“しょうゆ”は日本人の食生活に古くから根づいてきました。台所にしょうゆがない家はないと言ってもいいくらい私たちには不可欠な調味料の1つです。発酵の謎に迫るシリーズ第2弾(全2回)では、日本古来の調味料“しょうゆ”を取り上げます。ヤマサ醤油株式会社でしょうゆを研究している豊島快幸さん(醤油研究室)に、しょうゆの作り方を教えてもらいました。
大豆で作らないとJAS規格ではしょうゆと認められない
──しょうゆの原料は大豆ですよね?
「はい。でも、大豆だけではなく、“小麦”と“塩”も使います。しょうゆの種類によって若干変わってきますが、“濃口しょうゆ”や“淡口しょうゆ”など、一般的なしょうゆは、大豆1に対し小麦も1の割合で作ります。しょうゆも発酵食品なので、大豆と小麦に“こうじ菌”“乳酸菌”“酵母”といった3種類の微生物を加え、それぞれの働きで発酵させていきます」
──大豆と小麦を均等に配合するとは思いませんでした。
「しょうゆはしょうゆ蔵の樽(タンク)で作られますが、温度や湿度、発酵にかける時間、あるいは材料の品種、菌類の種類や混ぜ方など、製法や条件がちょっと変わるだけで味や香りが変わってきます。しょうゆ作りには長ければ1年以上時間がかかります」
──時間と手間がかかるんですね。では、もっとも一般的な“濃口しょうゆ”の作り方を教えてください。
「原料になる大豆は蒸して、小麦は炒(い)ります。そこに“こうじ菌”を加えて“こうじ”にします。大豆を蒸して小麦を炒るのは、こうじ菌が原料を分解しやすくするためです。生のままの大豆や小麦だと、こうじ菌が働きにくいので、原料を加熱して柔らかくします」
──こうじ菌はどんな菌なのですか?
「カビの一種で、たくさんの酵素を出す生き物です。こうじ菌が出した酵素の力で、大豆のたんぱく質はアミノ酸になり、小麦のでんぷんはブドウ糖などの糖に分解されます。これが“発酵のスタート”です。アミノ酸はうま味、ブドウ糖は甘味になります」
──たんぱく質とでんぷんでしょうゆが作られるのなら、大豆や小麦以外の材料でもしょうゆを作ることもできるわけですか?
「しょうゆのような調味料は世界各地にあります。秋田県の“しょっつる”やタイのナンプラーなどは魚のたんぱく質を使っているので“魚醤(ぎょしょう)”と言われます。大豆以外の原料を使っているしょうゆもありますが、JAS規格(日本農林規格)の定義では、しょうゆの原料は“大豆と麦、米等の穀類”と決められています。原材料に大豆を使っていないしょうゆは、厳密に言うと“しょうゆ”の定義から外れてしまうんですね」
400年前の“こうじ菌”がいまも受け継がれている
──こうじ菌が違うと、味も違うのでしょうか?
「こうじ菌ごとに違ったしょうゆのおいしさ、味わいがあります。ほかにも発酵・熟成の管理方法や、火入れの仕方によって、独自の味わいが作られます。
弊社には“ヤマサ菌”という、創業時から受け継がれてきたこうじ菌があります。弊社のしょうゆは澄んだ赤色と華やかな香り、キレのある味わいが特徴で、和食の職人さんに聞いても“刺身のおいしさを引き立てるしょうゆだ”と言ってくださる方が多いですね。刺身は身を締めても、多少の生臭さはどうしても残ります。ヤマサ菌で作ったしょうゆは香りが立つので、生魚の生臭さを覆い隠してくれるんです」
──しょうゆには“消臭効果”もあるんですか?
「消臭スプレーほどではないにしろ、臭み消しの効果はあると思います。しょうゆに含まれている“香り成分”や有機酸、アミノ酸などの成分には食材の生臭みをマスキング(覆い隠す)働きがあるんですね。弊社のしょうゆにはそういった成分が多く含まれているので、臭みを消す能力も優れているのかもしれません」
──その貴重な“ヤマサ菌”はどうやって受け継がれてきたのでしょう?
「弊社の創業は江戸時代の1645年です。創業者の濱口儀兵衛はしょうゆ発祥の地と言われる紀州由良(現和歌山県日高郡)の隣村に生まれ、おそらくは郷里でしょうゆ造りを学んだのだと思いますが、後にしょうゆ造りの本場の技と味を銚子に持ち込み、弊社を創業しました。そのとき一緒に持ち込んだのがヤマサ菌です」
──江戸時代までさかのぼるんですか? ヤマサ菌には400年近い歴史があるわけですね。
「基本的に、こうじ菌にはオスとメスがありません。胞子という自分の分身をまき散らしながら、子孫を増やしていきます。他の菌類と交わることがないので、受け継ぎやすかったのかもしれません。
1900年代になると純粋培養技術が開発されて、それからは無菌状態でヤマサ菌を保存できるようになりました。研究室にも古い時代の“ヤマサ菌”が残っています」
──豊島さんもご覧になりましたか?
「はい。保存されていたこうじ菌がちゃんと生きているのかどうかを確かめるために、昭和初期のヤマサ菌を復活させようとしたことがありました。保存状態もよさそうで、中身もそんなに古くなっているようには見えませんでした。大切に守られてきたのでしょう。歴史の重みを感じました。“この菌を復元できなかったらまずいな”と思って、いつもより多めに菌を植えたら、びっしりと生えてきました」
──90年も前のこうじ菌がしっかり生きていたわけですね。
「驚きました。微生物が自分の想像を超えた機能を持ち合わせていたり、知らないことを発見させてくれたりすると本当に嬉しくなります。つくづく微生物の研究には終わりがないなあと感じます」
“塩”を加えるのは、“こうじ菌”を殺すため
──しょうゆを作るには、蒸した大豆と小麦にこうじ菌を足して、こうじを作ります。その次の流れを教えてください。
「その後に食塩水を入れて諸味(もろみ)を作ります。諸味は最終的な塩分濃度が16%ぐらいになるように調整します」
──海水の塩分濃度が約3.4%だから、かなり濃いですね。
「そうなんです。こうじ菌は湿気には強いんですが、水や塩分には弱いんです。だから食塩水と混ぜ合わせると死んでしまうんですよ」
──貴重な“ヤマサ菌”を殺してしまうんですか?
「はい。こうじ菌は原料になる大豆と小麦を食べて増えていきますが、原料を食べ尽くすと、今度は原料が分解されて出てきたアミノ酸などを食べてしまうんです。そうするとうまみ成分が飛んで、風味を損なってしまいます。だから、ある程度こうじ菌を生やしたら食塩水を入れて、こうじ菌の活動を止める必要があるんです。
こうじ菌の活動を止めると、次は“乳酸菌”の発酵が始まります。乳酸菌はブドウ糖を食べて“乳酸”を生み出します。これが2つ目の発酵……、いわゆる“乳酸発酵”です」
──こうじ菌は小麦のでんぷんを分解してブドウ糖を作る。そのブドウ糖が乳酸菌のエサになるんですね。
「そうです。乳酸菌が乳酸を出すと、諸味全体が弱酸性になります。弱酸性だと酵母が働きやすくなるんですね。私たちがおいしいと感じる食べ物はだいたい弱酸性なんですよ」
強烈な匂いが染みついて、1日たっても取れない
──乳酸菌はヨーグルトだけでなく、しょうゆ作りでもいい仕事をするんですね。酵母はどんな働きをするのですか?
「酵母もブドウ糖を食べて、アルコールと炭酸ガスを作り出します。これが3つ目の発酵です。酵母が作ったアルコール類と、乳酸菌が作った乳酸などの酸などが化学反応を起こしてさまざまな香りになるんです。
発酵が進んだ諸味の匂いはかなり強烈で、諸味を作っている蔵に入ると、諸味の匂いが染みついて取れなくなるんですよ。研究室にいると、突然なんとも言えない濃厚な匂いが漂ってくることがあるので、“ああ、誰か蔵へ行ってきたな”とすぐにわかります(笑)」
──かなり強烈ですね。
「強烈です。蔵に入ったのが午前中でも、退社する時間になってもまだ匂いが取れないくらいですから」
──どんな匂いなんですか?
「諸味の発酵がうまくいかないと、諸味の表面が白くカビの生えたような状態になってしまいます。その匂いを“酸膜臭”と言います。酸膜臭が出ないように管理しなければならないのですが、いい諸味はアルコール類のすっとした香りに、甘く、濃厚なしょうゆの香りが混ざり合った何とも言えない香りになります」
──この段階ではまだしょうゆっぽくないんですか。
「はい。まだ未熟なしょうゆの状態です。タンクの中で諸味を寝かせていくうちに、アミノ酸と糖が“メイラード反応”を起こして、しょうゆの色や香り成分が生成されます。メイラード反応というのは、肉やパンを焼いたときに色が褐色に変わっていく反応です。
肉は高温で焼きますが、諸味の場合はもっと低温(20~30度ぐらい)でじっくり熟成させていきます。メイラード反応が起きたときにできる“メラノイジン”という物質が、しょうゆの色を作るんですが、あまり色を付けたくない淡口しょうゆは低温で管理したり、しょうゆの種類によって熟成の温度や期間を変えます」
しょうゆもヨーグルトみたいに乳酸菌で発酵させていたとは知りませんでした。それにしても、諸味を醸造中の蔵に入ると匂いが染みついて1日じゅう取れないとは驚きです。その蔵にいっぺん入ってみたいような、入ってみたくないような……。次回はおいしいしょうゆを作るために、開発者がどのように味覚を鍛(きた)えているか等々を伺います。
※第2回:【しょうゆ#2】ヤマサ醤油は日本で最初のソースを作り、現在は医薬品の原料も作っている!(11月13日17時公開予定)
(取材・文/久保弘毅)