1996年に玩具メーカーのバンダイから発売された「たまごっち」は、手のひらサイズの「デジタル携帯ペット」。2センチ四方の液晶画面で動く仮想のペットを育てるという、ユニークな商品で、世界中でブームを巻き起こしました。ブームの終了後も何度か再ブームを経て、現在までに累計で8200万台以上売れているそうです。
そんな「たまごっち」の生みの親で株式会社ワイプラス代表取締役社長の横井昭裕さんに、世の中にない新しいものを生み出すクリエイティビティの原点を伺うとともに、横井さんの知人でもあり、イノベーションをもたらす最強人材「うろうろアリ」という生き方・働き方を提唱するエッジブリッヂ代表の唐川靖弘さんにも、今求められるクリエイティブな人材について伺いました。
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──横井さんは「たまごっち」の生みの親ということですが、「たまごっち」発売からもう25年以上たった今年も新作が出ているのですね。
横井 私が最初に考えたときには腕時計型だったんです。ふたを開けるとときどき変な動物が出てくる卵型の時計だから「たまご&ウォッチ」。それが「たまごっち」の由来です。バンダイから、時計型のおもちゃは前の年に失敗したからやめてほしいと言われて、キーホルダーにした経緯があるんですが、去年出た新しい商品は時計型だったので、原点に返ったというか、最初の企画書の形に戻ったことは非常にうれしかったです。
──今「たまごっち」を買っている若い世代は、最初に生まれたところの過程は知らない人が多いと思うので、そのあたりのことを改めて振り返っていただけますか?
横井 1995年ごろ、バンダイの業績が悪い時期に新しい商品の依頼を受けて、5、6点出した企画書のうちのひとつが「たまごっち」でした。当時はインターネットが走り始めたぐらいで、まだパソコンも個人で持っている人は少なく、携帯電話も普及していないころです。
昔、バンダイの子会社のポピーにいたとき、任天堂の小型液晶ゲーム「ゲーム&ウォッチ」を真似(まね)したキャラクターのゲームを担当していたんです。ドラえもんを使った「ドラえもんのドラヤキハウス」やDr.スランプのアラレちゃんの「んちゃ!ばいちゃ!ゲーム」を作りました。当時は、まだ単純な動きでしたが、とてもよく売れましたね。
──たまごっちの発想は、どこから生まれたのでしょうか?
横井 私の会社『ウィズ』で行っていた「情報会議」では、おもちゃ業界以外の情報を持ってくるのがルールでした。私がバンダイいたときに新しいおもちゃを考えるためにおもちゃ屋さんに見に行って、先輩にえらく怒られたんですね。「おもちゃ屋には未来のおもちゃは売ってないんだ」と。手塚治虫先生も言っていました。いい漫画を描きたいんだから、漫画なんか読まずに映画やほかのいろんなところで情報収集をしてるんだと。
待ち受け画面の「アクアゾーン」が開発のヒントに
──なるほど。では、具体的に当時の横井さんはどのような情報を集めていたのでしょうか?
横井 当時、「アクアゾーン」というパソコンの待ち受け画面が流行っていました。昔のパソコンには、今のスクリーンセーバーのような機能があり、画面の中で動く魚を育てる「アクアゾーン」は、パソコンを止めても24時間リアルタイムで魚が動いているところが面白かった。
私は魚が大好きで、当時は家でも会社でも飼っていたんですよ。水族館も大好きだったので、デジタルなものに感情移入ができるということが、すごく不思議だった。ところが、人間と同じ24時間のタイムサイクルで生きていると、架空のものが現実に見られるんだと気づきました。そこから、私が昔作った液晶ゲームぐらいの手のひらサイズにして持ち運べるようにすれば、子どもが24時間持ってペットを育てることができると思いついたんです。
私が本物のペットを飼うとき、可愛らしさが2割で衝動買いするんですが、実は8割が大変なんですね。死なないように一生懸命頑張る8割の大変さがあるから、2割の可愛さが倍増すると気づいたんです。
──確かにそうかもしれません。
横井 当時のおもちゃ業界は、いいとこ取り。ぬいぐるみが典型例ですが、何もしなくても死なないし、可愛いまま。マイナス要素を入れることはタブーでした。ところが出版業界は違って、例えば『トイレット博士』や『ハレンチ学園』のような漫画は、汚いものとかエッチなものを扱っていて、平気でタブーを打ち破っていました。できるだけリアルにたまごっちの面倒を見させることができれば、可愛らしさが倍増するかもしれない。世話をしないといい子に育たないとか、そういう要素を入れていこうと思ったんです。
ただ、犬や猫、熱帯魚のように現実にいる生物だと面白くありません。飼い方は決まっているから変な飼い方や工夫ができない。映画『グレムリン』に、普段は可愛いのに夜、水をかけると大暴れする「ギズモ」というキャラクターがいました。その奇妙な感じが面白い、やっぱり架空の生物のほうがいろいろ脚色しやすいと思いました。そして、例えば現実には1センチの猫はいないけれど、架空の動物だったらこの大きさだと言い切れる。リアル感を持たせる意味でも架空なものがやりたかったんです。
──架空のもののほうが、逆にリアルになるんですね。
横井 そのころちょうど女子高校生がオピニオンリーダー的な存在で、世の中の流行を引っ張っていたので、女子高校生向けに、彼女たちが自分で作ったおもちゃのようにしたいと思いました。女子高校生が面白がるキャラを調べてみたら、今なら「ゆるキャラ」ですけど、当時は「ヘタウマ」だった。プロのデザイナーがきれいに描いた絵じゃなくて、女子高校生が左手で描いたような絵が流行(はや)っていたんですね。
そういうキャラを探していたときに、ちょうど私の会社にアルバイトで入ってきた女性が、本当に狙っていないキャラのイラストを描く人だった。こんなに媚びていないキャラはないと思いました。結果的には、うちのデザイナーが「まめっち」「みみっち」「おやじっち」といったキャラクターを作りましたが、基本は彼女がデザインをした、非常に時代を象徴するようなヘタウマなキャラを使うことになりました。そんな経緯で、いろいろな情報がまとまって、結果的にたまごっちが生まれたんです。
「ピンチはチャンス」を地で行く、たまごっち
──たまごっちは、本当にさまざまな情報の結晶なのですね。漫画や映画、パソコン、熱帯魚、女子高校生まで、非常に幅広くて驚いてしまいます。
横井 よく「横井さんは天才ですね」と言われますが、そうではなくて、いろいろな情報を集めてまとめているだけなんです。いきなりボンとたまごっちが出てきたわけではなくて、下地に「アクアゾーン」があり、任天堂のゲーム&ウォッチの真似(まね)ごとみたいなのがあり、動物を飼うこともある。その時代に合ったヘタウマな要素を入れるとか、全部うまく重ねることでできたのです。ある意味、誰でも気がついたし、誰でもできる可能性があったんだけれども、ただその組み合わせができなかった、もしくは組み合わせはできても、商品化できなかったのかもしれない。タイミングよく商品化できたのがラッキーだった。「ツキ」みたいなものはありますね。
たまたまバンダイの業績が悪かったから、作ることができた。もし業績がよかったら、あんな訳のわからないことはしないですよね。会社は、今のままでうまくいっていたら、失敗する確率の高い新しいことはやりたくない。だから、そのタイミングがよくて、たまごっちが生まれたんです。
──言ってみれば「ピンチはチャンス」ということですね。
横井 まさにそうです。私がバンダイに入ったときも「ピンチはチャンス」でした。たまたま大学を卒業するときに成績が悪かったうえ、第二次オイルショックのときの就職なので、大手は面接も書類も受け付けてくれないような状況でした。それで、いろいろ探していたら見つけたのがポピー(バンダイの子会社)だったんです。当時はまだ小さい会社だった。昔はおもちゃが好きだったから、そこでも入るかみたいな感じで入ったんですね。
ただ入ってからは、面白くなりました。玩具の歴史の中で、ルービックキューブやダッコちゃん、フラフープ、オセロといったとんでもない大ヒットがあるわけですから、どうせやるからには、そういったヒットを出したいと気持ちが変わってきましたね。せっかくやるんだったら、これ一発当ててやろう、歴史に名を残せるよう頑張るんだと思いました。
──唐川さんにお伺いします。横井さんのように組織やいろいろなことに縛られず、常にチャレンジを続け、クリエイティブな生き方をされている人が近年増えていると思いますが、唐川さんが提唱されている「うろうろアリ」という生き方について教えていただけますか?
唐川 「うろうろアリ」は、必ずしもフリーランスや起業家ではありません。横井さんがそうだったように組織の中にいるか外にいるかはどうかはあまり関係なく、姿勢として、新しい挑戦や経験を楽しみながらやる。
結果としていろんなものをつなげたり、新しい目で見たりすることで、自分にとっても世の中にとっても新しい価値を作る人を「うろうろアリ」と考えています。最近は短期で結果を求められがちですが、いろいろな苦境があっても、毎日楽しくポジティブな視点で挑戦を続けられる人が「うろうろアリ」といえると思います。
横井 私はバンダイにいたときから、自分はバンダイの社員だけど、独立して自分の会社をやっているという意識が常にあった。「上司はお客さん」と考えていたんです。言われた仕事をそのままやるのではなく、どれだけ面白くして上司を感心させようかと思ってやっていた。そのスピリッツが、唐川さんの言う「うろうろしている」ように見えるところだったんじゃないかな、という気がします。
(後編に続きます)
(取材・文/西野風代)
《PROFILE》
横井昭裕(よこい・あきひろ) 1955年、東京都生まれ。中央大学経済学部国際経済学科を卒業後、’77年、株式会社バンダイに入社。キャラクター玩具、コンピュータゲーム、ファンシー雑貨など、幅広いジャンルの商品開発に携わる。’86年、自分の力を試してみたいと思い、株式会社ウィズを設立。玩具やゲームソフトの企画・開発を手がける。’95年に「たまごっち」企画を発案した“生みの親”。現在、株式会社ワイプラス代表取締役社長。
唐川靖弘(からかわ・やすひろ) 1975年、広島県生まれ。外資系企業のコンサルタント等を経て、米国コーネル大学経営大学院にてMBA取得後、同経営大学院で初の日本人職員として勤務。グローバル企業本社との共同プロジェクトとして、アジア・アフリカの新興国において貧困層向けのビジネス開発に実践的に取り組む。組織や社会で楽しくイノベーションを起こす人材「うろうろアリ」育成のためのメソッドをまとめた書籍『THE PLAYFUL ANTS』を2022年末に上梓。現在、エッジブリッヂ合同会社代表。