大量のキーホルダーの前にたたずむ男性。彼の名は山下メロ(40)。『#平成レトロ』という言葉を提唱し、記憶が薄れゆく平成初期の文化を研究している。また、’80年から’90年代のバブル期に、日本各地の観光地で売られていた子ども向けの可愛らしい土産品を『ファンシー絵みやげ』と名づけ、全国各地の土産物店をまわって収集するコレクターでもある。
近年では、その活動がSNSなどを通じて話題を呼び、『マツコの知らない世界』(TBS系)や『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)などにも出演し、活動の場を広げている。なぜ彼は「平成レトロ」に魅せられてしまったのか。そのルーツに迫る。
収集の原点はねじ!? 人々が興味のないものに価値を見出す
総数2万点以上という土産品や総量1トンを超えるキーホルダーは、山下さん自らが訪れた全国各地の店で手に入れた品々。彼は、子どものころから、物を集めるのが好きだったという。
「生まれは広島で、小2で埼玉に引っ越しました。もともと、子どものころからコレクター気質で、収集初めは“ねじ”。幼稚園の行き帰りに、ねじを拾ったりしていました(笑)」
山下さんが広島県から埼玉県に引っ越したころ、世の中は平成を迎えた。地方から首都圏に移り、バブルを感じたりはしたのだろうか?
「小2はバブルを感じないですよ(笑)。バブルは常にテレビの中の出来事でしたね。埼玉といっても、茨城や栃木との県境でしたから、東京からははるか遠いのです。都会に出たとしても、ウォーターフロントに行かないと、わかりやすいバブル感は味わえません。
ある日を境に大人が急に浮かれ出すわけじゃないから、子どもにとっては、いつからがバブルだとか、よくわからないんです。ただ、CMなどで“5時から男”(高田純次が、終業時間になると元気になるサラリーマンを演じていた『グロンサン強力内服液』のテレビCM)とかを見ていて、“サラリーマンは楽しそうだな”って思っていましたよ」
当時から収集や分析力のある側面を見せるが、子どものころの夢は、意外な職業だ。
「小学校の卒業文集には“ギタリストになりたい”って書いていました。大好きなCHAGE and ASKA(チャゲアス)の影響ですね。“チャゲアスがギターを持っているからギタリストになろう”っていう、そのレベルです」
山下さんは、小学生時代からカードやプラモデルの収集も始めたという。一度ハマると、とことん追求する性格のようで、その独自の視点が光る。
「幼稚園のころから、ねじのほかに『ビックリマン』(チョコレート菓子)についていたシールを集めていました。小学校に入ると、ガンダムのカードダス(バンダイから発売されているトレーディングカード)、ガン消し(ガンダムの塩ビ人形)を集めましたね。プラモデルのBB戦士にも、どハマりしていましたよ。
同じように集めていても、小遣いの多いヤツには勝てないから、ガン消しやビックリマンでも“人と違った視点で集めなきゃ”って思っていました。今の活動に近いんですけど、みんなが『あたり』を集めるなか、自分はあえて『はずれ』を集めようとしました。需要の高い『あたり』を、自分の欲しい『はずれ』と交換していくんです。『あたり』扱いのヘッドというキラキラのシール1枚に対して、『はずれ』扱いの悪魔50枚、みたいな交換。それで、悪魔をコンプリートしようとしていました」
「誰も集めていないものを集める」ということを、幼少期から行っていたというから驚きだ。’80年代から’90年代にかけて、日本各地の土産物店で見かけた子ども向けの雑貨土産、『ファンシー絵みやげ』。人々がその存在を忘れかけた今もなお、それを集め続ける彼の精神にも通じる。
「みんなが嫌がって集めなかった悪魔のように、多くの人が捨ててしまっているものを残したいと思っていました。懐かしいグッズは、20歳くらいから集めています。ファンシー絵みやげは30歳くらいから」
日本各地の土産物店に出向き、絶滅の危機に瀕(ひん)しているファンシー絵みやげを保護する活動=「#ファみ活」を始めるようになったきっかけは何だったのだろうか。
「もともとファンシー絵みやげは、小学生のころから買っていたんです。でも一度、全部捨てました。当時住んでいたエリアは、まだまだヤンキー文化が残っており、ヤンキーの友達が部屋に来ると、子どもっぽいものを家に置いておくだけで、“こいつ、女みたいだな”とか、“お前、子どもか”っていう扱いを受けるんです。そこで、バカにされないようにと思って捨てました。そこからずっと忘れていたんですが、2010年にフリマで売っているのを見て“これはイケる” みたいに感じたんです」
’10年前後は、きゃりーぱみゅぱみゅのレトロ風ファッションが注目されたり、’83〜’84年にかけて放送されたテレビアニメ『魔法の天使クリィミーマミ』がファッションブランドの『galaxxxy』とコラボを行うなど、’80年代がリバイバルする機運が高まっていた。
「フリマでファンシー絵みやげを見つけたとき、最初は“これ、みんな忘れているんじゃない?”みたいな軽い気持ちで買いました。帰ってからインターネットで検索しようとしても、この土産物の総称がわからなくて、検索できなかったんです。いろんな言葉で検索しても、情報が出てきません。“もしかしたら、世の中から消えかかっている文化なのかも”と思って、本格的に集め始めました」
仕事を辞めて収集活動を本格化、費用は1500万円以上!
はじめは軽い気持ちで始めたファンシー絵みやげの収集だが、日本各地の土産物店に出向くうちに、意識が変わっていった。
「いざお店を回ってみると、お店の方の高齢化が進んでいることに気づきました。1か月後に同じ店に行くと、店をたたんでいたり……。閉店してしまうスピードが速い。最初は、人生をかけてゆっくりマイペースでやろうと思っていたんです。でも、それだと閉店していくスピードに追いつかない。週末の保護活動だけでは間に合わないと思って、会社を辞めて本格的にファンシー絵みやげを集めるようになりました」
一般的には、仕事を辞めてまで収集するのはリスクが大きいと思うが、メリットのほうがそれを上回るという。
「仕事を辞めたおかげで、北海道に1週間ずっと滞在する、などといった動きができるようになりました。例えば、土産店は不定休という場合も多いので、たまたま行ったその日に休業しているということもあります。せっかく行ったのに閉まっていると、また別の機会に東京から行かなければなりません。長期滞在ができると、それを回避することができます。あとは、毎日のように同じ店に訪れることで、
揚々と語る山下さんだが、収集にはいったい、いくら投資をしてきたのだろうか。
「1000万円以上、今は1500万円くらいじゃないですか。
ファンシー絵みやげが栄えた時代にもかかっている平成レトロは、山下さん自身が生きてきた時代ともいえる。そこに、どんな思いがあるのだろうか。
「ファンシー絵みやげに関して言うと、集めていくうちに民俗学的資料としての価値が高いことに気づきました。最初は“残そう”くらいの軽い気持ちでしたが、そこに書かれている言葉や描かれているテーマに、価値の高さを感じたんです。ファンシー絵みやげから、バブル景気という時代の特異性が見えてきます。これについては、当時は誰も気づけないんですよ。いっぱい集めて、それを俯瞰(ふかん)した人にしか分からない。だからこそ、“自分でやるしかない”と思いましたし、単なる知的好奇心もあって、どんどん掘り下げていったんです」
コレクションの大英博物館収蔵がゴール
2011年から始めたというファみ活。2万点以上の土産物に囲まれた事務所で、どう過ごしているのだろう。
「人間の暮らしは捨てています(笑)。保護した物の置き場には困っていますよ。研究ですから、ただ置いておけばいいわけではありません。俯瞰(ふかん)したり、比較したりします。ただしまっておいても、何にもならないんです」
まさに収集家ならではの悩みともいえるが、そんな彼の目には、物をもたない主義のミニマリストはどう映るのか。
「私はマキシマリストと呼ばれて、よくミニマリストと比較されます。ミニマリストはまさに対極の存在ですが、断捨離など、物を捨てることについては否定的にとらえていません。物を手放す人がいてこそ、守る人が必要になるんです。誰も何も捨てなかったら、自分の仕事も必要ありませんから」
多くの人が必要としないものに価値を見出す。まさに、山下さんが子どものころに集めていた悪魔のビックリマンシールの話に通じる。だが、だんだんとファンシー絵みやげの認知度は高まり、中古品を扱う業者が増えているそうだ。彼が口にするのは、ファンシー絵みやげに興味を持ってほしいということ。
「ファンシー絵みやげ保護活動としては、
そう語る山下さんの目標は、なんと大英博物館。
「私の設定しているゴールは、大英博物館への収蔵。コレクション全部は引き取ってもらえないでしょうけども。“10個くらいでいいです”って言われそう(笑)。でも、権威のあるところに認めさせたら、愉快ですよね。日本のバブル時代も悪くないって思えるんじゃないですか」
(取材・文/池守りぜね)
※インタビュー後編:『ファンシー絵みやげ』収集家と振り返る、懐かしすぎる平成グッズと“独自の文化”
【PROFILE】
山下メロ ◎ファンシー絵みやげ研究家・平成文化研究家。『平成レトロ』を提唱し、平成元年(バブル期)から平成初期にかけての風俗や文化の分析及び保存を行う。また、1980年代から1990年代に日本各地で売られていた子ども向けの土産品を『ファンシー絵みやげ』と名づけ、全国の観光地で保護活動を行っている。保護したファンシー絵みやげは21000種におよぶ。著書に『ファンシー絵みやげ大百科 忘れられたバブル時代の観光地みやげ』(イースト・プレス刊)がある。Twitter→@inchorin