「もういくつねるとお正月」と歌う童謡・唱歌の『お正月』。その1番の歌詞に、最初に登場する子どもの遊びが“たこ揚げ”です。
現在はいざ知らず、かつてたこ揚げは、お正月を代表する遊びでした。
ここで問題。
なぜ、たこ揚げはお正月にしかやらないのでしょう?
その理由は、実はとても意外なものだったのです。
もともとたこ揚げは、戦争の道具だった!
日本のたこ揚げは、もともと中国から伝えられたものです。
その中国で最初にたこが作られたのは、諸説はあるものの、紀元前500年から400年ごろと言われています。なんと、たこの歴史は、少なくとも2000年以上前から始まっているということになるのです。
風を受けて、空高く舞いあがる。飛行機がない時代、それは格好の軍事道具でした。中国では、戦(いくさ)に重要な風向きや地形の測量。遠くにいる味方への情報伝達などに利用されたといわれています。
今でこそ“遊び道具”のたこですが、かつては戦争の道具として使用されていたのです。
そのたこが遊び道具に変わったのは、唐の時代(618年~907年)だといわれています。また、ときにはたこを揚げて、未来を占うこともあったと伝わっています。
さて、そんなたこが中国から日本に伝わったのは、平安時代だといわれていますが、そのころは貴族の遊び道具で、庶民がたこ揚げをすることはありませんでした。
日本において、最初は遊び道具だったたこですが、戦国時代になると利用方法が変わってきます。武士が戦における通信手段に利用するようになったのです。戦の道具から遊び道具へと変化した中国とは、逆パターンなのが面白い。
余談ですが、私が子どものころテレビで放送されていた特撮ドラマ『仮面の忍者 赤影(あかかげ)』(横山光輝原作)では、登場人物のひとりである、おじさん忍者・白影(しろかげ)さんが、大だこに乗って大空を移動する場面があって、憧れたものです。
歌舞伎には、大だこに乗って名古屋城の金のシャチホコのうろこを盗んだという大泥棒・柿木金助(かきのききんすけ)の話(実在の人物だが、たこを用いたという点は創作)も残っていますね。
そんな戦国時代が終わり、江戸の世になって平和になると、たこはようやく庶民の間でも遊び道具として楽しまれるようになりました。
たこ揚げが流行しすぎて、大問題に!
さて、いよいよ本題。
江戸の庶民に大流行したたこは、どうしてお正月だけの楽しみになってしまったのでしょう?
そのきっかけは、江戸幕府がたこ揚げの禁止令を出したことでした。
なぜ、そんな禁止令が出たのか?
それは、江戸の庶民がたこ揚げにハマってしまい、夢中になりすぎてしまったからです。
なにしろ、いい年をした大人が、仕事をサボってたこ揚げをするという体たらく。そのころは、“相手のたこ糸を切ったほうが勝ち”という競技用のたこまで現れ、その勝負がケンカに発展し、なんと死者が出ることまであったのです。
さらに、たこが参勤交代の通行のさまたげになるという事態が多発し、堪忍袋の緒が切れた幕府が、明暦元年(1655年)に禁止令を出したのでした。
しかし、それでも庶民のたこ揚げへの熱は冷めません。
当時、たこは「イカ」と呼ばれていたため、「幕府に“イカあげ”は禁止されたけれど、これは“タコ”だから」と見えすいた言い訳をして、たこ揚げを止めませんでした。一説によると、それまで「イカ」と呼ばれていたたこが、現在の名称「タコ」と呼ばれるようになったのは、このときの言い訳がもとになっているといいます。
さて。困った幕府は妥協案として、こんなお触れを出しました。
「参勤交代が行われない正月なら、イカあげをしてもよい」
こうして、たこ揚げは“お正月の遊び”として定着したのです。
お正月にたこを揚げる理由、実はもうひとつあります。
それは、江戸時代、男の子が生まれた家では、その誕生を祝い、年の初めに厄除けの意味も込めて、たこ揚げをしたということです。
現在放送中のNHK連続テレビ小説『舞いあがれ!』では、パイロットを目指す主人公の舞ちゃんが、子ども時代に五島列島で見た『ばらもんたこ』に勇気づけられる場面があり、たこが重要なアイテムとして登場しています。
この『ばらもんたこ』も、子どもの厄をはらい、その成長と家内安全を祈願して大空に揚げられたものです。
江戸庶民を夢中にさせたたこは、新年に、家族の幸せを願うための縁起物でもあるのです。
(文/西沢泰生)