『らんまん』第19週、万太郎(神木隆之介)のところにロシアから、マキシモヴィッチ博士の訃報が届いた。ロシア行きをあきらめ、万太郎は高知に植物採集に行く。そこで山元虎鉄(寺田心)と出会う。彼の案内で見つけた植物が、万太郎の生きる道も照らす。そういう展開だった。
寺田さんが演じたのは、遍路宿の息子だった。カマキリの着ぐるみがキュートだった『香川照之の昆虫すごいぜ!』(NHK Eテレ)は遠い昔。抑制の効いた芝居に“人生”がにじんでいた。地に足をつけ、生きていく。日本を支えているのは、一人ひとりの虎鉄なんだ。「国家」のことまで考えてしまったのには、彼の名演技の他にもうひとつ理由があった。
虎鉄の登場前、東京の、権威ある男性たちの生き方が描かれた。彼らと虎鉄の対比が際立ったという話は後述する。まずは東京の男性たちの話だ。
きっかけは新聞の連載小説だった。田邊(要潤)と聡子(中田青渚)がモデルだとわかる、ごく低俗な小説の存在を知り、寿恵子(浜辺美波)が田邊邸に駆けつける。きっと明治政府その他への不満があるのだろう、大勢の人が田邊邸を取り囲み、石まで投げ入れる事態となっていた。寿恵子が屋敷に入ると、聡子は小さな部屋で娘2人とおびえていた。
「お父様はご立派で、お母様はお優しい、そのことを私はよーく知っている」。寿恵子が娘2人にそう言い聞かせていると、田邊が帰ってくる。寿恵子を見て、万太郎のために来たのだなと言う。このタイミングなら聡子につけ入ることができるから、と。
田邊がそういう考え方をするのは、想定内といえば想定内だ。それよりも、次の台詞が衝撃だった。「槙野は博物館にも訪ねたそうですね。私に取りなしてほしいと。ですが、何をしようと無駄ですよ」。
野田と里中も男社会のルールに忠実だった
田邊から出禁を命じられ、万太郎は博物館に行った。野田(田辺誠一)と里中(いとうせいこう)に会い、仲介してほしいと頼んだ。そのことを田邊が把握していた、その事実が衝撃だった。
野田と里中は即座に、「取りなさない」(&「雇わない」)という判断をした。つまり万太郎の境遇に変化はない。それなのに「槙野が来ましたよ」と田邊に報告したのだ。里中は万太郎に、「大学と博物館は協力関係にある」と言っていた。だから報告は当然。と、思えない。「ご注進、ご注進」と田邊に言う2人が見える。暗澹(あんたん)たる、とまでは言わないが、そこそこ暗い気持ちになった。
田邊と寿恵子に話を戻す。「何をしようと無駄」という田邊に、寿恵子は「槙野に執心しているのはあなた様では」と反論した。それを聞いた田邊はエスカレート、「あなたも身の振り方を考えたほうがいい」と返す。「離婚のすすめ」だったから、聡子も「旦那さま、あんまりです」と抗議した。寿恵子は帰り際、田邊にこう言った。「殿方のことは、私とお聡さんには、一切かかわりありませんから」。
そう、これだ。田邊の言葉から「殿方のこと」、今日的に言うなら「ボーイズクラブ」が見えたのだ。そこには暗黙のルールがあり、それさえ会得すれば居心地最高。だが「そのルール、おかしくないですか」と言おうものなら、即アウト。長く会社で働いていたから、そういう世界は身近だった。だから野田と里中の「槙野が来た」という報告を知り、暗い気持ちになった。田邊は「ボーイズクラブ」のキャプテンだから、もうどうでもよい。でも純正エリート路線にはいないように見える野田と里中も、ルールに忠実なメンバーだった。ボーイズクラブ、恐るべし。
寺田心演じる虎鉄の日常に心が洗われる
虎鉄に戻ろう。遍路宿の息子として、客を送る場面が2度あった。山の中、「こちらです」と案内すると装束姿の客は「ありがとう」と言って歩き出した。虎鉄は2度とも、「いえいえ、何ちゃあ」と返した。
人生とは基本、同じことの繰り返しだ。そして、繰り返すことこそ尊い。寺田さんの演技が、静かにそう訴えていた。同じ温度で同じ仕事を続ける。それを丁寧とかまじめという。だから客は礼を言う。それへの反応も一定だ。「いえいえ、何ちゃあ」。人にほめられたり、目立ったり。そういうことを期待しない。その尊さがにじむ。
虎鉄はあまり表情を変えない。それが思慮深さだと思えるのも、寺田さんだからだろう。万太郎から好きな草花はあるかと問われ、「こんまいお遍路さんがおるがです」と案内する。遍路への愛情と観察力。そして真っ当な好奇心も持ち合わせている。「あなたは何をされゆう方ながですか?」と虎鉄。「わしは」の後、一呼吸あって「植物学者じゃ」と答える万太郎。虎鉄の平らな心が、万太郎を「学者」と名乗らせた。そんな気がした。
「こんまいお遍路さん」は分類学上、属も科も新しい大発見になりそうだ。学名には虎鉄の「山元」を入れて発表したい。そう知らせる手紙を読んで、虎鉄が笑顔になった。近くには母がいて、虎鉄の名を呼ぶ。虎鉄の日常は、ボーイズクラブにはない。その事実に心が洗われるような気持ちになった。虎鉄が起点となって、万太郎に植物標本が届く。虎鉄は学生で、先生からの標本だった。学び、働く。地に足をつけた人々の美しさの前に、殿方たちがかすんでいく。寺田さん、とっくに大人の役者だった。
《執筆者プロフィール》
矢部万紀子(やべ・まきこ)/コラムニスト。1961年、三重県生まれ。1983年、朝日新聞社入社。アエラ編集長代理、書籍部長などを務め、2011年退社。シニア女性誌「ハルメク」編集長を経て2017年よりフリー。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』など。