第1回目は、東京・六本木にある『ル・ブルギニオン』の、菊地美升(きくちよしなる)シェフにご登場いただきました。
毎年パリのトレンドを吸収し、古典を進化させる独自のメニューで魅了
六本木ヒルズほど近く、通称「テレ朝通り」沿いにある緑あふれるエントランスを目指し、アプローチを抜ける。一軒家風の可憐なたたずまいに、ミントグリーンの窓枠が映える。重厚なブラウンの扉を開けると、窓辺のレースや室内にともる淡い灯りが、まるで友人宅に招かれたかのように温かな雰囲気で迎えてくれる。
クラシックな技法をベースに、フレンチらしい華やかさや季節感を大切にしながらも、常に“新しいひと皿”を模索する、菊地美升シェフ。日本のフランス料理界をけん引するベテランでありながら、学びを忘れない。
「毎年、夏にはパリの星付きレストランで研修し、本場のトレンドを肌で感じてきました。今のフランス料理界は、新しいものを追い求めて疾走しています。自分の料理や店を客観的に見つめる時間がほしい。夏休みには、初心にもどって各店の厨房に入らせてもらい、自分にはない発想や技術を勉強し直します」
これまでに修業してきた現地の店は、『アストランス』『ルドワイヤン』『ジョルジュ・サンク』など名だたる三つ星。ボルドーの名門シャトーがオープンした人気絶頂のグラン・メゾン、「ル・クラランス」で、キノコの掃除からジャガイモの皮むきまで、下働きに励んだこともある。また、ある年はモダンフレンチの雄、『ダヴィッド・トゥタン』で盛りつけの手伝いをしていて、「遅い!」と年下のシェフに怒られた経験も。
コロナ禍で海外渡航ができない現在は、日本の人気店で研鑽を積んでいる。
「食材へのアプローチや火入れの技術など、どのシェフも自分と異なる視点があり、吸収できることが多い」という菊地シェフ。豊富なレパートリーは、そんな研究熱心な姿勢ならではのもの。そうした努力が王道のフレンチに新風を吹き込み、さらなる魅力を生みだす。
その日のゲスト全員に同じ料理を出すお任せスタイルが主流の中、『ル・ブルギニオン』の最大の魅力は、1品ずつ注文できる料理が並ぶメニューだった。そのときの気分で1皿を選ぶ喜びは、菊地シェフがフランスでの修業中に知ったレストラン文化の神髄だ。
「フランス人は、週末ランチに来ると、メニューを決めるまでに1時間、デザートが終わるまで3時間、食事後のおしゃべりに1時間と、1日中レストランで過ごす。そんな優雅な文化を体験して、レストランがいかに人を幸せにする空間なのかを感じたんです」
ジビエや内臓料理など豊富なアラカルメニューは、通うほどに奥深く広がる世界。多種多様な食材を仕入れ、メニューリストを充実させてきた。
「アラカルトは、ひと皿のなかにテーマを持っています。何を皿のなかに盛り込むか、組み合わせるか。そのときの季節を、ひと皿に詰め込みます。その時々の食材をどのように変化させながら作っていくか、それがアラカルトならではの醍醐味です」
しかし、コロナ禍でそれができなくなった。店は2か月クローズに。再オープンしてからも、ワインの提供はできなかった。
「もう、レストランをやっていくのは難しい、店を閉めようと思っていましたね。ブルゴーニュならではのワインを目当てに来てくださるファンが多かったので、ワインが出せないのは致命的でした。また、アラカルトを出すには、多くの種類の食材を確保しておかなければなりませんが、コロナ禍でお客さまが少ない時期には、用意していた食材の多くを無駄にすることにもなってしまいました。
アラカルトを出す店は年々、減っていますから、楽しみにしてくれるお客さまも多かったのですが、今は一般的な“お任せコース”に切り替えました。それでもなんとかランチタイムには、前菜、メイン、デザートすべてを数種類から選べるプリフィクススタイルを継続して、ゲストにできるだけ多くの選択肢を提示しています」
ゲストの来店履歴を残し、毎回、異なるコース料理を提供
北海道・函館の実家が雑貨店だった菊地シェフは、忙しい母親の代わりに子どものころから自分の食事を作っていた。料理も苦にならないが、食べることが何より好きだったこともあり、料理人を目指した。
専門学校でそれまで縁がなかった本格的なフランス料理を初めて知り、興味を持った。フランス料理を食べたこともなかったが、コックコート(コック服)に憧れ、フォワグラなど、見たことのない食材にも惹かれた。
辻調理師専門学校を卒業後、多くの名シェフを輩出していた人気店『オー・シザーブル』や「クラブNYX」での下積みをへて、1991年に渡仏。
リヨン近郊『プーラルド』、南仏モンペリエの『ル・ジャルダン・デ・サンス』、ブルゴーニュのボーヌ『レキュソン』、そしてイタリア、フィレンツェの『エノテカ・ピンキオーリ』など、数々の星付きのレストランで修業。’96年に帰国し、東京・表参道の人気店『アンフォール』のシェフを務めたあと、’00年に独立し、『ル・ブルギニオン』をオープンした。
「オー・シザーブルで僕はまだ、学校を出立ての素人。何をやっても怒られて、毎日やめたいと思っていました。3年ほど我慢して
そこから約5年、人気シェフのもとで、さまざまなタイプのフランス料理を学ぶことができた。
「モンペリエの『ル・ジャルダン・デ・サンス』には、そのとき破竹の勢いだった大人気の兄弟シェフ、ジャック&ローラン・プルセル兄弟がいて、トレンドの料理に触れたいと、門をたたいて働かせてもらったのですが、連日満席で、仕込みをやってもやっても追いつかない。あっという間に朝になるので、ヘトヘトでしたね」
フランスで最後に研鑽を積んだブルゴーニュが、修業時代にもっとも思い出深い場所だったことから、自身の店を『ル・ブルギニオン』と名づけた。
ブルゴーニュの郷土料理はブフ・ブルギニヨン(牛肉の赤ワイン煮)が楽しめるが、定番の人気メニューは、にんじんのムースやブーダン・ノワール(豚の血や脂を使った腸詰め)。現在は一部の料理を、テイクアウトでも味わうことができる。
定番以外は、年に4回、季節ごとにメニューを変えるようにしている。素材の組み合わせは同じでも、毎年バージョンを更新していく。来店履歴を残してあるため、ゲストは店を訪れるたびに異なる料理を楽しむことができる。
ブルゴーニュでの修業時代、数々の生産者を訪ねたという菊地シェフはワイン通としても知られ、厳選されたブルゴーニュワインがリストに並ぶ。
「最初に修業したプーラルドで出会ったエリック・ボーマールは、世界一のソムリエになることを目標に掲げて勉強し、コンクールで準優勝しました。描いた夢にぐんと近づいた彼に触発されて一念発起し、自分も誰よりワインに詳しいシェフになることを決意して、ブルゴーニュでは、仕事の合間にワイナリーを100軒以上訪ね、ワインの勉強を重ねました」
「フランスで食事をするようにワインを楽しんでもらいたい」と、価格は驚くほどリーズナブル。
足しげく通うファンが多いのもうなずける、オープン以来、長きにわたり予約の取りにくい人気店である。
『ル・ブルギニオン』菊地美升シェフのスペシャリテ
◎アオリイカのサラダ
ポシェしたアオリイカの下には、水茄子と鯵のタルタル。モッツァレラチーズのエスプーマ、イカ墨のソース、水切りのヨーグルト、ディルのオイルを添えて。上に乗せられたマイクロサラダ、透明のシート状にしたトマト水のジュレが涼しげな、夏らしい前菜。
しなやかな噛み応えがあり、上品な甘さが口に広がるアオリイカと、シャキッと爽やかな水茄子に鯵のタルタルという異なる食感も新鮮。
◎ランド産鳩のロティ
フランスのランド地方から取り寄せた鳩をローストして、ジロール茸、静岡の北山農園の赤玉ねぎ、茄子を添えたメイン。ソースはクラシックに、鳩のジュレのみでまとめる。
ランド産らしい鳩の濃厚なコクと深い味わ
◎パイナップルのスープとマンゴーのサラダ
パイナップルの果汁のなかにマンゴーの果実がゴロっと入り、下にはココナッツのブランマンジェをしいて、オリーブオイルのシャーベットを添えた食感豊かなデザート。
連載第2回は、菊地シェフのご指名で、東京・日本橋の創作フレンチ『ラ・ペ』の松本一平シェフにご登場いただきます!
(取材・文/Miki D’Angelo Yamashita)
住所:東京都港区西麻布3-3-1
電話:03-5772-6244
URL:http://le-bourguignon.jp/
備考:ランチ「プリフィクスコース」5200円(税・サービス料別、以下同)、「季節のおまかせコース」8000円/ディナー「季節のおまかせコース」11000円