関東地方の大手私鉄、東武鉄道がひそかなヒットCDを生み出している。池袋から伸びる、東上線の駅の発車メロディーを集めた「東武東上線駅発車メロディーCD」だ。関東ローカルの駅メロを集めたCDが、一時は品切れになるほどの反響があった背景とは──。
今はクラシックが流れる東武池袋駅。その前の駅メロも名物だった
東武東上線といえば、池袋から板橋・和光市・志木・川越・坂戸を経由して埼玉県の寄居駅までを走る。支線の越生(おごせ)線と合わせて、埼玉県西部の通勤通学に、観光の足に機能している動脈である。
東武グループの東武商事(株)が、東上線の発車メロディーを収録したCD『東武東上線駅発車メロディー』の発売をツイッターで告知したのは2022年12月9日。するとこれが大反響を呼び、12月15日の発売後はAmazonで品薄状態になるほどだった。現在はAmazonをはじめ、東武鉄道の定期券販売所や大手CDショップ、大手書店の「書泉グランデ」「書泉ブックタワー」などで発売中だ。
なぜこれほどの注目を集めたか──大きかったのは、ターミナルの池袋駅で流れていたかつての名曲が収録されていたことだろう。現在、現在東上線で使われている13曲に加えて、ボーナストラックとして池袋駅の旧メロディー『Passenger』が収録され、“復活”を遂げたのである。
『Passenger』は1991年に東武宇都宮駅で東武鉄道初の駅発車メロディーとして使用された曲で、東上線でも池袋駅の1・2番線で1990年代から発車メロディーに採用されてきた。当時はまだ、東上線で発車メロディーを流していたのは池袋駅だけで、ほかの駅では車掌の笛をドア閉扉の合図にしていた(90年代はまだ、JR東日本以外の駅では発車・到着時の駅メロはさほど普及していなかった時代)。
東武の『Passenger』導入は先見の明があったといえ、リズミカルなメロディーは池袋駅の名物として鉄道ファンのみならず沿線住民になじんできた。また東上線ホームがJR池袋駅の山手線ホームに隣接しているので、山手線ホームまでこの曲が聴こえてくる。列車の走行音や雑踏の音とともに池袋駅のサウンドスケープでもあったのだ。
この曲は池袋のほかには浅草駅・北千住駅(特急ホーム)・曳舟駅(亀戸線ホーム)・西新井駅(大師線ホーム)・東武宇都宮駅で採用されているが、いずれも東上線とはつながっていない東武本線系統の駅である。また池袋駅では『Passenger』とは別に3・4番線で『Memoria』という楽曲も使用していた。
全国の駅メロの中でも古株だった『Passenger』と『Memoria』は2015年6月13日を最後に池袋駅から引退し、芸術の街・池袋にマッチした、クラシックをアレンジした3曲に切り替わっている。
池袋は東京芸術劇場など文化施設や大学が集まった街でもあり、豊島区も国際アート・カルチャー都市構想を掲げて、まちづくりに文化芸術を生かそうとしている。まして東上線の駅は池袋のターミナルの西口にあり、池袋西口公園や東京芸術劇場が近い。メロディー変更は、「芸術文化創造都市“池袋”の玄関口である駅にふさわしい、芸術文化振興のため」という東武鉄道の試みでもあった。
『Passenger』自体は浅草駅などでまだ使われているし、新しい曲はベートーヴェンの『田園』などのクラシック曲をアレンジして池袋のカルチャーにマッチしている。ただ、10年以上池袋駅に定着していたサウンドスケープだっただけに、切り替え前の情景を懐かしく思う声も上がっていた。
根強い人気、ボーナストラックで復活
もともとこのCDを企画していた東武ランドシステム(株)(現在の東武商事)は商社でありながら、クラシック音楽などのCDも制作・販売していた。そこで、そのノウハウを生かして東武鉄道に関連したCDを企画。その過程で「以前、池袋駅で使用していた発車メロディーは根強い人気がある」と制作関係者から声が上がったことから、『Passenger』がボーナストラックとして収録されるに至ったとのことだ。
クラシック基調の池袋駅の現メロディーのほかにも、東上線では川越駅や川越市駅でオリジナルの発車メロディーを採用している。各駅の採用曲を収録し、そこに長らく沿線の乗客に親しまれてきた『Passenger』も加わったというわけだ。東武鉄道の駅メロがCD化されるのも初めてのことである。
もっとも、すでにCD制作のノウハウがあるといっても、鉄道関連のCDは初めての試みだった。
「1曲が短いので2回以上繰り返すのがよいのか、それとも1回のみがよいか……など、音源をどういう形で収録するのがよいのか、勘どころがわからず苦労しました」
と東武商事の担当者は話す。商品化途中でのグループ再編による会社合併などの経緯もあり、2021年秋の企画決定から発売まで1年あまりを要した。
苦労のかいあって鉄道ファンと東上線を知るユーザーからの反響は大きく、
「大変多くの反響をいただき、驚いております。売れ行きも好調に推移しており、一時期は欠品となりご迷惑をおかけした時期もありましたが、現在は十分な在庫を確保しております。いただいたご要望などは、今後の商品開発の参考にさせていただきたいと思います」
とのことだ。
同じ東武鉄道でも浅草から北に向かう各線とは別に、池袋をターミナルにする東上線。違う文化を持つだけに、東上線単独でのCD化で、沿線の人々がこの路線と音にさらに愛着を持ってくれるだろう。
長年の東上線の利用者にとっては、『Passenger』は池袋駅の情景や電車を使う日常と分かちがたく結びついており、今回の収録につながった。 鉄道事業者オリジナルのメロディーでも、長く定着することで地域の名物になる可能性を示したこの出来事は「駅メロはどうあるべきか」を改めて考えるヒントも与えてくれている。
(取材・文/大宮高史)