NHK朝の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』でヒロインの父親を好演し、見るものに強烈な印象を残した俳優の甲本雅裕さん。さまざまな作品で、普通のサラリーマンから犯罪者まで善も悪も巧みに演じ分け、日常の中に存在するリアルな表現で観客を魅了する。
俳優生活33年、幅広い役柄を演じ、活躍している甲本さんが、6月17日より上演中の舞台『テーバスランド』で二人芝居に初挑戦している。「久々の舞台で緊張している」という本作について、「役者」という天職への思い、56歳のいま大事にしている生き方……などについて語っていただきました。
今までのどんな作品より逃げたかった
──久しぶりに舞台に立たれるということですが、体力づくりなどはされるんですか?
「いや、まったくしていないです。強いていうなら、じっとしていること(笑)。ジムにも行ったことがないですし、少し近所を散歩する程度で。今までも体力づくりのために何かをしたことはないですね。まあ、もうちょっとしたらヤバいなと思うかもしれないですけど(笑)。どうせ老いていくものだし、役者は流れのままでいいかなと」
──久しぶりの舞台で、初の二人芝居への出演を決められた理由は?
「実は、今までのどんな作品よりも一番逃げたかったんです。単純に台詞の多さにも驚きましたし、怖くなって。“これは逃げたい”って、純粋に思いましたね。でも、もう1人の自分が“おまえ、逃げるのか?”と、ハッキリ言ってきて。“じゃあ、やってやるよ”って感じで決めました(笑)」
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舞台『テーバスランド』──モンテビデオ(ウルグアイ)で初演されて以降、ラテンアメリカ、ヨーロッパ諸国、インドでも上演され、世界中の観客の心をわしづかみにしてきた衝撃作。スペイン語圏で今、最も注目を集める劇作家の一人と言われるウルグアイ出身のセルヒオ・ブランコによる作で、2016年には英国演劇界で栄誉ある賞の一つ「オフ・ウエスト・エンド・シアター・アワード」で最優秀製作賞を受賞。今回が日本初上演となる。
登場人物は、甲本雅裕演じる劇作家のS、そして、浜中文一が演じ分ける受刑者マルティンと俳優フェデリコの3人。劇作家Sは、観客に向けて演劇作品『テーバスランド』を企画し、製作した経緯を回想しながら語る。現代のオイディプスを求めていた劇作家Sは、父親殺しの罪で終身刑に処せられていたマルティンという受刑者と出会い交流を重ねる。次第に心を開いてゆくマルティン。そして劇作家Sは彼のストーリーを上演するために俳優フェデリコを起用し、作品が組み立てられていく。たった二人で創り上げてゆく濃密な世界。その過程で見えてくる、マルティンとフェデリコの奇妙な共通点を通して、現実と虚構が交錯していく……。そして絶望の先に見える一筋の光。私ではない誰かと出会う必要性、私を見つめる誰かのおかげで自分自身が存在できていることを伝えてくれる、出会いの物語。
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──少し難しいテーマの作品なのかなという印象も受けますが、甲本さんが思われる舞台『テーバスランド』の魅力を教えていただけますでしょうか?
「僕は、父親殺しというような衝撃的な部分はそれほど意識はしていないです。この作品で描かれていることは、誰にでもあること。生きていたら誰にでも訪れるようなこと。そういう思いですね。この作品はここが肝です、と紹介するのが難しい。何が始まるわけでも何か終わるわけでもない作品というか。人はみんな寝る前に、翌日何が起きるか誰と出会うかわからないし、もしくは昨日と同じような人にしか会わないかもしれないし、同じようなことしかしゃべらないかもしれないし。そんな日々の日常という捉え方をしながら稽古をしています。父親殺しとか言ってるけれど、もしかしたら自分の生活に置き換えてみると何か近しいものがあるかもしれない。観てくださる方には構えずにご覧いただきたいですね」
──今作で演じる劇作家Sの役作りで大切にしたいことは?
「作家っぽさを意識しないように心がけています。脚本を読みながら感じたものをやっていく中で、“これがSなんだ”っていうものになっていればいいのかなと」
──役作りに対しては、どんなこだわりをお持ちですか?
「まず、さんざっぱら台本を読んで、あ~でもない、こ~でもないと考えますね。頭の中で、もうぐちゃぐちゃになるような状況にして、現場に入る前にそれを全部捨てられることが、一番いいことかなって。要するに、芝居は自分が考えているようなものじゃないよっていうことを感じられるのが、人と共演するってことなので。自分が考えてきたことを捨てられたら、一番楽しい方向に向かえるというか。もちろん実際には全部を捨てられるわけじゃないんですよ。自分がやりたいことも推したいこともすごくあるので。でも、芝居を続けてきている道中で、ある時からどれだけ捨てられるかってことも、考えるようになってきました」
役の中に素の自分だけは見えないように
──甲本さんが演じられると、どの役もその人物が実在するように感じて、つい感情移入してしまうのですが?
「ハハハ。役になりきるってよく言いますけど、僕はいつも“役になんかなりきれない”とずっと思い続けています。役の中に入り込むとか絶対に無理だって、いつもそこと戦ってますね。ただ、役の中に素の自分が見えないようにしないといかん、ということだけは考えています」
──そうなんですね。今作で共演される浜中文一さんについては、どんな印象をお持ちですか?
「とてもすてきですよ。彼自身の魂がフラットなので、話しやすいし、すごくやりやすいです。だからこそ、あえて仲よしになろうとしないようにしているというか。仲よくなろうと思うと、えてしてそうなれないことがあるので。だから成り行きにまかせればいいかなと。きっと『テーバスランド』がつなげてくれると思います」
──浜中さんとの二人芝居で、楽しみにされていることは?
「正直に言うと、稽古ではまだ楽しめていないですね。たぶん、ここに浜中くんがいたら、同じことを言ってるんじゃないですかね。もう本当にいま自分自身が精いっぱいで、余裕の余の字もないというか。ただ本番までには、気がついたら二人がなんか近くにいたなってなればいいかなと(笑)」
──稽古中は、楽しむよりも苦しんでいるということなんですね?
「そうですね。それが当たり前なんですけど。苦しむというか、仕事を受けるということは、ある種の地獄に自分からあえて飛び込んで行くっていうことで。それをさせてもらえることが幸せというか。日頃は何もないので。“僕は役者です”と言っても、演じる場を与えてもらえなければ何者でもないので。だから、とても大好きなものの中に入れてもらって、そこでラクしてどうするの?っていうこと(笑)。きっとラクじゃないから、楽しくなるんですよね」
20代から早く50歳になりたかった
──50歳を過ぎてから、考え方などご自身の中で変化したことはありましたか?
「あえて言うなら、まったく変わらなかったです。20歳のときと変わっていないんだったら、もう50歳って思う必要ないじゃないかと。だから、“これからの人生どうしようかな”とか思う必要もなくて。20歳のときと50歳でそれほど変わっていないなって、自分で思っているのに、“何で心配するの?”って。別に年齢はそうだけど、これから何があるのかわからないしワクワクしてたいな、っていうことだけですね。”僕、いま56歳ですけど、何か?“っていう感じ。でもドキドキしているし、時々ものすごく疲れるけど、ちょっと違うとしたら20歳のときより足がだるくなったかな~とか、腰が痛いな~とかぐらいですよ。例えば10歳のときにできなかったことを、50歳でやったっていい。だって大人なら許されるんだから。”50だぜ、できるよ“って。もう希望しかないっていうか」
──希望しかないって、同世代として励まされます。
「いやいや(笑)。そう思うと、やりたいことをできるスペースが、“50代からもっと広がるんじゃないの?”って思うんですよね。僕は、30歳になる頃に“早く50になりたいな”と思ったんです。成人して大人なのに“大人ってなんだろう?”って思いがあって、50代の人がすごく大人に見えたんです。だから憧れたんですよね。芝居をすることでも同じで。台詞で“君”っていう言葉を20代で使うのは、すごく戸惑いがあったんですよね。でも、50代なら気負いもなく使える。50歳を過ぎたら、人間が使う言葉の全部を言えるんじゃないのって。だから、50代からの人生は希望しかないんですね(笑)」
──50代から先の人生は楽しくてしょうがない?
「そうですね。だって、不安というのは、年齢に関係なくずっと不安なんだな、とかわかってくるじゃないですか。だったら、その不安になることに、不安にならないようにしようって思えたのは、僕は50歳を過ぎてからだと思うんです。不安とのつき合い方の要領がわかってきて、そのとき不安に思ったことだけを不安に思えばいいと思えたり。より生きやすくなっている」
日常にころがっている刺激がいちばん刺激的
──お仕事以外で大切にされている時間はどんなときですか?
「何もしないことですかね。仕事がないときは何もしない(笑)」
──それは、役者の仕事が趣味に近いくらい大好きだということですね?
「もちろん、それはあると思うんですけど。当時、自分自身に何もなさすぎたので、“みっかった!”って思いましたね」
──役者という天職を見つけちゃったんですね?
「はい(笑)。見つけました。大学でも就職でも何も見つけられなかった自分が、“あ! みっかった!”って思ったところから、30数年続けられているので。役者はオファーがこないと始まらない仕事。だからその奇跡をいつも待っていて。仕事がきたときには、毎回飛び上がるくらいうれしいというか。その繰り返しを待っていられることに、いま幸せを感じています。だって、いついらないって言われても仕方ないんですから。役者はごまんといて、そこにたった一個しかない役を与えてくれるということは、ほぼ奇跡。毎日が奇跡だから、それを待つのには不安じゃなくて希望を持っていないと。いま希望しかないっていうのは、そういうことでもあるんです」
──甲本さんが今、生き方で大事にされていることは?
「何でもなかったことに、だんだん気づけてくるのが50代なんじゃないかな。若い頃は、流行っているものに飛びついたりするけれど、何でもないっていうことが一番すごいなって思うし、何でもないことを何でもないようにできることが一番幸せだし」
──それは日常の生活の中のことですか?
「そうですね。日常にころがっている刺激がいちばん刺激的です。日頃はそれに気づかずに歩いているだけで。でも、気づいたときに、“あ~これだ。毎日やってたな、これ”って。“あ~、ここにドキドキがあったんだな”って、気づく瞬間とか。それは、ごはんを食べることもそうだし、家族に“おはよう”って言う一言だってそうだし。“お疲れさま”っていいなとか。そんなことを感じられるのって、今の年齢になってやっとだなと、しみじみ思うんですよね」
(取材・文/井ノ口裕子)
《PROFILE》
こうもと・まさひろ 1965年6月26日、岡山県出身。1989年から’94年まで東京サンシャインボーイズに在籍。在籍中『12人の優しい日本人』『ラヂオの時間』『彦馬がゆく』『ショウ・マスト・ゴー・オン』『罠』(以上、作・演出:三谷幸喜)など全作品に出演。’95年に劇団が充電期間に入り、活躍の場をTVドラマ・映画にも広げ、テレビ・映画『踊る大走査線』(フジテレビ系/’97-’12)、『遺留捜査』(テレビ朝日系/’11-’21)、『三匹のおっさん』(テレビ東京系/’14-’19)等のシリーズ作品でも活躍する。近年の主な出演作は、【舞台】『世界は嘘で出来ている』(’14-’17)、朗読劇『冬の四重奏(カルテット)』(’18)、『デジタル本多劇場』(’20)、【映画】『たたら侍』(’17)、『浜の朝日の嘘つきどもと』(’21)、『高津川』(’22)、【TV】『大江戸もののけ物語』(NHK BSP/’20)、『ただ離婚してないだけ』(テレビ東京系/’21)、連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』(NHK/’21-’22)、『だから殺せなかった』(WOWOW/’22)、6月19日より「連続ドラマW 松本清張『眼の壁』」(WOWOW/日曜22時~、全5話)に出演。
●公演情報
舞台『テーバスランド』
作:セルヒオ・ブランコ
翻訳:仮屋浩子
演出:大澤 遊
出演:甲本雅裕 浜中文一
日程:2022年6月17日(金)~7月3日(日)
会場:KAAK 神奈川芸術劇場 大スタジオ
公式Twitter:@TebasLand
問い合わせ:TEL.03-3234-9999(チケットスペース 平日10:00~12:00/13:00~15:00)