「蕎麦屋で演奏しているバイオリニストがいる」とウワサになっています。弾いているのは「オソバイオリニスト」こと、ゆさそばさん。プロのバイオリニストであるとともに蕎麦鑑定士をはじめ蕎麦に関するさまざまな資格や段位を有し、自ら蕎麦打ちもする職人顔負けの本格派です。打った蕎麦を「ウエルカムそば」として観客にふるまうライブも開催しています。
全国の蕎麦祭りや蕎麦屋に現れ、作務衣を着てバイオリンを弾く、ゆさそばさん。これまで『ゆさそば一丁!』『ソバイロサンシャイン』などアルバムをリリース。オリジナルソング『そばにいて』をはじめ曲の数々はどれもしゃっきりとエッジが立ってみずみずしく、香り立つような気品があります。
それにしても、蕎麦とバイオリン、いったいどこでつながったのでしょう。そこには、ある意外なアーティストの影響がありました。
蕎麦打ち2段の資格を持つバイオリニスト
──蕎麦屋や蕎麦祭りで演奏しているゆさそばさんは、日ごろはどのようなお仕事をされているのですか。
「ヤマハのバイオリン教室の講師をしています。あとはレコーディング、ステージなどでの演奏の仕事をしていますね」
──「蕎麦鑑定士1級」「そばソムリエ」の資格をお持ちだそうですね。
「はい。他には“江戸ソバリエ”の認定もいただいています。それぞれ食べ歩きのレポートを提出するのが課題になっているので、お蕎麦を食べるために長野へ行ったり、栃木へ行ったり、山形のそば街道をめぐったり。各地で食べ歩きをしていますね」
──ご自身で蕎麦打ちもされるそうですね。
「月に1回ぐらいのペースでキッチンスペースを借りて、音楽仲間を集めて、蕎麦打ち会をしています。粉屋さんから蕎麦粉を仕入れ、自分専用の道具を持っていって、お蕎麦を打って。みんなで食べたあと、音楽仲間とセッションするんです」
──本格的ですね。蕎麦打ちの段位もお持ちだとか。
「そうなんです。さいたま蕎麦打ち倶楽部という長い歴史をいだく道場がありまして、そこに1年ほど通って勉強したんです。そして5年前に、全麺協そば道段位の2段まで取りました」
──2段! すごいじゃないですか。
「認定試験は難しかったです。40分以内に水まわし(粉全体に水が行きわたるように指先で混ぜ合わせる作業)をして、練って切って、お掃除まで済まさなきゃならない。初段は蕎麦粉と小麦粉を合わせた700グラムで打つんですけれど、2段は一気に1キロになります。粉の量が増えると、生地を伸ばす面積も広くなる。練る力がさらに必要となります。だからといってのんびりやっていると生地が乾燥してしまうし、大変でした」
コロナ禍で苦しむ蕎麦屋を助けたくて始めた店内演奏
──いやあ、クラシックの演奏家にインタビューしているとは思えないです。それにしても「蕎麦屋で演奏するバイオリニストがいる」と初めて知ったときは驚きました。どういういきさつがあって蕎麦屋でバイオリンを弾きはじめたのですか。
「コロナ禍になってから、SNSでつながっているお蕎麦屋さんが休業したり、“店をたたみました”と報告をいただいたり、悲しい気持ちになる出来事が多くなりました。“私で役に立てることはないかな”と考え、2021年12月に“お蕎麦屋さんの店内で演奏させてください”という演奏出前の募集を始めたんです。おもしろそうだと興味を持ったお客さんがお店に来てくれて、音楽を聴きながら食事をして、お蕎麦屋さんに貢献できたらいいなと思って」
──演奏で全国を巡りながらも「ギャラや交通費をもらっていない」と聞いて、びっくりしました。
「もらっていないです。あくまで“お蕎麦屋さんのお役に立ちたい”という気持ちで始めたツアーですから。“ギャラはいただきません。その代わり、お蕎麦を食べさせてください”とお願いしました。これには“プロのバイオリニストが無料で演奏するなんて”と賛否両論、さまざまなご意見をいただきましたね。けれども、どうしても困っているお蕎麦屋さんのお手伝いがしたくて、いてもたってもいられなかったんです」
──一般的な演奏会と、お蕎麦屋さんでの演奏では気分が違いますか。
「違いますね。お客さんとの一体感があって、とても楽しいです。音楽だけではなく“蕎麦好き”という点でもお客さんとつながれるので。蕎麦好きだというだけで仲よくなれる。お蕎麦って、人と人をつないでくれる食べ物じゃないかと思うんです」
「ラルクのバックで演奏したい」からバイオリンの道を選んだ
──蕎麦を愛するようになったきっかけはなんですか。
「L’Arc〜en〜Cielです」
──は? あの、バンドの?
「そうです。私は幼いころからラルクの大ファンで、ボーカルのhydeさんを尊敬しています。そしてhydeさんが“蕎麦が好物だ”というので、“私も好きになってみよう!”と思ったんです」
──蕎麦を好きになったきっかけがL’Arc〜en〜Cielだったとは。意外すぎます。
「ラルクがずっとずっと好きで、高校時代から現在までコンサートはなるべく全通(ライブや舞台、イベントなど、公演に対して『全部通う』を意味する造語)を心がけています。ライブがあれば北海道へも、ハワイへも行きます」
──そこまで熱心なドエル(L’Arc〜en〜Cielのファンのこと)だったとは。でも、ゆさそばさんはクラシックの演奏家ですよね。L’Arc〜en〜Cielとはジャンルが違うのでは。
「実は私、バイオリンを始めたのもラルクの影響なんです」
──L’Arc〜en〜Cielとバイオリン、どうつながるのですか。
「小学校4年生のとき、親戚の家にラルクのライブビデオがあって、それを視聴したのがバイオリンに関心をいだいたきっかけです。ライブ映像では『winter fall』(ウィンター・フォール)という曲にオーケストラが入っていて、“なんて美しい曲なんだろう”と感動したんです。それで、“私も将来、ラルクのバックで演奏したい!”と思ってバイオリンを始めました。子ども心に“バイオリンだったら演奏でhydeさんに近づけるかも”って下心もありましたね」
──初めて彼らのライブを実際にご覧になったのはいつですか。
「1999年、小学校5年生のときです。東京ビッグサイトで10万人ぐらい動員する大きなライブがあって、母と一緒に観ました。それで決定的にハマりました。小学生のころからドクロ柄やゴスロリっぽい服を着るなど、影響を受けましたね」
──お母さんはロックに理解がある方なのですね。
「母はヤマハのエレクトーン講師で、私が6歳のときにマイケル・ジャクソンのコンサートを観るために東京ドームへ連れていってくれたり、ジャズを聴きにブルーノート東京に連れていってもらったり。いろんな音楽に触れる機会を与えてくれました。バイオリンを習いたいと言ったら喜んで買ってくれたんです」
──小学生のころに芽生えた「L’Arc〜en〜Cielのバックで演奏したい」という夢は、その後も持続していたのですか。
「もちろんです。バイオリンを学ぶために武蔵野音楽大学に通っていたころも、そして現在も、想いはまったく冷めていません。バイオリンの仕事をしていると、つらい経験をするんです。同期や後輩が上手な演奏をしていると、本当に自己肯定感が下がっていく。そんなとき“ラルクに会いたい”“バックで演奏したい”という気持ちを噛みしめる。だから続けられる。ラルクが私の心の支えなんです。なんせバイオリン講師の仕事に就けたのも、ラルクのおかげですから」
──ど、どういうことですか。
「実はバイオリン講師の試験に一度、落ちているんです。音大の在学中に講師の募集がありまして、一度目は“ちゃんとしなきゃ”と就活スーツを着て行きました。髪もそれまで茶色に染めていたのですが、黒く染めなおして。でも、落ちちゃいましてね。二度目は“もういいや”って気持ちになり、茶髪のまま、普段着で試験を受けたんです。それで面接のときに、“ラルクが大好きで、ラルクのバックで演奏したくてバイオリンも始めました”という話をしたんですよ。好きなラルクの魅力を熱く語っている姿がイキイキしてよかったみたいで、それで受かったらしいです」
hydeへの憧れから苦手な蕎麦を克服
──hydeさんへの憧れから蕎麦に興味を持つようになったそうですが、もともと蕎麦はお好きだったのですか。
「実は……嫌いだったんです。まったく食べられないくらい大嫌いでした。hydeさんが好きだと言わなかったら、今も食べていないかも」
──まったく食べられないくらい嫌いだったとは、これもまた意外ですね。
「食べ物の好き嫌いはほとんどなくて、けっこう何でも食べられるんです。けれども、唯一の例外がお蕎麦でした。特に香りが苦手で、お蕎麦屋さんの前を通ると気分が悪くなるくらい。でも、“尊敬するhydeさんのためにも苦手意識を克服しなきゃ”と思ってチャレンジするようになったんです」
──どのようにして壁を乗り越えたのですか。
「初めは家で乾麺をゆでて食べるところから挑戦しました。“う! 気持ち悪い”と口を押さえながら食べましたね。そうして次第に食べられるようになりましたが、おいしいと感じたのは、ずいぶん後なんです」
──蕎麦をおいしいと感じるようになったのは、いつですか。
「2014年です。チェーン店の富士そばさんに紅しょうがの天ぷらがのったお蕎麦があって、おそるおそる食べたら、意外とおいしかった。それで“食べたよ”ってTwitterに写真をアップしたら、けっこう『いいね!』がついたんです。そこから“お蕎麦をもっと研究したい”という気持ちになりました」
──2014年と、はっきり覚えているんですね。
「そうなんです。2014年は忘れられない年で、つらい時期だったんですよ。そのころ、私は5人組のアイドルユニットの一員だったんです」
──ゆさそばさんにはアイドルだった時期があるのですか。
「“幻奏戦士そらみれど”という5人組のユニットで、“ゆさ”という名前でアイドルをやっていました。全員が弦楽器を弾く音大出身のアイドルというコンセプトがあって、応募したら受かったんです。2012年から2年ほど活動しました」
──ということは2014年にアイドル活動を終えたんですね。
「はい。それまでニコ生をやったり、レギュラー番組もあったり、けっこう期待されていたんです。けれどもメジャーデビューのためにCDを作ろうかって矢先にメンバーが辞めちゃって、解散しました。“今後どうやって生きていこうか”と悩んでいた時期でしたね。そんなころに“お蕎麦を食べたよ”と投稿したら、ファンの方々から“バイオリニストでも立ち食いそばを食べるんだね”とたくさんの反応が返ってきて、手ごたえを感じたんです」
──まるで苦手だった蕎麦が、ゆさそばさんの味方をしてくれているようですね。
「そうなんです。それ以来、お蕎麦を食べ歩くようになりました。 “オソバイオリニスト”というワードも思いつきまして。2015年にシングルCD『そばにいて』を制作し、それがゆさそばのデビューとなりました」
──食べ歩きをして、蕎麦に対する考え方は変わりましたか。
「手打ち蕎麦のおいしさに開眼しました。足利にある『山』という名のお店で食べたお蕎麦に衝撃を受けたんです。“玄そば”という、蕎麦の実の黒い殻をそのまま残した麺で有名なお店なんですが、素のえぐみ、苦味をダイレクトに感じられて、“すごい。こんな香ばしいお蕎麦あるんだ”って驚いたんです。それから手打ち蕎麦にハマりました」
──以前はにおいも嗅げないほど蕎麦が嫌いだったのに、大逆転ですね。
「本当にそうですね。蕎麦って知れば知るほど奥が深いです。お蕎麦屋さんだけではなく生産者さんの畑へ行って収穫のお手伝いをしたり、製粉所を見学したりもするようになりました。その工程を辿(たど)るうちに、食べ物に対する感謝の気持ちが強くなりました。ありがたみをひしひしと感じますね。お蕎麦から学んだことは本当に多いです」
蕎麦を究め、憧れのL’Arc〜en〜Cielに辿り着きたい
──バイオリニストになって、幼いころからの夢である「L’Arc〜en〜Cielのバックで演奏する」という夢には近づきましたか。
「それは、全然です(苦笑)。まだお会いできていないですね。ただ、CD購入の特典だったZoomでのオンライン飲み会に抽選で当選し、1分間だけhydeさんとお話しした経験があります。そのときは蕎麦職人の格好をして、朝からお蕎麦を打って、“実はバイオリンも弾くんです”ってhydeさんにアピールしました。覚えていてくださっているといいのですが」
──いつか蕎麦好きつながりで、バックでの演奏が実現するといいですね。長きにわたって心をとらえて離さないラルクの魅力はどこにあるのでしょう。
「ビジュアルがすごくカッコいいのはもちろん、楽曲の多彩さですね。暗い曲、明るい曲、さまざまな曲がある。演奏もいろんなテクニックを使っていて奥が深いです」
──「奥の深さ」なんですね。蕎麦の魅力と通じますね。お蕎麦屋さんでの演奏は今後も続くのでしょうか。
「続けたいです。ご応募いただいたのにまだ行けていないお店もたくさんあるんですよ。バイオリン講師の仕事や、他の演奏会とのスケジュールを調整しながら、今年も回っていきたいですね」
◇ ◇ ◇
L’Arc〜en〜Cielに憧れるあまり、アイドル時代を経て蕎麦に行きついたという類まれな運命を辿る、ゆさそばさん。「いつかラルクのバックで演奏したい」という夢を胸に秘め、今日も演奏と蕎麦打ちのスキルを磨きます。いつか彼らとの間に蕎麦の虹がかかることを祈るばかりです。
バイオリンを抱え、全国の蕎麦処をめぐる彼女。あなたの街の蕎麦屋や蕎麦イベントに現れるかもしれません。要チェックです。コロナ禍がおさまれば、さらに彼女の行動範囲は広がり、のど越しがいいサウンドを聴かせてくれることでしょう。まさに今、ゆさそばはREADY STEADY GO(準備万端)状態なのです。
(取材・文・撮影/吉村智樹)