デビューから25年、女優として数々の映画・ドラマ・舞台に出演してきた田中美里。その魅力のひとつに「声」がある。
2003年に日本で初めて放送されて空前の韓流ブームを巻き起こしたドラマ『冬のソナタ』では、ペ・ヨンジュンの相手役、チェ・ジウの声を担当。当時は日本語吹き替えで見る人が多く、独特の甘さと切なさをたたえた声の演技が視聴者の涙を誘った。
(デビュー作となった朝ドラ『あぐり』でのエピソードや、パニック障害を乗り越えた経験についてのインタビュー第1弾もあわせてお読みください)
『冬ソナ』ブームで困ったこと
「『冬のソナタ』をやっていたのは25〜26歳のころでした。吹き替えはまったくの初めてだったんですが、プロデューサーさんが私を指名してくださって。印象に残っているのは、最初に “声を似させないでください”って言われたこと。実はチェ・ジウさんの声ってけっこう低くて、私がもっと経験を積んでいたらその声に合わせられたと思うんですけど、合わせなくていいと。
当時は韓国のドラマが日本に入り始めたばかりで、まだそこまでみなさんに見られていないときでした。日本とはちょっと違う感情の出し方をされるので、どのくらいの度合いだったら違和感なく受け入れられるのか少しずつ手探りで。声のトーンはちょっと柔らかくなるように。真剣に訴えていても柔らかくなる、ケンカしてても柔らかくなるように心がけましたね」
──チェ・ジウさんは “涙の女王” と呼ばれたくらいですから、ヒロインのユジンも本当に感情表現が豊かでしたね。
「女優さんの表情をあんなにじっくり、こと細かく見たのは初めてで。それが学びになりました。ああ、ここで伏し目がちになって。あ、ここでブレス(息継ぎ)して。ここはこういうふうに手が動くんだな……というのを見ながら、声をあてていく。
その声のトーンが違うと、また(画面のほうの)表情が変わって見えたりするのが面白くて。声優さんのお仕事は素敵だなぁと思いました」
──ボイスキャストの中では、ぺ・ヨンジュンさんを担当した萩原聖人さんと田中美里さんだけが、本職の声優ではありませんでした。
「そうですね。ぺ・ヨンジュンさんもチェ・ジウさんもやっぱりアジアの顔立ちなので、いわゆる(洋画の)声優さんの声だったり、抑揚のついたしゃべり方をしないでほしいっていうオーダーがプロデューサーから出て。現場では逆にその癖がある方が悩んでいることもありました。
トゥーマッチになるからもっと抑えてナチュラルにしゃべってほしいっていう要望に応えるのが難しいって、声優さんはおっしゃっていて。私は私で大変だったんですが、どちらからも難しいっていうのがすごく不思議な感じがしました」
『冬のソナタ』は韓国KBSで2002年に製作・放送。日本では2003年4月からNHKのBS2(現在のBSプレミアム)で放送がスタートし、2004年には地上波(NHK総合テレビ)でも放送されて大ブームとなった。
「韓国のドラマは長いので(『冬のソナタ』は全20話)、まだ声を入れているときに最初の放送が始まって。なので、どんどん空気感が変わっていくのがわかるんです。ブームになっていく感じっていうか。
街で歩いていて、声をかけられたこともありました。ペ・ヨンジュンさんがやられているチュンサンやミニョンのマフラーの巻き方が注目されて、“ねえねえ、あの巻き方どうやるの?”って。私、出てないんですけど(笑)。あとは “あなたはどっち派なの?” と聞かれたり(笑)」
──どっち派というと?
「もう1人のライバルっていうか幼なじみで、パク・ヨンハさんがやられたサンヒョクです。“ミニョンとどっち派?”っていうのをけっこう聞かれて困ったなぁと。
みなさん、なんか共演者だと思ってしゃべってくださるので、“いやいや、声を入れているだけなんですよ” みたいな感じですごく面白かったですけどね(笑)」
私の声って変わってるの!?
「声の演技は初めてだったので、ひとつだけスタッフにお願いしたことがあって、“みんなと同じ日にやらせてください” と。女優さんとか俳優さんの場合は、みんなが声を入れたものに1人だけ別で録音する方が多いみたいなんですけど、私はその日に声優さんと一緒にやらせていただきたいってお願いしました。
録音ブースに入ったら後ろのほうにたくさん椅子が並んでいて。で、自分のときに(マイクの)前に行って引っ込んで、の繰り返し。声優さんって自分の出番が終わったとしても、ずっとブースに残っていらっしゃるんですよ。その後のガヤ(雑踏の声など)もあるから残るって面もあるんですけど、みなさん中で(共演者の演技を)聴いていらっしゃるんですね。その一体感みたいなものがすごく新鮮で、何か守られている感じもありました。
しかも、声優さんは惜しみなく、いろんな情報を教えてくださるんです」
──例えばどんなことですか?
「台本のアタマに秒数を打ったほうがセリフが言い出しやすいよとか、ナチュラルであってももう少し声を張って舞台みたいにやったらちょうどいいよとか、(声を入れる前の)ビデオをもらったらこういうふうに練習するんだよとか、ぜんぶ教えてくれて。
しかも収録した後にはみんなで飲みに行くっていう、アットホームな感じが私はすごく好きでした。すごく支えられましたね」
──あらためてお聞きしますが、ご自分の声は好きですか?
「コンプレックスでした。やっぱり一瞬 “うわ!” って思います、自分の声は。特に『あぐり』のころはまだ子どもだったせいもあるんですけど、ちょっと舌足らずでアニメっぽい声になるので、“もっと普通の声出して” って音声さんに言われたこともありますし、“あ、私の声って変わってるんだな”と思ってすごく悩んだ時期がありました。
もちろん『冬のソナタ』も合わないって言う方もいらっしゃるんですけども。でも、冬ソナをきっかけに “いい声ですね”って言われることがすごく多くなって。だから(自分も)好きになっていこうっていうふうに思いました」
その声を生かして続けているのがラジオ番組のパーソナリティー。
bayfmの『MORNING CRUISIN’』(土曜朝9:00〜)は2002年10月から続く長寿番組で、週末の朝、季節に合わせたさまざまな話題や情報を届けている。ゲストを招いたトークのほか、番組内のコーナー「私の本棚から」ではオススメの1冊を紹介。
「もう20年やっているんです。それこそ、冬ソナの前からです。番組があることによって、こういう本を読もうとか、こういう場所に行ってみようとか、生活に張り合いが出てくる。いろんなことを知りたいしおしゃべりしたいので、そういう意味で自分の視野を広げてくれたのがラジオかなって思います。
いま私は帽子もデザインしているんですけど、そのきっかけもラジオで。帽子を手作りできる教室があるっていうのを紹介して、放送のあとスタッフと行きたいねっていうのが始まりでした。それから実際に自分で作ったり、その情報を聞いた方が “一緒に作りましょう”って言ってくださってブランドを立ち上げることになったので」
帽子ブランドJin no beat shite cassie を2019年4月から展開。一見フランス語のようにも見えるブランド名は「ジンノビートシテカッシ」と読み、「のんびりしていってくださいね」という意味の故郷・石川県の方言を生かした造語だという。
『愛の不時着』のラストを知らない理由
声優としては『美しき日々』『天国の階段』『誰にでも秘密がある』など10作品ほどを経験しているが、すべてチェ・ジウが出演したドラマや映画だ。チェ・ジウ本人も田中美里の声を気に入っているのだという。
「私もそれを聞いてうれしかったです。いちどNHKの番組でご一緒したことがあって、私もヒールをはくと背が高いほう(身長165センチ)ですけど、彼女は174センチあるんですね。見上げる女優さんを初めて見ましたが、さっぱりした方ですね。とても素敵な女性です。
本当はもっと吹き替えをやりたいんですけど、やっぱりチェ・ジウさんのイメージが強いんでしょうか。なので、自分としては名前を変えてでもやりたいくらい(笑)。そうしたら声色とかも変えられますし、また無名でやりたいなっていう感じもしています」
それでもナレーションの仕事には定評があるほか、最近もドキュメンタリー番組でマリリン・モンローの声を担当した(NHK BSプレミアム『ダークサイドミステリー マリリン・モンローとハリウッドの闇』)。
また、世界的な大ヒットを記録した『愛の不時着』(日本では2020年2月から配信)にチェ・ジウ本人がゲスト出演した場面でも、吹き替え版の声を担当している。
「久しぶりにやらせていただきましたが、チェ・ジウさんも変わらず素敵でうれしかったです。
『愛の不時着』は第1話しか見ていない状態で台本を渡されて、関係性がよくわからないまま(相手の男性の)“あのニット帽は何なんだろう?”って思いながら収録していました(笑)。
私もぜんぶ見たいんですけど、見始めたら止まらなくなりますよね(笑)。ネトフリとかも見ますけど、どうしても時間がつくれなくて最後までたどり着かないことも。それでも『イカゲーム』はコロナの最中だったのでぜんぶ見られました」
不器用な自分に悩んでいたら……
インタビュー前編でもふれたように、芸能界への道が開けたのは「東宝シンデレラ」のオーディションから。長らく「東宝芸能」に所属していたが35歳のときに独立し、個人事務所の「アンプレ」を拠点に活動している。
「大きな会社に所属させていただいてすごく恵まれていたんですけど、自分がそこまで器用ではなかったので、ひとつひとつの仕事に追われるようになってしまって。そのつど立ち止まって選んだり、立ち止まって悩んだりっていうことがちょっと難しいかなって感じて。
もちろんずっと忙しくしていることが糧(かて)になる方もいらっしゃるでしょうが、私はまず自分の人生を豊かにして、それを糧に役者としての人生にそれが注げればなっていう思いがあったので。そういう意味で、決断したいと思ったのが35歳のときです。15年お世話になって、独立したいと相談してみたら “大丈夫だよ” “頑張りな” って背中を押していただいたんです」
──個人事務所を構えて、ちょうど10年になりますね。
「最初のころは東宝芸能の方からもよくお電話をいただいて、“こういう役があるけど、美里さんやる?”とか声をかけてくださって。本当にみんなに支えて応援してもらいながら、何とかやれている感じです。
役者としてはこれからも、いろんな経験をひとつひとつ重ねていきたいなぁと。以前は人生ってゆるやかに上っていく坂道だと思っていて。なのに、ずっと同じ高さにいる自分はとても不器用で停滞しているんじゃないかっていう思いが強くて、やっぱり向いてないんじゃないかなぁって悩んだ時期もありました。そういう悩みをNHKの『一絃の琴』でお世話になった大森青児監督という方に相談したら、“人生は階段だから大丈夫”って言っていただいて」
──階段ですか。
「同じ高さで止まっているって思ってても、もがいていればボコッて1段上がるよと。そこからまた坂道みたいにずっと上がるんじゃなくて、また停滞していると感じることが続いていても、諦めないでもがいていればまた1段ボコッと上がる。
その上がるまでが苦しいんだけれども、自分だけじゃなく、みんなそれぞれ違う形の階段がいっぱいある。そういうことなんだなって気づいてからは変に焦らなくなったし、止まってるように見えるときでも、“じゃあ止まっている間、何しようかな”って思えるようになりました」
──考え方ひとつで、見え方も大きく変わるんですね。
「私は本当に不器用で、ほかの人がヒョイと乗り越えられちゃうところをできなかったりするんですけど、比較することもあまりなくなりました。この人ができるのに、どうして私はできないんだろうっていう悩みみたいなものからようやく解放されて」
──今年でデビューから25年。ここまでの歩みをどう感じていますか?
「あっという間でした。実は若いころはあまり女優になってよかったなって素直に思えなかったんですけど、今はすごく感謝しています。『一絃の琴』の苗(主人公)も『あぐり』もそうなんですけど、与えられた役と出会って一生懸命演じることによって、女性というか人間を学んでいる感じがするんですよ。
いろんな女性の生きざまを自分の経験として取り入れられますし、いつか亡くなるまでには “こういう女性に近づきたいなぁ”っていうか。憧れる要素がそれぞれの役に入っているので、そういう意味では自分自身と向き合う時間でもあるのかなぁって。それはこの職業だったから経験できたこと。役と向き合うことが、ぜんぶ自分につながっている気がします。足りないものを、自分にまだまだだなぁってものを補ってもらう感覚でいます」
(取材・文/川合文哉 撮影/齋藤周造 ヘアメイク/根津しずえ)
《出演情報》
映画『人』
2022年8月26日(金)より池袋HUMAXシネマズほか全国で順次公開。
出演/吉村界人 田中美里 津田寛治 冨手麻妙 木ノ本嶺浩 五歩一豊
監督/山口龍大朗 脚本/敦賀零
Instagram hito_2022_eiga
Twitter @hito_2022_eiga
Facebook @hito.eiga.2022
《PROFILE》
田中美里(たなか・みさと) 1977年2月9日生まれ。石川出身。1997年、NHK連続テレビ小説『あぐり』のヒロインに抜擢されデビュー。出演作に映画『みすゞ』『ゴジラVSメガギラス G消滅作戦』『能登の花ヨメ』『もみの家』、ドラマ『WITH LOVE』『一絃の琴』『利家とまつ 〜加賀百万石物語〜』『開拓者たち』『小暮写眞館』など。『冬のソナタ』のチェ・ジウの吹き替えや、ナレーションなどでも活躍している。
個人事務所『アンプレ』 https://www.am-ple.co.jp
田中美里 Instagram misatotanaka77