「クイズ王」は化け物だ。わりとガチで思っている。知識量だけでもすごいのに、百人一首よろしく問題の冒頭だけで出題内容を読み取り、早押し機をスパーン! と押したりする。そのたびに私はテレビの前でポケーッとした顔してポテチを食いながら「……なにごと?」と思う。
そんなクイズ王は昭和・平成・令和と何人も誕生したわけだが、中でもクイズ法人カプリティオ代表・古川洋平さんほど実績を持つ人はいないだろう。『パネルクイズ アタック25』『タイムショック21』(ともにテレビ朝日系)の高校生大会で優勝。日本最大の学生早押しクイズ大会『abc』で唯一無二の3連覇。そして法人で制作したクイズゲーム『ウミガメのスープ』シリーズは累計17万部のヒットとなっている。
今回はそんなクイズオタクの古川洋平さんのクイズ半生についてインタビュー。前編では「クイズを究めたきっかけ」などを伺った。
クイズでいじめを払しょくした小学生時代
──古川さんが、クイズにハマったきっかけは何だったんですか?
「もともと父親が『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系)の世代で、クイズ好きだったんですよ。それで僕をクイズ王に育てようとして、幼稚園のころに早押し機がついている『アメリカ横断 ウルトラクイズ』のボードゲームを買ってくれたんです」
──「クイズ王に育てよう」ってのはだいぶ特殊ですね(笑)。実際にクイズ王になられたので、念願叶(かな)っているわけですが……。
「さすがに冗談半分だったと思いますけどね(笑)。でも当時からよくなぞなぞで遊んでいたのを覚えています」
──当時「もうなぞなぞは嫌!」みたいな、拒否感はなかったんですか?
「ありませんでしたね。むしろとても前向きでした。当時、幼いながら“クイズなら大人と対等に遊べる”と感じていました。
例えば相撲とか、フィジカルの競技だと、子どもは絶対に大人に勝てないじゃないですか。でもクイズなら知識さえあれば、老若男女が誰でも対等に楽しめます。今はクイズ法人カプリティオの代表として、クイズやゲームを制作しながら同じことを考えていますが、思い返すと幼稚園のころからこの感覚がありましたね」
──いやもう、すんごい早熟ですよね……。その後、小学生になっていく中でクイズは続けていたんですか?
「はい。好きでした。僕、小学生のころは、すごく引っ込み思案でいじめられっ子だったんですよ。でもクイズを通して、いじめを解決できたという出来事があったんです」
──どういうことでしょう?
「小3のときに“サークルのような班を作る”というクラスでの取り組みがあって、僕はクイズをみんなに楽しんでほしくて“学習班”を作ったんですよね。
その活動で“壁クイズ”といって、自分で作ったクイズを廊下に貼り出して、わかった人は僕に耳打ちしにくる、という遊びを思いついたんですよ。それがクラスですごく盛り上がったんです。壁クイズが毎日クラスの話題の中心になるくらい」
──なるほど。クイズによって、世界が広がるというか……周りとつながれたんですね。これは大きな成功体験です。
「そのとおりです。この前まで僕をいじめていた子が、僕に耳打ちで回答をしてくる光景は、うれしくて今でも強烈に覚えています。クイズを通してみんなとコミュニケーションをとれるようになったんですよね」
──つまり今のお仕事を当時からしていたわけですよね。ちなみにどんな問題を出していたんですか?
「今考えると、そうですね。当時から出題も工夫していました。例えば“歴史上の人物は?”みたいな知識量を試すクイズは学校の勉強と変わらないので、盛り上がらないだろうな、と。そこで“クラスメイトの名前”を入れた、ある・なしクイズを出題したんですね。
たとえば“あるのほうは名字と名前の最初の文字をくっつけると魚の名前になる”という問題を出しました。田中一郎だったらタイ、みたいな。これだと知識量は関係ないし、しかも“クラスに所属している自分だけがわかる”という特別感を得られるから喜んでもらえそうだな、と思っていましたね。
回答者が楽しんでくれるうえで “自分だけがわかる”という特別感を演出することは、今も大事にしています」
──とんでもなく頭がキレる小学生ですごい(笑)。そして何より、当時から「周りに楽しんでほしい」という優しさがあったことが素晴らしいな、と思いました。
「そう言っていただけるとうれしいですね。昔から自分の喜びより、周りが楽しむ姿を見るのが好きなんですよね。
こうして人生にフォーカスしてインタビューしていただけることは少ないのですが、今考えると、小学生のときの成功体験が自分の人生に大きな影響を及ぼしているのかもしれません」
高校生日本一に”なっちゃった”アタック25
──そこから高校で『アタック25』と『タイムショック21』の高校生大会で優勝するわけですよね。ということは中学でもクイズを続けていたんですか?
「いや、それが中学の3年間はすっかりクイズが頭から抜けていました。中学ではバスケ部に所属していて、生徒会にも入っていて、バンドもしていたんですよ。それで忙しくてクイズをやる時間もなかったんです」
──マンガの主人公みたいな中学生ですね(笑)。そこからどうやってクイズ全国1位の高校生になるんですか?
「もともと“高校でもバスケをするのかなぁ”ってぼんやり考えていたんですよね。でも地元・宮城県の僕が住む学区には行きたい進学校が仙台第一高等学校(以下、仙台一高)しかなくて、通うためには自転車で往復2時間かかるんですよ。これは通学だけで疲れるだろうからバスケは到底できないな、と(笑)。
それで当時はマジックにもハマっていたので奇術部に入りたかったんですが、仙台一高にはなかったんです。だからもう“いちばん楽そうなところに入ろう”と。そんなときにクイズ愛好会があったんですよね。部でも同好会でもない、愛好会というのがラクそうだったので入会しました」
──最初はクイズ志望じゃなかったんですね(笑)。意外すぎました。
「そうなんです。それでクイズ愛好会に、幼少期に遊んでいた『アメリカ横断ウルトラクイズ』のボードゲームがあったんですよ。僕はその早押し機に慣れてるじゃないですか。だから1年生から大活躍したんです」
──おぉ、ここで幼少期の経験がつながるわけですか!
「そうです。それで先輩から“『アタック25』の高校生大会出なよ”と。中学のバスケ部ではあまり活躍していなかったので、認められたのがすごくうれしかったんですよね。それで本格的にクイズの勉強をしてみよう、と思いました」
──なるほど。居場所ができる、というか。ここでもクイズで周りとつながれたんですね。ちなみに当時はどんな勉強をしていたんですか?
「一つひとつの問題に対して“基礎を押さえたうえで応用も覚える”という感覚を身につけていましたね。
たとえば“韓国の首都はどこでしょう”という問題が出たら“ソウル”だけを覚えるのではなく、韓国くらいの知名度の国の首都を全部暗記しておく、という感じです。こういった学習法で“文豪と作品名”など、ほかの分野も勉強していきました」
──なるほど。クイズ好きの方はそういった学習をしているのか……。それで、実際にアタック25の高校生大会に出場して優勝するのがすごい……。
「僕は正直、当時“日本一になっちゃった”という感覚だったんですよね」
──「なっちゃった」とはどういうことでしょう。
「今でも、当時の自分に日本一の実力があったのか疑問なんですよ」
──どういうことですか?
「まず出演について、面接の際に大阪の放送局から来たスタッフさんの前でマジックを披露したんですよね。そうしたら“君おもろいやん! 本番でもできるのそれ?”って、気に入ってくれたんですよ。それで出演できることになったんです」
──なるほど。奇術部には入れなかったけど、マジックやっていてよかったですね(笑)。
「そうなんですよね(笑)。だからまず出演できたのはクイズの力だけじゃないんですよ。
それで本番を迎えるんですけど『アタック25』って正答したらパネルを獲得できて、オセロ形式で相手のパネルをひっくり返すシステムじゃないですか。だから“正解することじゃなくてパネルを獲ること”が正義なわけですよ。
だから実は答えはわかっていたけど、答えずにスルーした問題が2問あるんですよ。要するに、“ここは相手に獲ってもらったほうが、オセロ的には優勢になる”という盤面があったんですね。もともと僕はオセロが得意だったんで、クイズというより、オセロで勝ったという実感がありました」
──結果的にはアタック25をハックした結果、勝てたという意識があったわけですね。
「そうなんですよ。でも優勝した手前“日本一クイズが強い高校生”として見られる可能性もあるわけじゃないですか。僕より強い人もいるのに。だからその後はもうめちゃめちゃクイズに打ち込みましたね。当時はかなり焦ってました。
今まではクイズの正解だけ覚えていたんですが、ここから前振りの内容も全部記憶するようになりました。教科書や問題集も1問ずつ隅々(すみずみ)まで記憶するようになりましたね。
何か学習するときにいろんな本をつまみ食いで読む人も多いと思いますが、1冊の教科書を細かく記憶するほうが確実に知識になるんですよ。僕もこの時期にクイズに答えるスキルが飛躍的に高まった実感がありましたね」
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※後編では大学三連覇からクイズ法人カプリティオ設立までの半生。また「クイズは自分ではなく周りに楽しんでもらうためにあるもの」という思いを伺う。
(取材・文/ジュウ・ショ、編集/FM中西)