2023年5月2日から、少年隊・植草克秀の東名阪ソロツアー『MOVING ON〜SECOND SEASON〜』が始まり、元・光GENJIの佐藤寛之と山本淳一がゲスト出演! SNSでは少年隊や光GENJIファンの喜びの声であふれていたが、fumufumu newsによる佐藤・山本へのインタビュー取材がおこなわれたのは本番のちょうど1週間前で、「ステージの構想を練っていると夜が明けてしまうほど」と語っていたふたり。今回は、リハーサルの様子やアイドル時代のエピソード、そして先輩である少年隊や、植草への思いを語ってもらった。
(ふたりの関係性やゲスト出演が決まるまでの経緯を中心に語ってもらったインタビュー第1弾→元・光GENJIの“仲良しコンビ”が大先輩・植草克秀のステージに出演! イメージカラー決定の経緯も明かす)
男闘呼組の再始動に触発された。ローラースケートの魅力も再確認!
山本淳一(以下、「山」)「今回のステージでは光GENJIの曲も歌いつつ、サプライズも用意しています!!」
佐藤寛之(以下、「佐」)「でも、久しぶりに2人で歌うので、リハーサル中に確認することがとても多いんです。僕らの今の声の感じとか、ローラースケートをどれだけ滑れるかとか。10代のときに歌っていた曲を50代で披露するわけですから、当時のように元気よく踊るほうがいいか、それとも今の等身大の姿で、大人っぽく魅せるのか。その葛藤で毎晩、眠れなくなっちゃう。“ジャニーさんなら、どう言ってくれるかな?”って考えながら、言葉が降りてくるのを待つ日もあります」
その背景には、あるグループの決意も大きな原動力になっているという。
佐「昨年、男闘呼組のみなさんが再始動されて、やっぱりすごいことだなって。彼らも僕らもエンターテインメントをやってきたわけだから、身が引き締まる思いです」
そして、やはり光GENJIといえばローラースケートで、今回また練習をしながら、その魅力を実感したそうだ。
山「ローラースケートは、履いているだけでも体幹が鍛えられるので、健康グッズとしてもオススメです!」
佐「女性も腰回りや脚が細くなりますからね。僕は、自分のライブでもときどき、ローラースケートを披露していますよ。履くだけでも懐かしんでもらえるので。来ていただいた方々にも元気になってもらいたいですし、今の僕たちもちゃんと表現しようと思っています!」
確かにふたりとも、身体のシルエットが20代のころとまるで変わらず、撮影中、台をひょいと飛び越える際も、青年のように軽やかな足取りで驚いた。
少年隊で思い出深い曲は『あなたに今Good-bye』と『仮面舞踏会』
続いて、デビュー前後から見つめてきた少年隊について語ってもらったのだが、次々とエピソードが飛び出してきた。それだけ強い憧れを抱いていたのだろう。
山「僕、中学2年生のとき、少年隊が『日本レコード大賞』で最優秀新人賞を受賞した際に応援で駆けつけたジュニア数百人の中のひとりだったんです。そして、その次の日、元日のコンサートでも踊らせてもらったので、本当に大先輩という思いです! 歌にしても踊りにしても、エンターテインメントの最高峰で、当時はお話するなんて恐れ多くて……という感じでした」
佐「僕は、ジュニア時代の最初のステージが少年隊の1日5回公演という伝説のコンサート(1984年)で、その最後列で踊っていました。当時のジュニアでは、1列でも前で踊れるよう頑張って、最前列になるまで3年くらいかかりましたね。そして、少年隊のみなさんのバックで踊れるのも、最初は1曲だったのが、だんだん曲数が増えていったんです。だから、少年隊が踊っている曲は身体に染みついていましたね。いちばん思い出深いのは『あなたに今Good-bye』です。この曲で、“踊るのが楽しい~!”って目覚めました。当時、男子がダンスをするなんて衝撃的でしたからね」
山「僕のいちばんの思い出は『仮面舞踏会』ですね。少年隊のデビューイベントが新宿アルタであったんですが、
佐「僕の場合は、うちの姉がジャニーズ事務所に履歴書を送って、最初は無理やり連れられて行ったのですが、そのレッスン場で少年隊のみなさんが踊っていらっしゃっていたことが、ジャニーズでの活動を本格的に始めるきっかけになったんです。すごくカッコよかったので、僕も頑張ってみたいなと思って。山本くんは、自分で応募したんだよね? やっぱり彼はもとからスターになりたかった人だから、そのテンションは僕とは違いますよ。しかも、彼が応募したきっかけは、少年隊じゃありませんから!(笑)」
山「実は……そうなんです(笑)。オーディションのカセットテープにはシブがき隊の歌で。もっと言うとマッチ(近藤真彦)さんが賞レースで歌っているのを見て、“母ちゃん、オレ将来、あんな風になるからね!”って台所にいる母に宣言していました(笑)。そのころは、男友達とシブがき隊の歌と振りを覚えて、クラスの女子たちの前で披露する、ということをやっていました。そうして事務所に入ってから、少年隊のみなさんに会うのですが、歌もダンスも完成度が高くて驚きました。この方たちを目指して、まずはバックで踊りたい! と思い頑張って、その場所ではすでにヒロ君(佐藤寛之)が踊っていて、さらに、そのヒロ君と同じグループになって切磋琢磨して……。だから、常に高いレベルに行きたいという目標がありましたね」
人気絶頂期にまさかの電車通学、新宿駅では“改札通過NG”が出るときも
そうして少年隊のレコード・デビューから約1年半後にデビューした光GENJI。’88年には、3rdシングル「パラダイス銀河」で『日本レコード大賞』を受賞し、ランキング番組の『ザ・ベストテン』でも、同年にランクインした4曲合計での1位獲得が22週と、
これに対し、少年隊は同番組にて’87年は1位獲得が6週だったのが、光GENJIが急成長した’88年には1位2週、2位9週と、1位より2位になることが増えた。当時の少年隊ファンは“歌もダンスもスター性も最高なのに……”
山「順位でほかのグループに勝ったという意識は全然なかったですよ。敵対心なんてまったくありません!」
佐「ジャニーズの中でも、少年隊のみなさんは別次元なので、比べようがなかったですね。何より子どもだったし。だって『パラダイス銀河』のころ、まだ電車で通っていたんですから(笑)」
山「僕も学ランを着て京王線に乗って学校へ行って、それから仕事場でキラキラ衣装に着替えて、終わったらまた学ランを着て帰る、という繰り返しでした。そんなときに、ファンの方が乗ってきて電車が満員になる状況があって、ある芸人さんによると、僕が乗っていた号車は当時の学生たちから、“山本車両”と呼ばれていたそうです(笑)」
佐「僕も総武線だったんだけど、もしかして“寛之車両”って呼ばれていたのかな?(笑)」
山「しかも当時は自動改札じゃなかったから、新宿駅で降りようとすると駅員さんから、“改札に来ないで~!”ってサインが出るんですよ。ファンの子が勢い余って、改札を乗り越えちゃうらしく」
佐「確かに、集合するところも、ちょっと外れた(各駅停車が停まる)駅にすることが多かったよね」
山「新幹線から移動する際も、“いかにも荷物を入れています”って感じのワゴンの中に入り、そのままトラックに運び込まれて移動するなんてこともありましたね。飛行機に乗るときも搭乗口じゃなく、飛行機の直下にバリケードを設置してもらって乗り降りしていたので、プライベートで移動するときも、チケットの買い方がわからなくて恥ずかしかったです(笑)」
植草克秀とふたりをつなぐキーワードは「アロワナ」と「デコピン」
なんと、当時の仰天エピソードまで披露してくれたふたり。続いて、アイドル時代の植草克秀との交流関係を語ってくれた。
山「21歳のときかな。植草さんが趣味でアロワナという熱帯魚を飼ってらして、“実は僕も飼ってみたいんです”と言ったら、“いいよ、いいよ~!”って譲ってもらい、僕の部屋に来てセッティングまでしてくださって。それで、植草さんが帰りがけに、部屋の隅に釣り道具があるのを見つけて、“釣りもするの?”、“はい、ブラックバスを”と盛り上がって。そこから仕事の合間を縫って釣りもご一緒する仲になったのですが、集合場所に行くと、先にボートを出して準備してくださっているんです。ふたりとも自然好きが共通しているので、“このツアーが終わってからも一緒に行きたいね”と話しています」
佐「僕は何かあったかな……あっ、思い出しました! 当時、僕は週末だけ合宿所に泊まっていたのですが、ある夜、広い部屋でファミコンをしていたら、植草さんがバーン! と入ってきて、唐突に“おい、ジャンケンしようぜ”って。それで、ジャンケンに負けて思いっきりデコピンをされたことがあります。痛かったなあ〜。ご本人は覚えていないでしょうけど、何回かされた記憶があるから、当時はそれが流行(はや)っていたんでしょうね(笑)」
植草は「努力の人」。憧れと感謝を胸に、最高のステージへ!
今回、そんな世話好きでやんちゃなイメージだった植草と共演してみて、ふたりはとても驚いたという。
佐「憧れの大先輩だから、再会後も遠慮がちに接していたんですが、実際にご一緒すると、優しいところがいっぱいあるんです。例えば、僕はTwitterをこの3月からようやく始めたのですが、“SNSはこういう風にしたほうがいいよ”って教えてくれたり、ファンの方たちにも“寛之が始めたから、フォローしてあげてね”とツイートしてくれたり、とても思いやりのある方です。ファンとのコミュニケーションの取り方も、今の時代に合わせてアップデートされていて、感心することばかりです」
山「植草さんは、ONとOFFの切り替えがハッキリしていますね。休憩時間はみんなと遊んだり、しゃべったりして場を盛り上げているのに、リハーサルでは真剣に取り組まれていて」
佐「OFFのときにふざけていても、結局は完璧に仕上げられますからね」
山「そう。だから、絶対に陰でやってるんじゃないか、ってふたりで話していて(笑)。あのころは若かったから、はしゃいでいる部分ばかり見ていたけれど、実際、植草さんは誰よりも努力家だと思います。だから、このタイミングでご一緒できたことが本当に勉強になっているし、とても感謝しています!」
佐「ショーに限らず、生き方全体についてアドバイスしてもらえるので、改めて尊敬しています。スーパーグループの少年隊としてではなく、“植草克秀さん”として接してくださるので、一つひとつの言葉が、よりスッと入ってくるんですよ。だから、今回の共演はまさに“夢の世界”。精いっぱい頑張ります!」
ふたりの話しぶりから、最高のエンターテインメントを届けたいという思いがひしひしと伝わってきた。これも、明るい光を放っては周囲を自然な形で盛り上げていく植草の存在が大きく影響しているのだろう。その明るさを保つために、どれだけ努力し続けることが必要かを傍で実感することで、尊敬せずにはいられないというふたりの気持ちもうなずける。
インタビュー第3弾では、光GENJI時代の人気曲を振り返りつつ、50代となった現在から未来に向けてのビジョンにも触れていきたい。
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
【INFORMATION】
KATSUHIDE UEKUSA 2023 MOVING ON〜Second Season〜
■東京 日本橋三井ホール:完売御礼!
・5月2日(火)18:00~
・5月3日(水祝)14:00~
・5月3日(水祝)18:00~
・5月4日(木祝)14:00~ ※一般発売なし
■名古屋 DIAMOND HALL(ダイヤモンドホール)
・5月18日(木)14:00~
・5月18日(木)18:00~
・5月19日(金)14:00~ ※一般発売なし
■大阪 なんばHatch
・5月29日(月)18:00~
・5月30日(火)18:00~
※公演詳細やチケット情報は特設サイトにて→https://www.curtaincall.tokyo/katsuhideuekusa/
◎佐藤寛之公式HP→http://www.satohhiroyuki.com/
◎佐藤寛之公式Twitter→https://twitter.com/hiroyukisatoh_
◎山本淳一公式HP→yamajun.jp
◎山本淳一公式Twitter→https://twitter.com/Jun1Yamamoto