ある時はトキメキ、ある時は癒やしを抱かせる。いつの時代になっても女性たちを楽しませる少女まんが。その始まりは、明治時代にまでさかのぼるほどに歴史は深いそうで、当時の貴重な資料も多く残されている。
そんな貴重な蔵書から2000年発行のものまで、6万冊以上そろった私設の少女まんが図書館がある。聞いてびっくり、その場所は東京・あきる野市の山中にあるのだとか。
残暑が著しい真夏の某日。その正体を突き止めるべく、取材班は都心から1時間以上かけて向かうことに。到着したのはJR五日市線の武蔵増戸駅。駅を出ると遮るもののないワイドビューが広がる。最高。
ホームページに掲載された道案内に従いながら、山中を目がけてただひたすら歩く。
秋川とキャンプ場を背に鬱蒼(うっそう)とする山道へ入っていくも、突如、豪雨による通行止めで行く道を阻まれ、迷子に。日中だというのに薄暗くヒヤリとした空気に心細くなる。迂回に迂回を重ねてようやく辿り着いた頃、駅を出発してすでに40分経過していたのだった。
木々に包まれた真っ青な建物、そこが今日のお目当て「少女まんが館」、通称「女ま館」。いや本当に、ただただ目立つ! 一見すると、何の建物なんだろう……とちょっと近寄りがたさもあったり。
恐る恐る中へ入っていくと、出迎えてくれたのは……。「女ま館」を運営する、作家の中野純さんと大井夏代さん夫婦。おふたりに、その実態と開設までの歴史について尋ねた。
きっかけは少女まんが好きの集い。仲間と意気投合し、ノリで始める
もともと少女まんがが大好きだった中野さんと大井さん。時は1995年、当時はまだインターネットが普及しておらず、パソコン通信でできた仲間と交流を続ける日々だったという。
パソコン通信仲間と夜な夜なおしゃべりにいそしむ大井さんは、ある日「実は少女まんがが好きなんです」と打ち明けた。すると、呼応するかのように「私も」「俺も」と次々、同じような思いをもつ仲間が集まりはじめ、気づけば日夜、まんが話に盛り上がる会が繰り広げられたそう。
「毎日のように盛り上がり続けるんですけど、話している最中に、どうしても思い出せない作品のタイトルや作家名、登場人物の名前とかが出てくるんですよ。“なんだったっけな〜、ほら、アレだよアレ……”みたいな感じで、そのことが気持ち悪くて。こういう“なんだっけな〜”がすぐわかる、“少女まんが大事典”があればいいのになあ、と仲間内で盛り上がったんですよ。それがきっかけです」と笑って話す中野さん。
そのうち、「大事典を作るには、全国にある新旧の少女まんがを一か所に集めないとね」「それに、寝っ転がって気軽に読める“少女まんがの家”みたいな場所が欲しいよね」と、拍車がかかっていく。ひとしきり燃え上がったところで、最終的に一般公開する場所として「少女まんが館」構想が生まれた。
そうこうするうちに、仲間のひとりから「空き家になっている実家が東京の日の出町にあるから、ここをまんが図書館にすればいい」と話を持ちかけられる。その提案に乗り、1997年3月、“少女まんが世界の永久保存”を目指し、8人の仲間とともに「女ま館」の共同運営を始めたのだった。
都心から日の出町まで通う日々。ついに移住して住みびらき図書館へ
こうして東京の奥多摩地域・日の出町に作った「女ま館」は、都心から電車とバスを乗り継いで2時間くらいかかる場所。仲間の多くは平日、都心で仕事をしているため、休日を利用して週に1日、日の出町に通いながら、空き家を掃除してはレイアウトを変え、持ち寄ったまんがをひたすら運び入れる日々を送る。運営の発起人である中野さん・大井さん夫婦も、当時は世田谷区に住んでおり、毎週末、電車で日の出町に通っていたそう。
「築100年の建物で、とにかくボロかったから掃除したり、壊れた箇所もいろいろとあったりしたので修理して。持ち主が残した謎の不用品が多いから、いくらやっても片づかなくて。ちょっとした骨董品とかも出てきてね。それこそお宝鑑定に出せそうなくらいの品もあったんです。まんがを運び入れることよりも、片づけをするほうが必死でしたね」と、当時のことを振り返る大井さん。
それにしても、この重労働を仕事ではなく趣味で行うとは、相当にまんがへの深い愛がないと続かないのでは……。そうなのだ。ここまでは仲間内でわいわいと楽しく、ボランティアで行ってきたのだが、次第に皆の足が遠のいていった。中野さん・大井さんはその様子に責任を感じ、「これは言い出しっぺの私たちがやりきらないといけない」と、とうとう夫婦ふたりだけの運営体制に切り替えることを決意する。
それと同時に、夫婦は世田谷から日の出へと自宅を移すことにした。思い切った決断だったと思うが、仕事は問題なかったのか、不安には思わなかったかと聞くと、中野さんと大井さんは「文明の発達によって、私たちの生活は救われたんです」と笑う。
ふたりを救ったのは、インターネットの発達だった。フリーランスで出版・制作の仕事をしていた中野さん・大井さんは、当時は“都心のクライアントがメインだから、引っ越すことで仕事に困るかな”と不安も覚えていたが、ネットでのやり取りで多くの仕事が完結できたことで、結果的にはさほど影響はなかったという。
こうして背中を押してくれる要素がたくさんあったことで、2001年末に夫婦で移住。「女ま館」に住みながら図書館として、仲間や知人に限定公開する暮らしがはじまった。
2002年8月には入館料無料で週1回の一般公開をスタート。その直後に夫婦に子どもが生まれ、「女ま館」で育てながら暮らす日々だったそう。
「娘はね、このまんがの中にまみれて育ったと言ってもいいくらいです。公開していない時はまんがの閲覧室に蚊帳を吊(つ)って、よく娘をお昼寝させていたものです」(中野さん)。娘さんはまさに筋金入りのまんがっ子。なんとも羨ましい育ち方である。
事件発生! 「女ま館」が立ち退きを迫られる
日々、住みびらきをして過ごしていた2007年のある日のこと。それは突然の出来事だった。「女ま館」として使っていた借家が、地主の事情でなんと競売にかかってしまう。これによって立ち退きを余儀なくされてしまったのだという。
「突然のことでしたよね、本当に。私たちは何も知らなくて。ある日、競売のことを知らされたんです」(大井さん)
それにしても、中野さんと大井さんの少女まんがを巻き込んだ人生には、どうしてこうもハプニングがもれなくついてくるのだろうか。
「私たちもまさかこんなことになるとは思いませんでしたけど、どうにもできないわけで……。出ていくしか手段がないことがわかったんです。でも、その時にはすでに蔵書が3万冊もあり、これをどこへ持っていけばいいの? いったいどうすればいいんだ! っていう状況でした」(中野さん)
捨てるに捨てられない、でも家からは出ていかなくちゃいけない──窮地に立たされた中野さん・大井さん夫婦は、ここでもやっぱり「いや、どこか場所を移してでも続けなくてはいけない」と決意する。
3万冊の漫画と幼子を抱えて、“家なき子”状態。普通に考えて、まずは漫画を手放してくれ、と周りは止めにかかるだろう。まんがとともにホームレスはきついです……。
「そうそう、やっぱり親や親戚などからは、想定どおり反対されたんですよ。“いい機会だから、もうやめなさい”と。でも私たちはやめるつもりは全くなかった。やめろと言われればもっともっと燃えるのですよ。だって、みんなの大切なまんがを引き受けてしまっているんです。それ以上に、可愛いまんがたちを手放すわけにはいかない。もうこれは私たちの使命だというような気持ちでいました」(大井さん)
借金する覚悟で、土地を買い新たな建物を建てて再出発
使命に燃えると言いつつも、家族の住む場所はどうなるのか。そこで、ふたりは自分たちで「女ま館」を作り直せばいいのだと、ついに同じ日の出町内で、土地と家を買うことを決める。
とはいえ小さな娘さんがいて、裕福とは言い難いクリエーター生活をしていた大井さんと中野さん。いったいどうしたのか?
「なけなしの貯金をはたいても足りなかったので、借金することを覚悟したんです」と中野さん。
まんがのために借金……! どこまでも突き抜けるまんが愛。すると、その熱意に絆(ほだ)された大井さんの父親が、「新・女ま館」開設に向けて、金銭的な援助をしてくれることとなる。
「こちらの熱意に負けたという感じだったんでしょうね。でもありがたかったですよね、これでまんがたちの行き場が確保できるって。うれしかったです」(大井さん)
大井さんの父親から援助を受けて現在の「女ま館」の土地を購入した夫婦。貯金をつぎ込んで小さな平屋付きの100坪ほどの土地に、新たに「女ま館」の建築を始めることに。建築にあたっては、友人で建築家でもあるエンドウキヨシさんにお願いしてデザインを進めていったそう。
「隣にある平屋が母屋なんですけど。見てもわかるように、『女ま館』のほうが、母屋よりも立派なんですよ。どっちが母屋なんですかといった感じですが(笑)。でも、『女ま館』を作るならちゃんとしたものを作ろう、とエンドウさんと時間をかけながら二人三脚で作りました」と、建築当時のことを思い出しながら中野さんはクスッと笑う。
2階建ての「女ま館」は「蔵」を意識して作られている。外観や内側の壁に使われた青い色には、色彩心理学的に心を沈静化させる効果があるそうだ。確かに、中に入って過ごしていると読書に集中でき、時間を忘れてしまいそうになる。
2階は、さながら屋根裏部屋のような雰囲気。座敷スペースもあり、ここでは寝転びながら、座りながら、自由にまんがを楽しむことができる。これもこだわりのひとつだ。
年月やこだわりを費やし、ついに自宅よりも手をかけた「新・女ま館」がオープンし、とんだ追い出し劇から一転し、再スタートを切った。
中野さん・大井さんは当時のことをこう振り返る。「今思えばとっても無謀だったけれど、でも私たちはそれだけ少女まんがに対してこだわりを持っているし、文化を残していきたいし、諦めるつもりなんか全くなかった。その気持ちだけが自分たちを突き動かしてきたのですよね」。
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第2弾記事(11/9 17:00公開)では、6万冊もの蔵書はどうやって集めたのか、館の来訪者はどんな人なのか、少女まんがの魅力についておふたりに話を聞いていく。
【第2弾:蔵書は6万冊!『少女まんが館』を25年続ける夫婦の原動力になった「少女まんがを甘く見るな!」という思い】
(取材・文/永見薫)
〈施設情報〉
■少女まんが館
住所/東京都あきる野市網代155ー5
アクセス/JR五日市線武蔵増戸駅より徒歩25分(2.2km)
入館料/無料
定期開館日/4月〜10月の毎土曜日 13:00〜18:00
冬期休館/11月〜3月
※来館の際は事前に要予約。詳しくはホームページを参照。
〈PROFILE〉
中野純(なかの・じゅん)
少女まんが館共同館主、体験作家、闇歩きガイド。1961年、東京都生まれ。年子の姉と妹に挟まれて少女まんがにまみれて育ち、やがて姉や妹よりも少女まんがに詳しくなる。パルコでイベント企画、宣伝を担当後、フリーに。1989年に大井らと有限会社さるすべりを設立、1997年に大井らと少女まんが館を創立。『闇で味わう日本文学』(笠間書院)、『「闇学」入門』(集英社)、『闇と暮らす。』(誠文堂新光社)、『月で遊ぶ』『闇を歩く』(アスペクト)などの暗闇関係の著書のほか、地獄の婆鬼、奪衣婆について熱く語った著書『庶民に愛された地獄信仰の謎』(講談社)も。
大井夏代(おおい・なつよ)
少女まんが館共同館主、研究編集者。1961年、神奈川県生まれ。少女時代、『ポーの一族』主人公の吸血鬼エドガーがいつでも入ってこれるようにと2階の自室の窓を開けて寝た。大学の卒論のテーマは少女まんが。パルコ『アクロス』編集室を経て、フリーの編集者、ライター、ストリートファッション考現者に。最近は雑誌の少女まんが特集の監修も。著書に『あこがれの、少女まんが家に会いにいく。』(けやき出版)など。中野純との共著に『少女まんがは吸血鬼でできている:古典バンパイア・コミックガイド』(方丈社)。