東大工学部卒・なつぴなつさん&京大農学部卒・えもりえもさん&名大情報文化学部卒・あずきあずさんによる、超高学歴アイドルグループ「学歴の暴力」(愛称:がくぼ)。平日は3人とも別の仕事をしながら、お休みの日は東海地方を中心にライブやイベントを開催するなど、「学歴の暴力」としての活動にささげています。
『fumufumu news』は’22年2月のインタビュー(記事:「勉強以外、なんの取り柄もない」東大卒&京大卒のアイドル『学歴の暴力』が歌う高学歴の苦悩)で、学歴を全面に押し出したアイドル活動を始めたわけや、高学歴ならではの痛みを伺い、「彼女たちの胸の内をもっとのぞいてみたい」という思いで連載コラムの執筆を依頼。メンバーそれぞれの“自分らしさ”を生かし、感じたことを文章にしてもらいます。
これまで毎回、リレー形式で原稿を執筆してもらってきました。
◎第1回:超高学歴アイドルユニット「学歴の暴力」、東大卒と京大卒“はじめての2人旅”がもたらしたもの (文/なつぴなつ&えもりえも)
◎第2回:【学歴の暴力#2】東大卒&京大卒アイドルユニットにジョインした名大卒女子が見た、メンバーの恐るべき“能力” (文/あずきあず)
◎第3回:【学歴の暴力#3】あなたも“がくぼ沼”へ! 京大卒・えもりえもが語る、高学歴アイドル「5つの楽しみ方」 (文/えもりえも)
続く第4回の担当は、東大卒のなつぴなつさん。どうしてもAKB48に入りたくて、何度も落選しながらもオーディションに応募し続けたこと、自分だけの武器を身につけようと東大に入ったこと、そのあと味わったつらすぎる現実、そして、絶望の淵にいるなつぴさんのもとに届いた1通のメッセージ・・・。まるで小説を読んでいるかのような感覚で、夢中で読み進めてしまいました。
「AKB48に入りたい」その一心で東大を目指し、猛勉強の日々
初対面の人との会話で聞かれがちな質問、「どうして東大に入ったの?」。
毎回「勉強ができたからかな」などと曖昧にかわすのだが、恥ずかしながら大きな理由は「アイドルになりたかったから」だ。
私は昔から、地味で目立たない子だったと思う。
見た目が悪くてスポーツもできない、人見知りが激しく、友達も少なかった。周囲はそんな私にいらだったのか、小学3年生のときはクラスの中心的な存在の男の子から、中学2年生のときはサッカー部の女の子などから、自分に聞こえるように、よく悪口を言われていた。
毎日がつらくて、自分のことも大嫌いで、常にほんのりと絶望していた。
そんなときに出会ったのがAKB48だった。地元の先輩があのグループに入ったと聞いて、なんとなく見るようになったが、いつの間にか、あまりにキラキラしていて、たくさんの人に愛される彼女たちの虜(とりこ)になっていた。「私もこんなふうになりたい」と思ってしまった。
しかし、私は昔から賢く、現状を客観的にとらえる力があった。AKB48のメンバーたちと比べて、自分は明らかに不細工だった。
私がAKBになりたいなんて言ったら、みんな大爆笑だ。中学2年生のころから、親にすら言わず深夜に目をかっぴらいて顔写真を撮り、こっそりオーディションに応募し続けていたが、毎回毎回、書類落ち。自分が不細工とわかっていたから納得はしていたものの、やはり悲しかった。
憧れは捨てきれず、毎晩、部屋にこもって、ひとりでAKB48の曲を歌って踊っていた。『選抜総選挙』(シングル曲の選抜メンバーをファン投票によって決定するイベント)で名前を呼ばれたら何て話そうかな、なんて想像もしていた。そのときは違う自分になれた気がして、すごく幸せだった。
そのまま48グループのオーディションに応募し続け、気がつくと高校2年生の秋になっていた。もう進路を決めないといけない時期だが、私は特にやりたいこともなく、勉強もほとんどせず、自堕落に生きていた。AKB48の一員になりたい気持ちだけは、ずっと大きかった。だけど、やはりこんな顔では歌やダンスを頑張ったところで書類審査すら通してもらえない。なにか、プラスアルファの武器がないと・・・。
ふと、決心した。「そうだ、東大に行こう」。私が人よりできることなど勉強くらいしかない。ならば、せめて日本一の大学に行けば、目に留めてもらえるかもしれない。
しかし、入学以来ほとんど勉強をしていなかったので、学校の成績は最底辺だった。先生にも絶望的だと言われた。それでもなんだか、私にはできる気がした。
そう決心してからは、取り憑(つ)かれたかのように勉強した。毎日、最後まで塾に残って自習し、移動中も食事中も単語帳を眺めた。心が折れそうになっても、「もしかしたらAKBに入れるかもしれない」と想像したら立ち直ることができた。
猛勉強の甲斐(かい)もあってか成績はスイスイと上がっていき、やった分だけ成果が実るのを感じて、受験期は意外と毎日が楽しかった。
しかし、大きなプレッシャーもあった。もし東大に受からなかったら。早稲田や慶応でもすごいけど、早慶卒のアイドルはすでにいるし、私の顔では東大生くらいにならないと見向きもしてもらえない。浪人したら、もうアイドルを始めるにしては若くない私にとって、貴重な1年をムダにしてしまう。絶対に、現役で東大に入らないといけない。
あまりのプレッシャーからか、当時見ていたアニメ『進撃の巨人』に出てくる巨人に追いかけられる夢をよく見ていた。
そんな中で迎えたセンター試験。十分に対策もしたし、模試の成績もよかった。しかし、私はここで受験期初めての挫折を経験する。
1日目終了後、国語を自己採点したら200点中、110点だった。東大志望としてありえない点数だ。こんな点数、国語は苦手科目だったとはいえ、模試でも取ったことがなかった。
母の前で大泣きし、結局、ほとんど眠れないまま2日目の理系4科目の試験に挑んだ。ここで挽回しないと終わり・・・。あまりにも緊張して、ずっと足が震えていたようで、次の日、筋肉痛になった。
「1問だって落とすものか」。マークシートに食らいつくように問題を解いた。
結果、数学を1問だけミスしてしまったが400点中、398点。なかなかの好結果だ。
なんとか合計点ではそこそこの点数を稼ぐことができ、どうにか正気を取り戻し、2次試験に向けてラストスパートをかけた。
オーディションで3次審査へ! 運命の合格発表と、目を疑う“仕打ち”
2か月後、私は東京大学理科2類に合格した。
自分の番号を見つけたときは、喜びというより、深い深い安堵を感じた。もう巨人に追いかけられる夢も見なくていいし、半端なところで中断していたドラクエ(ゲーム『ドラゴンクエスト』)を再開して世界を救える。何より、ようやく夢が叶(かな)えられるかもしれない。
そして、大学1年生の終わりに受けた48グループのオーディションで初めて書類審査を通過し、2次の面接審査も通過、3次審査まで進むことができた。面接審査では、周りは若くて可愛い子ばかりで、自分が醜いモンスターかのように思えた。私の顔を一瞥(いちべつ)し、興味なさそうに下を向いていた審査員たちが、「東京大学1年生です」と言った瞬間、顔を上げたのが忘れられない。やはり東大は名前を出すだけでフックになる最強の武器だな、と思った。
歌とダンスも家で毎日、ひとりで練習してきた。ダイエットもして、化粧も頑張って研究した。それでも、どうしても顔はほかの人より劣るけど、どうかどうか、私の夢が叶いますように。
・・・でも、合格発表で、私の番号は呼ばれなかった。
頭が真っ白になった。何の感情も浮かんでこなくて、フラフラと会場を出て駅まで向かった。しかし、駅までの道筋が全くわからなくて、徒歩10分もない道を、30分以上さまよっていた。
途中でコンビニに寄って、ダイエットのためずっと我慢していた甘いデザートを買った。クリームがたっぷり入った甘い甘いワッフル、ひと口かじったのに何の味もしなかった。砂を食べているみたいだった。
そこで初めて泣いた。季節外れの大雨の中、雨か涙かわからないくらい大泣きした。どうやって家に帰ったかは覚えていない。家に帰って、少し携帯を触って、化粧も落とさず眠りについた。
目が覚めて、携帯を開いてツイッターを見たら、そこは「AKBになるために東大に入ったブスがいるwww」という話題一色だった。まだ夢を見ているのかと思った。なんで私のことをみんな知ってるの? 親にすら、オーディションのことを伝えていなかったのに。
混乱した頭でよくよく考えてみたら、私は前日、朦朧(もうろう)とした意識の中、SNSで審査員の人に「東大に入ったのにAKBに落ちてしまった、つらい、もう夢は叶わない」という趣旨のメッセージを、ご丁寧に顔写真が載ったアイコンで送っており、それを審査員の方が取り上げて、返信メッセージをアップしていたのだ。顔写真をアイコンにしたのは、3次審査にいた子だとわかってもらうためだった。まさかそれが多くの人の目に触れるなんて思ってもいなくて、頭がついていかなかった。
ネットの掲示板では、主に私の見た目への罵詈(ばり)雑言の嵐だった。正直もう、このときの気持ちはあまり覚えていない。夢が潰(つい)えた上に、さらに人々の悪意による追い打ちをくらい、これをすべて受け入れて消化していては心が死んでしまうから、脳が強制的に記憶にストップをかけているのだと思う。
「毎日、死にたかった」私のもとに突然届いた、まさかのメッセージ
それでも私は、48グループのオーディションが開催されるたび、応募書類を送っていた。しかし、結果はことごとく落選。
どんどん上がる年齢、どうしても可愛くない顔、周りからの「AKBに落ちた子だ」という冷ややかな目。焦りとストレスで摂食障害にもなり、現在も寛解はしたものの、完治はしていない。
そのまま、オーディションを受ける資格すら失う年齢になってしまった。
その後、歌って踊ることが諦めきれず、友人の所属するアイドルグループに所属させてもらったが、就職の関係で半年で卒業することになってしまった。
もともと私の顔でアイドルをやって食っていけるはずがないとわかっていたので、せっかく東大にも入ったし、就職することは決めていた。
それなりの企業に入社し、それなりに稼ぎ、それなりに生きていたが、やはり私はアイドルになりたかった。このまま人生が終息していくと思うと気が狂いそうだった。後悔がヤバくて毎日、死にたかった。
そんなとき、現在アイドルとして一緒に活動をしている、えもりえもからツイッターでDM(ダイレクトメッセージ)が届いた。「突然すみません。一緒に『学歴の暴力』というアイドルをしませんか!?」と、シンプルな文。なんとなく、やるしかないなと思った。「やりましょう!」ひと言だけ返した。
そして現在。紆余(うよ)曲折はあったし、夢見ていたAKB48とはかなりジャンルが違うが、私は今、アイドルとしてステージで歌って踊ることができている。
毎日が本当に楽しくなった。どうにか死にたいという気持ちからも、少しずつ逃れることができ始めている。ファンのみなさん、メンバーのあずきちゃん、そして私を『学歴の暴力』に誘ってくれたえもちゃんは、命の恩人だ。
(ちなみに、仕事は今でも週5でしっかり続けている。私がアイドルをやるには顔が悪いこと、歳をとりすぎていることは十分、理解しているので、アイドルは本業ではなく、あくまで趣味としてやっていきたいと思っている。)
東大に入ってよかった。東大に入っていなかったら、ここまで注目してもらうこともなかったし、こんなふうにコラムを書かせてもらうことも、これだけたくさんの人にステージを見てもらえることもなかった。毎日、仕事にアイドルにと大変だけれど、どちらも頑張りたいし、もう少しアイドルを続けていきたい。そして、この生きざまで誰かひとりにでも勇気を与えられたら、アイドルとしてこんなに幸せなことはない。
(文/「学歴の暴力」なつぴなつ)
◎「学歴の暴力」Twitter→@violenceofgkrk
◎えもりえもTwitter→@emofairystar1
◎なつぴなつTwitter→@natsupikkk
◎あずきあずTwitter→@azuki__info
◎「学歴の暴力」YouTubeチャンネル→https://www.youtube.com/channel/UCQA_7HGBG5Ezz_gsAlXbIsg