小学生のころ、学校が終わるとお小遣いの50円玉を握りしめ、駄菓子店に走った。『チョコバット』『のしいか』『キャベツ太郎』などを買い食いし、メンコやアイドルのブロマイドを集めも。店番のおばあちゃんはいつも優しく迎えてくれた。駄菓子店は小学校の学区も学年も超えて子どもたちが集う、大人が踏み込めない「聖域」だった。
最近、『昭和レトロ』ブームが追い風となり、昭和の面影を残す昔ながらの駄菓子はなおも根強い人気で人々を魅了している。
「テーマパーク内にある昭和スタイルの駄菓子店はどこも大人気です」(旅行ガイドブック編集者)
だが、その一方でかつて小学校の前や近所の民家の一角にあった“本物”の駄菓子店は次々に姿を消している。
昔ながらの駄菓子店は次々と廃業
「店主の高齢化や住宅の建て替えなどで、昭和40年代、50年代にあったような昭和スタイルの駄菓子店は数を減らしており、今ではかなり珍しい存在です」
そう指摘するのは駄菓子屋ハンターの土橋真さん。
埼玉県川越市で70年近く駄菓子問屋を営むあらいさんも、ため息をもらす。
「問屋から見ても、駄菓子店が次々に減っているのを実感しています。後継者がいない店主の高齢化などが原因で、廃業してしまうんです」
時代が変わり、駄菓子店以外の職業の選択肢ができたことも要因とみられる。
「昔は働きたくても子どもを預ける先がない女性や高齢者が、自宅でできる仕事として駄菓子店を営むこともありました」(あらいさん、以下同)
令和の今、駄菓子店の経営は非常に厳しいという。
「まず、賞味期限の問題。駄菓子は単価が5円から商品がありますが、仕入れは100個から。売り切るまでに日数がかかり賞味期限が切れて、その結果、廃棄することも非常に多い」
次に消費税の問題。
「駄菓子店で消費税を取るのか、と言われることもあります。駄菓子店も小売店、消費税の納税義務があります。高齢の店主で消費税をサービスしているところもありますが、それはお店の負担にもなっているんです」
自転車を無造作に店の前に止めたり、子どもたちの声に近所からクレームが入り、遅い時間までたむろすることを心配する声もあるという。
「駄菓子店だけでなく、メーカーの問題もあります。多くは中小零細企業で家族で経営しているところも多く、作り手が高齢化したり、機械が壊れて廃業するところもあります。そうなると珍しい駄菓子、懐かしい駄菓子はどんどん減っていきます」
あらいさんは、そんなやるせない心情を吐露する。
土橋さんも説明する。
「多くの駄菓子メーカーでは製造できる数が少なく、納品数は限られています。ですが、駄菓子を食べる人、買う人が増えており、商品の奪い合いが起きてしまい、商品をコンビニやディスカウントショップなど大手が直接メーカーから買い占めてしまえば、問屋には入ってこない」
流行っているように見えるのが悔しい
“駄菓子店”自体が減っているわけではない。
「新しい形態の駄菓子店が広まっています。昭和スタイルのような従来の自宅での駄菓子店ではなく、ほかの業種と兼業するさまざまなタイプの駄菓子店が誕生しているんです」(土橋さん、以下同)
例えば、文房具店やハンドメイドショップなど別の業種の店舗の一角や、学童クラブや老人ホームで販売したり、移動販売をする駄菓子店もある。
「駄菓子店文化の灯火(ともしび)は消えてはいません。ですが、文化を残すためには駄菓子店だけでなく、駄菓子メーカーと問屋を守る必要があります」
駄菓子メーカーがなくなれば、問屋も商品を仕入れることができずに廃業してしまう。
「“●●がなくなる”とSNSなどで拡散されると買い占めが起きてしまう。駄菓子も駄菓子店も限りがあります」
問屋であるあらいさんは、ブームの実感はないと言う。
「いわゆる昔ながらの駄菓子店が減っているので売り上げも減っています。それに、来店するお客さまみんなが商品を買うとは限りません」
問屋業の傍ら駄菓子店も営むあらいさん。買う人は1人なのに数人がついてくる。休日はお客がひっきりなし、休む暇もなく、経営は厳しい。
「コンビニ感覚で“懐かしい”と言って何も買わずに帰る人や見学だけの人に弱ってしまいます。ガム1個でも購入してもらえれば……」
あらいさんは肩を落とす。周囲から見れば流行(はや)っているように見えるのも悔しいという。
「来てくれるのはうれしいんですが、声をかけても無視する人や、トイレだけ借りて帰る人も……」
あらいさんら店主は、そのジレンマに悩まされている。
駄菓子店は日本ならではの大切な文化
「駄菓子メーカー、問屋、駄菓子店があるからこそ、子どもたちは限られたお小遣いで気軽に買えるんです。大人が“懐かしい”という思いだけで買い占めるんじゃなくて、子どもたちや、長年愛されてきた商品を作り続けるメーカーや職人がいることにも目を向けて、駄菓子を大事にしてもらいたい」(土橋さん、以下同)
駄菓子は何十年も変わらない味を提供してきたことも特徴。親子2代、3代で同じ味を楽しむことができる。
「駄菓子店は親子をつなぐ懸け橋としても大切な場所。大人と子どもが思い出を共有できるんです」
それに、子どもたちと店主とのコミュニケーションは失われていないという。
「親には言えないことを打ち明けてくれる子もいます。中には、親になった子が自分の子どもを連れて来店してくれることも」(あらいさん)
駄菓子や駄菓子店は、海外からも注目されているという。
「コロナ前は駄菓子店を訪れるのを楽しみにしていた外国人旅行者は多く、人気も高まっています」(土橋さん)
では今後、駄菓子店はどう変わっていくのだろうか。
「駄菓子店はなくなっていくと思います。メーカーがなくなり、問屋がなくなれば同時に小売店もなくなります。でもどうやって残したらいいのか、私たちにもわからない」
あらいさんの反応は非常にシビアだ。一方の土橋さんは希望を捨ててはいない。
「私は変わり続けて残り続けていくと信じています。昭和スタイルの懐かしい駄菓子店は悲しいけどなくなるかもしれない。ですが、その志を持った新しい形態の駄菓子店が増え、残り続けていくと思います。駄菓子店は日本ならではの大切な文化です」
(取材・文/当山みどり)