。
「そう。そのころはまだ“萌え文化”なんてなくて、“秋葉原=PC街”って感じでしたけど。
で、小学校6年生のころからインターネットの掲示板でインターネットの住民たちと交流するようになりました。帰国しても近くに友だちができなかったので、“ネット民”と交流するわけですね。ちなみに『ふゅーちゃー』というハンドルネームはこのころから使っています」
──SNSができるより、まだぜんぜん前ですよね。
「はい。母親に“ネットはしてもいいけど、相手が誰だか分からないから現実の話はするな”と言われていました(笑)」
──当時は今に比べてセキュリティも弱いし、インターネットに対しての恐怖感も強かった。
「そうですね。なので自分のなかでは“ふゅーちゃー”という存在は、完全に別人格としていました。もちろん僕自身ではあるのですが、どこか架空のキャラクターというか……。だからハンドルネームを名乗るときは、現実の私の話はしない。これは、ほかのネット民も同じだったと思いますよ」
──なるほど。今のSNSではプライベートな投稿が主だと思いますが、当時は別世界として楽しまれていたと。
「そう。いま話していて思ったんですけど、“掲示板でのコミュニケーション”と”コンカフェでの交流”ってすごく似てると思います。コンカフェ仲間やキャストの女の子と接するときは、お互いにプライベートの話はしません。周りも本名は名乗らないし、詮索もしない」
──いやこれ、マジで超面白いですね。「インターネット掲示板」と「コンカフェ」には「自分のリアルな姿を明かさない」という共通点がある。
「そう。コンカフェって基本はコンセプトがあって、例えば、キャストの子も人間じゃなくて妖精とか魔法使いだったりする。三次元の世界と明らかに区別してるんですよね。
ガールズバーやキャバクラと違って、基本的には連絡先の交換もしない。お客さんも同伴できないし、恋愛感情に発展することは少ない……ぶっちゃけ、最近はちょっとグレーなお店もあるんですけど(笑)。
それでも“夜のお店”とは違って、コンカフェでのキャストさんとのやり取りって、現実世界での恋愛というよりは、“架空のアニメキャラを推す”っていう感覚に近いんですよね。このリアルすぎない空気感が、インターネット掲示板の空気に似ていて心地いいんだと思います。同じ感覚を覚えている同世代のオタクも多いんじゃないかなぁ」
メイドカフェの源流は「恋愛シミュレーションゲーム」と「ファミレス」
──その後、中高と進んでいくわけですが、そのころは何か熱中していたことはありましたか?
「中学生のころに恋愛シミュレーションゲームにハマってましたね。当時、はやっていたっていうこともあるんですが、中学が男子校だったので、思春期だというのに校内でのロマンスは起こらなかったんですよ(笑)。だから代わりにゲーム内で女の子を攻略していました」
──中学生のころはネット民たちとの交流は続いていたんですか?
「はい。『センチメンタルグラフティ』というゲーム(※)のインターネット交流所にいました。ここで先輩方に“メイド”を教えてもらいましたね」
(※ゲーム内で美少女キャラクターとの恋愛を楽しむシミュレーションゲーム)
──お、ここでメイドが登場するんですね。でも「メイドカフェ」が誕生するより、かなり前ですよね?
「そうですね。1990年代末です。そのころ“可愛いメイドさんが出てくる恋愛シミュレーションゲーム”がちょっとしたブームで、先輩たちに教えてもらったんですよ。これが最初にメイドという存在に出会ったタイミングでした。
あと、もうひとつ教えてもらったことがあって。それが“ファミレス”です」
──え、ファミレス……ですか?
「高校生のとき、“制服が可愛いファミレス”が近くにいくつかあって。『アンナミラーズ』とか『ブロンズパロット』とか……。そこに通って店員さんを眺めていました」
──えぇ~、めっちゃ面白いです。これ、まさにメイドカフェの源流というか……。ゲーム内でメイドさんに憧れても、リアルにはいない。それで“制服が可愛いファミレス”が代替品になったわけですね。
「そう。アレですよ。僕は当時コーヒーが飲めなかったんですけど、アンナミラーズはコーヒーだけお代わり自由だったんです。高校生なんで、お金ないじゃないですか……」
──(笑)。苦手なコーヒーで無理やり粘っていたんですね。
「そう。アンナミラーズはけっこう早いタイミングで店舗を縮小しちゃって。僕らのせいじゃないかって。さすがに冗談ですけど(笑)。
そんな時期にコンカフェ史として重要な出来事があって、1997年に『Piaキャロットへようこそ!!2』っていうゲームが出たんですよね。ファミレスを舞台に、主人公と幼なじみの女の子との恋愛を描いた作品なんですけど。これが人気になって、1998年の東京キャラクターショーで、キャラクターコンテンツ業者の株式会社ブロッコリーが、作中のファミレスとコスチュームを再現した模擬店舗を作ったんです。
それが好評で1999年、秋葉原に『Piaキャロレストラン』っていう店舗ができたんですよ。今の『ガチャポン会館』があるところですね。期間限定でしたけど、この店舗がメイドカフェ・コンカフェのスタート地点だといえます。
私も当時、高校生ながら通っていました。『Piaキャロットへようこそ!!』の世界観が、もうそのまんまリアルに反映されていて、“すげぇ可愛いなぁ”って」
──知らなかった。コンカフェの源流は恋愛シミュレーションゲームにあったんですね。
「もとをたどればそうですね。で、ブロッコリーは『Piaキャロレストラン』のあとに『Cafe de COSPA(カフェ・ド・コスパ)』っていうコスプレ喫茶を出すんですけど、これが1年くらいで潰れちゃうんですよ」
──あらま。意外でした。てっきり波に乗っていくのかと。
「今だから分かるんですけど、いろいろ問題があったんです。今みたいに“1時間〇〇円”みたいな仕組みじゃなかったから、ドリンク1杯でずーっといられたんですよ(笑)。それと、ぶっちゃけコンセプトもブレていたので、リピーターを獲得しにくかったと思います。これを言っちゃうと、叩かれるかもしれないですけど(笑)」
──黎明期ならではの苦労というか……。
「そうですね。この流れで2001年に初のメイドカフェ『Cure Maid Cafe(キュアメイドカフェ)』ができて、このときに混雑時時間制のシステムができた。そのあとにメイド居酒屋としても楽しめる『ひよこ家』とか、『電車男』にも登場した『ぴなふぉあ』といったメイド喫茶が増えていくんですよね」
──なるほど~。すごくエキサイティングな時期の秋葉原を体験していらっしゃったんですね。
「僕がコンカフェ研究家として胸を張って言えるのは“Piaキャロレストラン時代から常連だった”ということ(笑)。高校生の多感な時期と、メイドカフェの黎明期が重なったのは“コンカフェ研究家”になるうえで大きかったと思いますね」
「帰国したら秋葉原が変わっていた」 喪失を経験したからこそ沼にハマる
──このあと、2004年に『@ほぉ~むカフェ』ができて、同年から2005年の「電車男ブーム」がきて「萌え~」が新語・流行語大賞トップ10に入ります。「メイドカフェ」という言葉が世間に知られることになりました。
「そうなんですよね……。ただ、実はその時期に海外の大学に進学したので、日本にいなかったんですよ」
──え!
「そう。メイドカフェがいちばん盛り上がっていたときを体験していないんです。だから、こうしてメディアに取り上げていただくときに、古参のみなさま方から、“おまえがコンカフェを語るな”とお叱りを受けることもあったり(笑)」
──古参怖え(笑)。じゃあ「帰国したら世界が変わっていた」みたいな感じですよね。浦島太郎アゲイン……。
「はい。帰国したら秋葉原が変わっていて(笑)。なんか、めちゃくちゃ悔しかったんですよね。嫌じゃないですか。自分たちの“居場所”だったのに、いつの間にかいろんな人が出入りしてるのって。あと……ほら、オタクってマウント取ってくるじゃないですか(笑)。それがホント悔しくて。
だから帰国してすぐ、メイドカフェに行きまくりました。もう、いろんな店舗の情報をキャッチアップしまくった時期ですね」
──なるほど。そこで「喪失」を経験したからこそ、取り返すべくさらに沼にハマっていくんですね。それで今日までコンカフェにハマりきり、いつの間にかコンカフェ研究家となった、と。
「そうなんですよね。個人的には2019年に結婚して、2021年には子どもができました」
──いや、ソレですよ(笑)。以前にご出演されたABEMAの番組のなかで「妻と子どもがいます」とおっしゃったとき、マジでびっくりしました。それでもコンカフェ、メイドカフェに行く理由はどこにあるのでしょう。
「いや、もうぶっちゃけ、やめたいんですよ(笑)。だって人の親ですからね……。だから最近じゃ、コンカフェに行って“俺を出禁にしてくれ”って(笑)」
──(笑)。
「……というのは、まぁ冗談ですけど、ずっとハマり続けられるのは“コンカフェにはストーリーがあるからだ”と思ってます」
──ストーリーですか。
「そう。コンカフェってお店にも界隈にもストーリーがあるんです。
例えば最近だと、歌舞伎町のコンカフェ界隈がおもしろい。2021年と2022年に『舞舞悪魔(まいまいでびる)』と『Royal Melt』っていうお店が注目を集めたんですよね。この2店舗ってルーツが一緒で、もともと歌舞伎町の人気コンカフェ『みらいぷらんと』のキャストだった方が独立して始めたお店なんですよ」
──お、なんか面白そう。
「『みらいぷらんと』側としては、後発に話題を持っていかれてしまったわけじゃないですか。“どうするんだろ”と思っていたら、“天下のみらいぷらんとが歌舞伎町を水色に染める”ってTwitterで発表して、総工費5000万円以上をかけて新装開店すると宣言したんです。
そのツイートに『舞舞悪魔』側が、“歌舞伎町スプラトゥーン(※)かな? 一緒に盛り上げましょう”って。それでオタクたちは、“水色のみらいぷらんと、白のロイヤルメルト、ピンクの舞々悪魔、三つどもえの歌舞伎町スプラトゥーンが始まった!”と(笑)」
(※スプラトゥーン:任天堂のゲームタイトル。チームにわかれて自軍の色を塗ることで縄張りを広げ、最終的に面積が大きかったほうの勝利となる)
──「歌舞伎町スプラトゥーン」は座布団2枚あげたい。
「面白いですよね。こういうストーリーがオタクに“刺さる”んで、“お、まだまだ楽しめるじゃん”ってなるんですよね。この状態がもう20年以上続いているという(笑)。
これが普通のカフェみたいに、ある程度フォーマットが固まってしまったら、こんなに推せないんです。ストーリーがあって、そこにドラマが生まれるのが、結婚して子どもができても通い続けられる理由だと思います」
「友だちが近くにいなかった」「親の仕事で早くからパソコンが家にあった」という理由で幼いころからインターネットでコミュニケーションをとっていたふゅーちゃーさん。そこから恋愛シミュレーションゲームをへて、メイドカフェの世界を知った彼だからこそ気づける「インターネット掲示板とメイドカフェの共通点」はとても興味深い。
そう言われると、メイドカフェだけでなくアニメやアイドルといった、いわゆる「アキバ文化」全体を通して「リアル過ぎない空気感」があるなぁ、なんて思ったり……。こうした“見えないパーティション”で現実と切り離されたコミュニケーションにこそ、オタクにとって心地いい空間が生まれるのかもしれない。
インタビュー第2弾ではふゅーちゃーさんに「秋葉原で巻き起こっているメイドカフェ・コンカフェ論争」や「昔のメイドカフェと今のコンカフェ」の違いについて語っていただく。
(取材・文/ジュウ・ショ)
ふゅーちゃーさんのTwitterアカウント→@FutureX01