’80年代~’90年代に一世を風靡した5人組ガールズバンド「プリンセス プリンセス」のボーカル・奥居香として活躍。『Diamonds<ダイアモンド>』『世界でいちばん熱い夏』『M』など数々の名曲、ヒット曲を世に送り出し惜しまれつつ’96年に解散した後は、結婚、出産を経て、約13年間育児を中心とする生活をしていた岸谷香さん。
2014年からソロの活動を本格的にスタートし、今日まで主婦と音楽を両立させながら、アーティストとして活動の幅を広げている。50代になってもカッコいいライブで観客を魅了し続ける、香さんの輝きのヒミツに迫るロングインタビューをお届けします。何事にもポジティブに楽しむ精神で向き合う生き方には、元気になれるヒントがあふれています。
【#1】では、プリプリ再結成の秘話、本格ソロ活動再開の理由、音楽との向き合い方の変化……など、アーティストとしての人生を中心に飾らない言葉で語っていただきました。
プリプリの再結成はミッションのひとつだった
──香さんにインタビューをさせていただくのは、25年ぶりくらいになります。
「じゃあもう、四半世紀ぶりですね(笑)」
──かなり長い間、育児中心の生活をされていた時期もありましたが、そのときはかなり覚悟をもって決められたのですか?
「10年くらいほぼ仕事はしてなかったです。その時期を私の中では“隠居”って言ってるんですけど(笑)。休んだときには、別に覚悟なんかは何もなくて。50歳を過ぎてから、取材でこれまでの人生がどうだったかということを聞かれることがあって、改めて思ったのは、特に計画性も覚悟もなく、プリプリをやりたいときはプリプリをやって、“解散したほうがいいよね”ってなったら解散して。それで、結婚しようと思ったからすぐ結婚して。私は人生、そのときの気持ちのままにずっとやってきてるんですよね。
29歳から2~3年はソロの活動をしましたけど、何か刺激的じゃなくなってきてしまって。子どもが生まれてからは、もう音楽どころじゃなくなって、忘れちゃったというか。それで気づいたら10年って感じでしたね」
──今振り返って、プリンセス プリンセスのメンバーは、香さんにとってどんな存在なのでしょうか?
「まず、再結成っていうのが、予想していなかったですね。東日本大震災の復興支援というきっかけがなかったら100%なかったと思います。メンバーの関係っていうのも、あの再結成があったことで、解散したときの感じとはいろんな意味で変わったんだと思いますね。本当に予想外の展開だったけれど、今から考えると、プリプリの現役時代の活動と再結成っていうのがセットで決まっていたような」
──解散して16年後に決まっていたかのような出来事だった?
「そうでしたね。あの再結成の活動は、少なくともプリプリのためではなかったし、私たち個人の人生のためというよりは、ミッションのひとつだったような。これをやるために、私たちの現役時代はあったのではなかろうかっていう気すらしてたんですね。だから、みんな“やるんだこれは”って感じでした」
──復興支援のために再結成をしようということになったきっかけは?
「メンバーの中で役割があったりするので、実際に言い出したのは私ですけど。解散を一番最初に言葉にしたのも私だから、解散を言い出したぶん、再結成も私が言わなきゃ誰が言う? みたいな感じもありましたし。ただ、その思いはみんなの中にも絶対にあったばずだし。もっと言うと、地震の数日後にドラムのきょんちゃん(富田京子)から“みんな元気?無事?”っていう、安否を確認するようなグループメールがきて。そのときに、たぶん5人全員が“今できることって何だろう? 私たちにはひとつあるな”っていうのは思っていたんですけど、現実の言葉にするのは誰も勇気がなくて。これは私の役目じゃないだろうか、みたいな感じだったんだと思いますよ。それで私が5人で会いましょうかねって声をかけました」
メンバー5人の関係性も変わった
──それまでも、連絡を取りあったり、頻繁に会ったりしていたのですか?
「いいえ。私たちはいつだって会えると思っていたから、ぜんぜん会おうとしなかったし、たまに個々で会って、ごはんを食べたりはしてたけど、5人で集合して会うってことを特別重要視していなかったので、16年の間も数回しか会ってなかったんです」
──1年限定の再結成を振り返って、改めて思われることは?
「スタートはライブを数本やって、その収益を義援金として今一番困っているところに寄付できたらいいね、っていう話で始まったんですけど。いろいろな方の協力を得て、活動のベースが整って。ライブの規模を検討するなかで東京ドームっていうのが出てきて。そしたら赤字にならないためにドームをいっぱいにしなきゃねってことで、“テレビとかも出るか”とか。ライブは最初、東北と関東だけで考えていましたけど、“西のほうのファンに不公平だから、フェスだけ出る?”とか。徐々に広がっていった感じなんです。最終的にはNHK紅白歌合戦まで出ちゃって(笑)。
あの年の再結成の活動は、なんか誰かに操られているみたいに、ストーリーが展開して、“どうなってるの?”って全員思っていたくらい、すごく大きくなっちゃって。でもおかげさまで、想像を超える額の義援金が集まったので、それはよかったと思ってます」
──1年間の再結成の活動があって、メンバー5人とのその後の関係はどんなふうに変わりましたか?
「5人くくりでもそうですけど、1対1の関係性も変わったと思いますね。今野(登茂子)さんと富田(京子)さんに関してはママ友っていうジャンルの感情がわいてきて、受験の話とか、お母さん同士の会話もできたりしますし。あっこちゃん(渡辺敦子)は音楽専門学校の副校長だし。かなちゃん(中山加奈子)は変わらずだけど。16年ぶりに会ったメンバーは、それぞれが今まではプリプリってグループの中のひとかけらだったのが、枠がなくなってその人の特徴が年月分、増幅されていて面白いです。それぞれ違う人生を生きている友達という感じですね」
再結成を終え、母としての日常生活に戻って気づいたこと
──2月13日の「岸谷香感謝祭」のライブを拝見しました。香さんは変わらぬカッコよさだなと思いましたし、香さん自身の音楽をやれていることの幸せ感がとても感じられました。今、音楽制作やライブで大切にされていることはどんなことですか?
「すごく嬉しい感想です。プリプリのころは、一生懸命に音楽をやっていたと思うし、私の人生は音楽しかなかったから、大きな意味で音楽がすべてだと思っていました。それが、プリプリ再結成後の活動っていうのは、お母さんの立場があっての活動なので、だから名前も岸谷香でやっていますし。アーティストとしての名前を変えたことは、私にとってはすごくいい選択だったなと思っていて。
かと言って、過去の作品が自分のものじゃなくなるわけでもないし、奥居香やプリプリが全く関係ない人になるわけでもないし。ただ、今、岸谷香で歌っていることは自分にとって、今の気持ちや愛情ひとつ歌にするにも、例えばそれが、子どもへの気持ちや愛情だったりしても、岸谷香だったらいい。でも奥居香だと違うんだと思うんですよね。奥居香は恋の歌を歌ってないとダメでしょ、“彼氏ラブ”みたいな(笑)。それが奥居香だったと思うし。そういう意味では、すごく自分が楽にできる選択だったんだなって思ったりもします。
私個人の考えとして、現役のミュージシャンっていうのは、求められようが求められまいが、今考えていることを音楽に乗せて発信するものだと思っているので。だから、ライブでも無理せずできる。それがありがたいなと思って。ファンのみなさんもそういう私を受け入れてくれて見に来てくれていると思うから。でも、冗談でポニーテールとかすると、すっごく喜んでもらえたりします(笑)」
──岸谷香としてのソロの活動を本格的に再スタートされるときは、決断や勇気が必要でしたか?
「またこれが、計画性がないっていうところの極致なんですけど、プリプリの再結成を計画性もなくやることになって。子どもを置いて仕事に出たり、しかも地方に行くとか、10年間隠居していたわけだから、そういうのも初めてだったので、ありえないと思っていたのが、周りのママ友たちの協力もあって、思いのほかできたんですよね。
で、再結成の活動を終えて。紅白の翌日の1月1日から、息子の中学受験があったので、私はお母さんに戻ったんです。車で学校や塾へ送り迎えしたりする日常生活に戻ってしばらくしたら、“最近、なんか物足りない気がする”って思ったんですよね。それで、最近バカみたいに笑っていないかもって気づいて。よくよく考えたら、“去年はプリプリの再結成があって、音楽があって、メンバーがいて、バカみたいに笑ってたな~”って。なくなってみて、私は音楽をやってると楽しいんだって、思い出しちゃったんです。自分の今の日常生活は何も不満じゃないんだけど、音楽がないってことに気づいてしまったんですよ」
──それでどうされたんですか?
「でも、子どもの受験が終わるまでは責任をもって子育てはやろうと思って。去年は楽しかったなと思いながら、1年間はお迎えをしたり、必死になって願書を取りに行ったり、バタバタと子どものためのさまざまなことをやりながら過ごして。それで、志望校に無事に合格したので、“お疲れさん、よかったね”って。“あなたはここからスタート。これはゴールじゃなから、ここから頑張れ!”と息子にエールを送って。下の娘も小学校から付属に入れてたので、母としての役目は半分くらい終わったかなと思って。“お母さんは、あなたたちが部活やってるみたいに、音楽やりたいんだけど、いいかな?”って聞いたら、反抗期のそっけない感じで“どうぞ”って(笑)。それで、すぐにママ友でもあるレコード会社の親しいスタッフに、“音楽そろそろやろっかな~”って連絡して、再び現役ミュージシャンとしてのソロ活動が始まりました」
──本格的なアーティスト活動を再開されて、母親業との両立は大変ではなかったですか?
「とにかく、少しずつ焦らずのんびりと。それもさほど計画性もなかったので、まあゆっくりやりましょうということで始まって、今に至るんですけど。本当にありがたいことに、“好きにやっていいよ”っていう環境だったので、子どもたちの成長と、母親の手の必要具合を考えながらやらせてもらってきました。
子どもたちも今年、21歳と19歳になりますし、子どもって言っても半ば大人なので、物理的なところでは手は離れているので。結果、今一番、音楽を楽しめている状況ではあると思います。昔は音楽をやっている時間が日常だったのが、今は家事や母親としての時間が日常だから、音楽をやれている時間は私の日常じゃないんですよね。だからこそ特別な時間なんです。もう“飲みに行くぞ!”って感じで“ウワ! 今日は音楽やる日だ!”みたいな。そんなふうに音楽を考えられるようになって、なんだ最初から、もっとそう思っておけばよかったなって(笑)」
ポジティブな意味で、音楽がどうでもいいものに思えてきた
──50歳を迎えた2017年にガールズバンド「Unlock the girls」の3人との活動をスタートさせたのには、特別な理由があったのですか?
「今、人生100年とか言われる中で、私はそこまで生きなくてもいいと思っているんだけど(笑)。80歳まで生きるとして、50歳だとあと30年なわけじゃないですか。だから、時間をかけて成し遂げるようなことを目標や夢として持つのは、もしかしたら人生最後かなと。体力もどんどん落ちてくるし、気力も落ちてくるだろうから、これは今だなと思って。50歳の記念になにか新しいこと始めるなら、やっぱりもう1回女の子とバンドがやりたいって、思っちゃったんですよね。周りのスタッフに相談したら反対されるかなと思ったら、反対するどころか、“いいじゃん!”って話になって。逆に“マジですか”って感じでした(笑)」
──3人のメンバー(ギター:Yukoさん、ベース:HALNAさん、ドラムス:Yuumiさん)はどのように決めたんですか?
「プリプリ時代から、私がものすごく信頼しているコンサートのスタッフ2人から、別々の現場で同じ子たちの名前が挙がったんです。3人とも若いけれどキャリアはあって、それぞれプロとして活動しているミュージシャンで。でも、運よくって言ったら悪いけど、たまたま彼女たちのやっていたグループが解散になって。演奏は上手だし、会ってみたら人間性もいいし、3人とも『Diamonds<ダイアモンド>』が発売された1989年生まれで、それもご縁だなと思ったし。だから全く現役時代の私を知らないので、それもいいなと思って。どちらかと言うと、私が一緒にバンドやってくださいって、お願いした感じです。3人とも“なんで私たちが選ばれたのかしら?”って感じだったと思いますけど(笑)、そんな不思議な始まりで、一緒にやり出して今年で5年目ですね」
──先ほども、今すごく音楽を楽しんでいるとおっしゃっていましたけど、50代になってからの音楽との向き合い方に変化はありますか?
「ネガティブにとらえないでほしいんですけど、失うものは何もないっていう強さですかね。20代~30代っていうのは、音楽が自分のすべてだから、いかにうまくやるか、いかに成功するか、いかに次の自分のエネルギーにするか、っていうガツガツとした気持ちがいっぱいで。私もそうでしたけど。それが、不安な気持ちで初めてのお産を経験したときに、“待てよ、私は武道館のステージでも大丈夫だった。あの武道館のステージでは私が失敗したら全部止まるけど、お産は私が呼吸法を失敗してもお医者さまもいるし絶対に止まらない。だから大丈夫、武道館より簡単だ”と思って」
──お産のときにそんなことを考えていたんですか?(笑)
「そう! 私はできる。生きてさえいれば、この一大イベントはクリアできるはず。間違っても大丈夫みたいな感じで考えていたんです(笑)。まあ、そういうことを経験したりして、うまく言えないけど、ポジティブな意味で、音楽がどうでもいいものに思えてきました。ただ楽しいものに。猿も木から落ちるっていうし、声なんて出ない日だってあるよ、くらいに考えられるようになったんですよね。声や歌はメンタルが重要なんですけど、今はナーバスにもならないのでメンタルが安定してきて、あんまりダメな日がないんです。だから、ライブもその日いかに楽しめるかを考えて、本番で間違ってもしょうがないって思えるくらいに練習しようってなるんです」
──5月からライブツアー「Kaori Kishitani 2022 Live Tour 55th SHOUT!」が行われます。3年ぶりのツアーはどんなライブにしたいですか?
「やっとバンドがまとまってきたし、去年、リリースした新曲もぜんぜん演奏できていなくて、新曲のままで馴染んでいないので、そういう意味では、この2年を取り戻すようなライブにしたいと思っています」
(取材・文/井ノ口裕子 撮影/高梨俊浩 ヘアメイク/中込奈々)
《PROFILE》
きしたに・かおり 1967年2月17日、東京都出身。1986年、5人組ガールズバンド「プリンセス プリンセス」のボーカルとしてデビュー。1996年5月31日、武道館公演をもってプリンセス プリンセスを解散。同年に結婚。1997年に奥居香ソロとしてシングル『ハッピーマン』を発売し、ソロ活動をスタート。2001年、子どもを授かったことをきっかけに、岸谷香に改名。その後13年間は育児を中心とする生活が続いた。2012年、東日本大震災復興支援のため、16年振りにプリンセス プリンセスを1年限定で再結成。2014年からソロ活動を本格的にスタートさせる。2017年、ガールズバンドプロジェクトを立ち上げ、2018年1月にバンドサウンドでのミニアルバム『Unlock the girls』をリリース。岸谷香率いるガールズバンド「Unlock the girls」(Yuko:ギター&コーラス、HALNA:ベース&コーラス、Yuumi:ドラムス&コーラス)としても本格活動をスタート。
2022年5月4日ビルボードライブ大阪にて開催「佐藤竹善 Presents Cross your fingers 22 ~Club Vibes~」、7月28日、LIQUIDROOMにて開催の「sugarbeans感謝祭~つぶあんこしあんトレビアン大集結!~」にゲスト出演。
Kaori Kishitani 2022 Live Tour 55 th SHOUT!
【名古屋】2022年5月21日、名古屋ボトムライン
【大阪】2022年5月22日、大阪BIGCAT
【宮城】2022年5月28日、仙台Rensa
【東京】2022年5月29日、EX THEATER ROPPONGI
【沖縄】2022年6月4日、沖縄ライブハウスモッズ