「自分と似たコンプレックスを持つ、世間でフォーカスされにくい人物を主人公に……」そんな思いから、漫画家・文野紋(ふみの・あや)さん(26)は自らの初連載となる『ミューズの真髄』を描き始め、3月10日には最終巻が刊行されました。「ラストでは、主人公が目標に執着し続けた先にある強さを描けた」と語る文野さんは、自らの挫折経験を漫画に投影することで、人生がうまくいっていない人にもスポットを当てたいと語ります。作品を通して読者を救うことを目指す文野紋さんの漫画家人生に迫ります。
自分のコンプレックスを漫画に落とし込んだ
──初連載作『ミューズの真髄』のアイデアはどこから浮かんできたのですか?
20歳までアルバイトをしながら芸大を目指して浪人生活をしていましたが、3回目の東京藝術大学の受験でも不合格になりました。それがコンプレックスになったのがきっかけです。
『ミューズの真髄』の主人公・美優(みゆう)も、高校卒業後、美大に落ち就職をして22歳になりました。過干渉な母親と暮らしていることも重なって自分の人生に満足していません。自分の持つコンプレックスを美優に込め、終盤に近づくにつれて自分と美優が重なっているような気分になりました。
──美優のほかにも、さまざまなコンプレックスを持つ人物が登場しますね。これは『ミューズの真髄』のアイデアが浮かんだころから決まっていたのでしょうか?
当初は1巻完結の漫画のつもりで、美優と、美優が通い始める美大予備校の講師・月岡先生の関係にフォーカスして描こうと思っていたのですが、もっと幅広い出来事を通してさまざまな視点から人物を描写したいと思い始め、『ミューズの真髄』という作品になっていきました。
月岡先生は4浪のあと、「これが最後だ」と思って受験したら合格してしまった人物で、絵を描くことの激しい苦しみを知っています。浪人中は心が病んでしまう人も多く、月岡先生もそのひとりでした。彼女が歩む道は美優と異なりますが、読者さんからファンアートをいただくほど人気のあるキャラクターですね。
登場人物のモデルからの長文メッセージが励みに
──どの人物の視点もリアルでした。どのようにキャラ設定をしたのですか?
私は人の話を聞くのが好きで、普段からいろいろな人の話を聞いていたのがキャラ設定に役立っているのかなと。特に、高校のころに通っていた美大予備校の生徒の方々は年齢層が幅広かったので、人間観察をたくさんできたことが「漫画に生きているな」と思います。
特に月岡先生は、月岡先生と立場の近い友人に話を聞きながらキャラ造形をした人物で、その友人が「『ミューズの真髄』自分のことのように読んだよ」と長文でメッセージをくれたときは、とてもうれしかったですね。
──美優には、ページいっぱい感情を吐露したような言葉が入っているページがあります。あれは何を意味しているのでしょうか?
自分の考えが洪水のようにあふれ出してしまう状態を漫画という手法で描きました。美優は、いっぱいいっぱいになったときに脳内で「どうして、どうして」って、自分がうまくいっていないことの理由を一生懸命探してしまうタイプだと考えています。
自分の漫画の登場人物は、美優に限らずこのような性格の人が多いですね。自分の人生がうまくいかない理由を理屈で考えようとするけれど結局わからず、思いがあふれ出す。それをページ内の文字を小さくしてたくさん文章を書くことで表現しました。
フォーカスされにくい人物にスポットを当てた
──美優が母親と住んでいた家、美優が引っ越した家などで散らかった部屋の描写がよく出てくるのも文野さんの漫画の特徴ですね。
人の本質がいちばん出るのって、お部屋だと思っているんです。例えば、明るくてしっかりとしたイメージの人の部屋に行ったら、思ったより整理整頓されていなくて「あれ?」と感じた経験、ありませんか?
──あります! 私も部屋がぐちゃぐちゃになりがちなので親近感を覚えます(笑)。
そうなんです。普段どんなにクールでとっつきにくく見えても、部屋を見て「あれ、いい人じゃん」って思うことがありますよね。部屋はその人の本質が感じられるもので、その存在が好きなので、いつも描きながら「このキャラだったらどんな部屋かな」と想像しています。
きっと私がドキュメンタリーが好きなことにもつながりますね。ミニシアターで見ることが多いのですが、フォーカスされにくい人にスポットを当てた作品が好きで、美優もそんな人たちのひとりだと思っています。部屋の描写を含め、そういった点はすごく意識しています。
──今聞いて、「確かに成功者はよくスポットが当たるけど、美優のような人って無視されてきたかも」と思いました。
美優はやってみたことが裏目に出てしまって何もうまくいかない人です。彼女を見た読者の方が、美術にかかわったことがなくても「共感します」と言ってくださることがあります。
私は安易に「うまくいかなくても継続したら成功するよ」とは言えないし、自分自身もそう思っていないんですけど、『ミューズの真髄』の最終巻(3巻)では挫折や失敗、うまくいかないことに執着し続ける人間の人生を描くことができたのかな、と思います。
「絶対強くなれるから自分の目標に向かって努力し続けよう!」と伝えたいわけではないし、私もまだそういった強さにたどり着いていません。でも、今まさにうまくいっていない、だけど目指すものに執着してしまう人たちはたくさんいて。『ミューズの真髄』はそんな読者の方々に向けて、「美優や私と一緒に頑張りましょう。いや、頑張らなくてもいいので一緒に歩きましょう」という気持ちで描いた作品でもあります。
生きづらい人が共感できるような漫画を描き続けたい
──最終巻の見どころを教えてください。
これまでの美優には本当にいろいろなことがあったので、「ハッピーエンドで終わらせるわけにはいかない」とは考えていたのですが、私の価値観で言うと美優にとってはいいラストでした。彼女が取り憑(つ)かれていた何かから解放される瞬間、希望を感じた気がします。
執着していたものを手放したあと、美優だったらどうするかなと考えて出した答えがあの結末で。完結した今、作者である私から美優に「よかったね」と伝えたいです。
これから読む方には、ぜひ美優の人生を見届けていただきたいし、そうすることで読者さんの心を軽くすることにつながれば最高だなと感じています。
──人生がうまくいっていない人たちに対する文野さんの温かいまなざしを感じます。
私も自分の人生がうまくいっているなんて思っていないのですが、ドキュメンタリー映画の中で、報道の意義のひとつとして「困っている人(弱者)を助ける」という風に紹介されていたことに感銘を受けて、自分も世間に理解されなくてつらかったり、マイノリティだったりするキャラに寄り添った創作をしたいと思うようになりました。今後は美優と異なるかたちで苦悩していたり生きづらさを感じたりしている人にスポットを当てられたらと思います。
私は漫画を描いているので、漫画という枠組みの中で、そういった方々に共感してもらえたらありがたいなと思っています。最近はコンプライアンスの問題で取り上げるのが難しい内容もありますが、それも踏まえつつ、いろいろと構想を練っている最中なので、次回作も読んでいただけたらうれしいです。
(取材・文/若林理央)
【PROFILE】
文野紋(ふみの・あや) ◎漫画家。1996年生まれ。2020年、読み切り『君の曖昧』が『月刊!スピリッツ』(小学館)に掲載され商業誌デビュー。’21年1月にはデビューから約1年という、新人としては異例のスピードで短編集『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を上梓する。同年9月、『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で『ミューズの真髄』を連載開始し、’23年3月10日、最終巻が発売に。