日本のシティポップや歌謡曲ブームが止まることを知らない。夢中になっているのは当時、青春時代を過ごした中年世代だけではなく、なんと10代を筆頭にした国内外の若者たちも。
そんな注目の昭和アイドル黄金時代にデビューした新田純一さんは、今年5月8日に還暦を迎えて結婚。アイドル時代のことから現在に至るまで振り返ってもらった。
自らの誕生日会でサプライズの結婚発表
──まずは、ご結婚おめでとうございます。
彼女(聡子夫人)と約20年連れ添っていて事実婚であることは公にしていたので、今さらな感じもありましたよね。でも、やはり還暦ということでケジメをつける形にしましたが、実はこの結婚には裏があるんです(笑)。
というのは去年、実はデビュー40周年でした。コロナ禍でイベント的なことはできなかったのですが、 “来年は60歳。還暦になるし何かやりたいね”と周囲の人たちと話していたこともあり、5月8日の誕生日会を大好きなゴルフコンペも兼ねて開こうということに。
その場で思い切って結婚を発表しようと考えたのですが、もし(結婚を)断られたらどうしようとドキドキでした。だからといって事前に彼女に相談したらサプライズにならない。そんな迷いもありつつ、当日はゴルフ仲間のタレントさんたちや、昔から時代劇でお世話になっている里見浩太朗さんもゴルフをやらないのに来てくださって、もう感極まっちゃいましてね。いざ公開プロポーズしたら、OKをいただいたという流れなんです。
でも、実際に入籍したのは5月30日。八代亜紀さん(奥様は八代さんのヘアメイクを担当)のラジオ番組でもお祝いをしていただいたことがきっかけです。「いつ籍を入れたの?」と聞かれて「いや、籍は入れてないんですよ」と告白したところ、みんなから「籍は入れてないって、それは詐欺なんじゃないか?」とブーイングが(苦笑)。
それで、5月中に入籍をしたのが実際の話。その日は奥さんの誕生日だったので、すごくよかったんじゃないかな。結婚は紙切れ1枚だと考えていましたけど、意外に籍を入れるのは大きな出来事だったんだなって改めて感じましたね。
河合奈保子、三原じゅん子との学校生活が唯一の息抜き
──デビューした年の同期は「花の82年組」と呼ばれ中森明菜、小泉今日子、シブがき隊、早見優、石川秀美、松本伊代、三田寛子など錚々(そうそう)たる顔ぶれですね。
すごいメンバーですよね(笑)。でも、僕はもともと芸能界への憧れがなくて、まさかこの道へ進むとは思ってもみなかったんです。父がトランペッターなので、小さいころから仕事についていっては、いつも華やかな現場を見ていました。もちろん父の影響もあって音楽は大好きでしたけど、小学生のときに描いていた将来は、体育の先生か警察官。白バイに乗って、交通機動隊になりたいと考えていたんですよね。
それが、中学3年生のときだったかな。なぜか『君こそスターだ!』に出ることになったんです。当時は『スター誕生』と『君こそスターだ!』の2大オーディション番組があって、『君こそスターだ!』の司会はジャニーズ事務所の、おりも政夫さんでした。3回勝ち進むとグランドチャンピオン大会だったのですが、その最中に、ジャニーズ事務所さんからお声がけをいただいて。「お父さん、お母さん、純一くんをウチで預からせていただけませんか?」と。それも、学園ドラマで3人トリオをデビューさせたい、そのうちの1人になってほしいというんです。後から考えたら、それが『たのきんトリオ』ですよ。当時の僕は近藤真彦さんに似ていると言われていて、もしあのとき“たのきん”に入っていたら、マッチさんじゃなくて僕だったのかな、なんて(笑)。
実際には違う芸能事務所に入ることになり、『レッツゴーヤング』という番組でデビュー。そこからは激しい新人賞レースに突入です。今、考えても何も思い出せないくらい忙しかったですね。
──当時を振り返っても何も覚えていないほど多忙、というのは本当の話だと聞きます。コンプライアンスもない、労働時間も年齢も関係ない。昭和のアイドルは、今の時代からは想像できないほどの労働環境だったとか。
テレビ出演に加え、夜中にレコーディングして、さらには振付のレッスンもあって、雑誌の取材も。地方へ行って戻ってきたら夜中にまたレコーディング。そしてドラマ撮影もあれば学校もありました。この繰り返しで、いつ寝ていたかも覚えていません。ホント、よくこなしていたなと思います。とにかく、すべて自分で選択できる自由はないんです。曲もドラマも衣装も含め、こうしたいという希望を口に出そうにも……。
先ほどお話ししたように、当時の僕はマッチさんに似ていると言われていたので、事務所は僕とマッチさんと差別化を図っていて、やんちゃな感じとはちょっと違う、可愛らしいイメージづくりをしていました。でも僕的にはイヤで(笑)。年ごろですから、男らしくしたいじゃないですか!
と言ってもそんなことは叶(かな)わず、結局、学校だけが息抜きの場になっていました。高校には同じアイドルの河合奈保子ちゃんとか、三原順子(現・三原じゅん子)さん、ほかにもジャニーズの子なんかもいたりして、学校で話しているときが唯一ホッとする時間。学校ってなんて楽しいところなんだと。
里見浩太朗と共演した時代劇が転機に
──そんなアイドル時代を経て、やがて俳優活動が多くなっていきましたよね。
このままアイドルってどうなんだろう? と考え始めたのが21歳のころです。そこで、俳優に専念しようと個人事務所へと移籍。アイドルの実績があったのですぐに大きな役をいただいたのですが、それが苦労の始まりでした。だってお芝居の基礎ができてないんですから。セリフをしっかり覚えないといけないし、集団で過ごす時間は長いし、1人で現場に行かないといけないし(苦笑)。一つひとつ勉強しながら役をこなしていくのが精いっぱいでした。
転機は、里見浩太朗さんが主演を務める大晦日の年末時代劇スペシャルに出演したことです。あまりにも時代劇のお芝居ができなくて、監督に怒られて怒られて……。あるとき、次のシーンでうまくできなかったら東京へ帰すと言われたんですね。赤穂浪士四十七士・矢頭右衛門七の役で、母親の死を直感して山道を走りながら母のもとへ向かう、泣かせる場面。僕は東京へ帰されちゃいけないと泣きそうな思いで必死に走ったんです。それが功を奏したのでしょうか。監督から「すごくよかった、泣けたよ」と褒められて難を逃れました。
その翌年に、白虎隊をモチーフにした時代劇の隊長役をいただき、やっと役者として腰を据(す)えて生きようという決心が生まれました。
俳優業の傍ら、ファスティング指導者として活動中
──その後、大河ドラマや必殺仕事人、暴れん坊将軍、大岡越前など、名作と呼ばれる時代劇やドラマに出演するなど大活躍です。今は、役者としての身体づくりの一環として、ファスティングの普及活動も行っているとか。
そうなんです。自分の健康のためもありますけど、世の中がコロナ時代を経て、健康への関心が高まりましたから。今、人生100年時代といわれますが、晩年も元気で楽しく過ごしたいじゃないですか。100歳までいかに健康で生きられるかが大事だと思いつつ、僕が最初にファスティングに興味を持ったのは2016年ごろ。ファスティングマイスター検定で初級を取りました。
それまでも酵素ドリンクだったり、インターミッテントといって16時間、固形物を食べない“ゆるファス”が流行(はや)っていましたし、芸能界は見た目が命といっても過言ではありません。なので、美容や健康のために何かしらやっている方は多かった気がします。僕もコロナ禍になって、より健康に対する意欲が芽生え、本格的に勉強し始めました。今ではファスティングマイスター2級の資格を取って、スペシャリストとして活動しています。
──確かに還暦とは思えないほどのビジュアルです。まさに流行の“イケおじ”ですね。
今年、次女が結婚するんです。結婚式では、この間までパートナーとして紹介していた彼女を奥さんとして紹介できることがとても嬉しいですね。今、すごく楽しいですよ。芸能活動とファスティングマイスター学院顧問の二刀流で、最高に充実しています。これからもどんどん意欲的にいろんなことを学んでいきたいですね。人生100年時代ですから!
(取材・文/いくしままき)
《PROFILE》新田純一(にった・じゅんいち) 東京都立川市出身。1982年、『レッツゴーヤング』(NHK)でサンデーズのメンバーとしてデビュー。以後、俳優としてドラマ、映画、舞台で活躍。ラジオ日本『ムーンラウンジ846』レギュラー出演中。2021年にファスティングマイスターの資格を取得し、指導者としても活動している。