今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。
そこで、本企画では1970年、80年代をメインに活動した歌手の『Spotify』(2023年7月時点で5億1500万人超の月間アクティブユーザーを抱える、世界最大手の音楽ストリーミングサービス)における再生回数をランキング化。当時のCD売り上げランキングと比べながら過去・現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、本人または昭和ポップス関係者への取材を交えながら進めていく。
今回も、チェッカーズのメンバーで、多くのヒット曲を手がけた鶴久政治にインタビュー。前2回は、チェッカーズの新旧のヒット曲について語ってもらったが、最終回は近年の活動や今年全曲解禁となったポニーキャニオン時代のソロ活動について触れていきたい。
(インタビュー第1弾→チェッカーズ「夜明けのブレス」は藤井フミヤへの“結婚前祝い”、鶴久政治が自作曲の数々に込めた思いを明かす 第2弾→鶴久政治が語る、チェッカーズに訪れた“反抗期”の裏側と作曲メンバーや藤井フミヤへの強い“リスペクトの念”)
「花は誰のもの?」はコンペで採用に! 本年4月には自身の楽曲がサブスク解禁
ここ数年の間で、鶴久政治が大きく注目された活動のうちのひとつが、秋元康がプロデュースするアイドルグループ・STU48のシングル「花は誰のもの?」の作曲を手がけたことだろう。オリコン調べでは、“イベント参加は1人あたり3枚まで”という制限のため売上が29万枚となっているが、ビルボードジャパンでは実売約44万枚。これはコロナ禍ということを考えると大健闘の数字だ。また、近年のアイドルグループでは珍しく有線放送や配信チャートでもランキングが伸びるなど、楽曲そのものに注目が集まったことも大いに評価すべきだろう。
《♪もしこの世界から 国境が消えたら 争うことなんかなくなるのに~》という衝撃的なフレーズから始まるマイナー調の繊細なポップスは、どうやって生まれたのだろうか。
「完全にコンペでした。ちょうどコロナ禍でいろんなライブが中止となった時期に生まれたメロディーで、すごくいいのができたと思ったので秋元さんに送ってみたら、本当に通ったんですよ! 自分で仮につけた歌詞でも、なんとなく世界平和をイメージしていたのですが、秋元さんがあんなに心にグサッとくる歌詞をつけるとは本当にシビレました。しかも、現役のアイドルの子たちが歌うからこそすごくいいんです。もともと僕はシュープリームスなどガールズグループの歌が好きなので、3年ほど前から、秋元さんのそういったコンペに参加するようになったんです」
そして’23年4月28日には、ポニーキャニオン時代に鶴久がソロ活動およびその関連で発表した全81曲の作品がストリーミングサービスで解禁となった。彼のソロ・デビューは’89年で、チェッカーズがランキング番組上位の常連だったころだが、ソロでも1年に3枚のシングルと1枚のアルバムというハイペースで発表していた。2つのアーティスト活動は、多忙ではなかったのだろうか。
「自分はずっと曲を作っているのが好きだったので、音楽の仕事が増えたとしても、趣味の延長で特に苦ではなかったですよ。確かに、常に〆切を守るように作る必要はありましたが、忙しいという感覚はなかったですね。初期のアイドル的な活動をしていた時代に“休む”という選択肢がなかったことが影響しているかもしれない。なにしろ、あのころは骨折してもステージに立っていたわけですから。あんなに忙しかったのに、遊ぶメンバーは遊んでいましたしね!(笑)」
チェッカーズの作品にも作曲で大いにかかわっている中で、ソロ楽曲との差異化はどうやって図っていたのだろうか。
「自分の中での礼儀として、チェッカーズを優先して作り、そこでプレゼンして選ばれなかった曲の中から、メロディーが好きなものをソロで歌うようにしていました。ちなみに、ゆうゆに提供した『25セントの満月』も、まずはチェッカーズでプレゼンして落っこちているんですよ。でも、後でフミヤさんから、“あの歌、なんでチェッカーズで出さなかったの?”と言われました(笑)」
沢田研二からの“お礼”に感激、高橋里奈とのデュエットはソロ関連で最大の売上に
また、鶴久のソロ作品の多くは、’80年代以降の歌謡ロック系の先駆者となった沢田研二のバックバンド・EXOTICSのメンバーだった西平彰が手がけている。
「ゆうゆへの提供作がきっかけだったのですが、その前から僕は沢田研二さんが大好きで、そのバックバンドのキーボードが西平さんだったんですね。そこから、ライブも含め多くの楽曲のアレンジをお願いして、それがご縁で’89年の沢田研二さんのアルバム『彼は眠れない』で曲を提供させていただくことになって(『僕は泣く』)。その出来上がりを聴いたとき、“やっぱりボーカルの力はすごいな……”と感動しました。その後お会いしたとき、沢田さんがこちらにいらして“ありがとう”って言ってくださり、大変恐縮しました」
そして、’92年には高橋里奈(当時:高橋リナ)とのユニット、MASARINAを結成し、デュエット曲「いい人でいられない」がロングヒット。オリコンでのシングル累計売上は約7万枚で、鶴久のソロ関連作として最大ヒットとなっている。なお、本作のプロデュースは秋元康だ。
「秋元さんがすごいのは、作詞だけじゃなく、それをどうやって人々に広めようかということも考えられているところなんですね。秋元さんのほうから、僕の作品で何かやりたいとお声がけしてくださって、まずはソロでシングル『君に逢いたかった』をアニメのタイアップを付けてやってみました。その次は、もっと話題性のあるものにしようと、当時同じ事務所にいた高橋リナちゃんとデュエットすることになったんです。これが意外と好評で、そのときのチェッカーズのシングル(『ふれてごらん』)よりも長く売れたことから、メンバーからは冷ややかな視線を浴びました(苦笑)」
ちなみに本作は、作詞:秋元康、作曲・編曲:後藤次利で、鶴久は作曲をせずボーカルに徹している。
「後藤次利さんのデモテープを聴かせていただいて、“プロの作家の方はさすがだなー”と感心しました。実は、デュエットの作曲は、男女のキーの問題やハモリをどう進めていくかがとても難しいんですよ。そのうえで、この曲はかなり攻めていて、次利さんのベースのうねりもカッコいいですからね!」
サブスクで人気の「あの夏の笑顔に」は「ワビサビがある」と鶴久本人も太鼓判
さらにチェッカーズ解散の翌‘93年に発表した「あの夏の笑顔に」「Bye Bye Bye」あたりのシングル曲は、それ以前に比べて確実に歌がうまくなっていることも要注目ポイントだろう。
「確かに声が太く男くさくなりましたね。でも、いくら歌がうまくなっても、セールスが反比例していったのは、まぁ人気商売なので、仕方ないなと思っていました(苦笑)。やっぱり、ボーカリストであるフミヤさんの魅力が大半で、僕はボーカリストして認められていたわけではないので……」
ちなみに、夏のプレイリストのいくつかに選ばれたこともあってか、鶴久名義の楽曲の中でのストリーミング最上位は、‘23年7月現在「あの夏の笑顔に」となっている。
「ええ? それは意外だし、うれしいです! これはワビサビがあって、自分で言うのもなんですがいい歌ですよ! このあたりで男性のソロシンガーとしての等身大像を出そうとして、男性の作詞家の方(徳永英明などで実績のある秋谷銀四郎)にお願いしたんですね。このころ、ようやくひとりで20曲前後続けて歌えるようになって、それで声が出るようになったんでしょうね。チェッカーズ時代は、メインを数曲分歌うだけでしたから。やっぱりソロの方やバンドのリード・ボーカルの方はすごいですよ。野球で言えば、毎試合、先発完投しているわけですからね。だから、今の時代になかなか出ないのもわかります。フミヤさんはじめボーカリストを極めた人や、自分で作詞をする人も、みなさん本当に素晴らしいです!」
サブスクは断然、肯定派。歌い手には「もっとチェッカーズの曲をカバーして」
今後の予定を聞いたところ、引き続きコンペ中心で、何曲かたまったら自分のライブでも歌ってみたいとのこと。しかし、「チェッカーズのセルフカバーは苦情が来そうだからやりません(笑)」と、やんわり否定した。最後に、ストリーミングサービスでの新たなリスナーに向けてメッセージをお願いした。
「アーティストさんによっては、サブスクに否定的な方もいますが、サブスクで聴けるからこそ身近になった人も多いわけですよね。昨今ではCDを買っても、聴ける環境にある人が限られてきていますから。サブスクは、ランダムに聴くことでいろいろな楽曲との接点が増えるし、その中で自分の曲を偶然にせよ聴いてくださるというのは、とてもうれしいです! Twitterでもときどき学生さんから反応が来るのですが、“小さいころ自分の親が聴いていた曲を改めてサブスクで聴いて感動しました”なんてメッセージをいただいて、めちゃくちゃ感動しました!
海外も含め、新たなリスナーさんがいるのはたぶん、フミヤさんが歌い継いでくれていることが大きいと思います。やはり、その原型をサブスクで探して聴くのでしょうから。それと、他のアーティストさんにお願いしたいのは、“もっとチェッカーズの曲をカバーしてください”ということですね。桃井かおりさんの『ジュリアに傷心』なんて、ものすごくカッコよくて感激しましたから。僕の曲じゃなくてもいいので、他の方もぜひお願いします!」
鶴久は、某テレビ番組では「毎年、高級車が買えるほどの印税が入ってくる」と大胆な発言をしていたが、この取材中は終始、博多弁で、謙虚な姿勢を示し、チェッカーズを通してかかわったすべての人たちにとても感謝をしていることがひしひしと伝わってきた。アイドルスターとロックバンドの魅力を兼ね備えた稀有な存在だったからこそ、今後もチェッカーズは語り継がれることだろう。その際、彼のように音楽を愛し続ける証人がいることが、とても貴重になってくる気がする。
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
【PROFILE】
鶴久政治(つるく・まさはる) ◎1964年3月31日、福岡県生まれ。’83年9月21日、 チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。サイドボーカル・メロディメーカーとして「夜明けのブレス」「Room」「ミセス マーメイド」をはじめとする数々のヒット曲を手がける。’92年12月31日、NHK紅白歌合戦への出演を最後にチェッカーズ解散。解散後もライブ、CD制作、作詞、作曲、プロデュース、役者等、幅広く活動。’22年、STU48に楽曲提供した「花は誰のもの?」は売上44万枚を超えるヒットを記録。’23年4月、ソロ名義でリリースした作品及びデュエット企画で発表した全81曲のサブスクでの配信を開始した。
◎鶴久政治 公式Instagram→https://www.instagram.com/masaharutsuruku/
◎鶴久政治 サブスク一覧→https://lnk.to/Tsurukumasaharu