2004年に公開された嶽本野ばら原作の映画『下妻物語』をきっかけに、幅広い層にも知られるようになったロリータファッション。ロリータモデルの中でカリスマ的人気を誇るのが、青木美沙子さんです。Twitterで9万人近いフォロワーを持ち、ファッションブランドとのコラボ商品を数多くプロデュースしています。
美沙子さんは、モデルという側面だけではなく正看護師の資格を持ち、看護師としても働いています。二足のわらじを履く美沙子さんに、ロリータファッションにハマったきっかけや、モデルをやりながら看護師を続けている理由をお聞きしました。
おしゃれ好きの看護学生から、雑誌の読者モデルに
──今日のお洋服も細部まで繊細で可愛らしいファッションですよね。ロリータファッションを着始めたきっかけは何でしたか?
「高校生のときにスカウトされたのがきっかけです。『KERA(ケラ!)』(ジェイ・インターナショナル刊。1998年創刊、2017年休刊)という雑誌が好きだったのですが、原宿を歩いていたら、たまたま『KERA』のスタッフの方に声をかけてもらったんです」
──普通に歩いているだけでは、なかなか声はかけてもらえないと思いますが……。
「おしゃれはしていきました(笑)。“もしかしたら、声をかけてもらえるかもしれない”って期待しながら歩いていましたね。当時はまだSNSがなかったので、雑誌のストリートスナップに載るのがインフルエンサーになる近道だったんです。それくらい読者モデルは憧れの存在でした」
──当時からロリータファッションに身を包んでいたのですか?
「いえ。ロリータファッションはお金がかかるんですよ。何か一着だけですむものではなくて、頭のさきから靴までそろえると、1つのコーディネートで10万円近くかかる。高校生の私には買えなかったんです」
──『KERA』のなかでは、青木さんはどのようなファッションを着ていたのですか?
「当時『KERA』に載っていたのは突飛なファッションで、顔中ピアスでいっぱいだったり、パンク系だったり……。普通に歩いていたら、二度見されるような人が出ている雑誌でした(笑)。その中で、私はロリータモデルという位置づけでした。だからプライベートでの購入は難しかったけれど、お仕事ではロリータファッションを身につけられるようになりました」
──初めてロリータファッションを着たとき、どう感じました?
「私がロリータファッションを着るようになったのは17歳のとき。大人になっても、“お姫様になりたい願望”って、きっと誰しもあると思うんです。私はロリータ系の洋服を着ることで、お姫様になれる高揚感を感じてしまった。そこでハマってしまいましたね」
表紙モデルでもギャラは1万円。看護師になることを決意
──普段から身に着けるものも、ロリータ系になっていったのですか?
「高校生には全身ロリータファンションはハードルが高かったので、基本はお仕事のときだけ着ていました。上から下まで集めるようになったのは、看護師になってからです。でも、普段もちょっとだけリボンのついたカーディガンを着るとか、バッグだけロリータ風のものに替えるようにしていました。ロリータファッションで生活をしていこうとは思っていなかったのですが、ただただ好きで、少しずつ買いそろえていました」
──モデルの仕事をやりながら、看護師の資格を取られたのですか?
「高校で、看護師の勉強ができる看護科に通っていたんです。高校卒業の資格と准看護師の受験資格が取れるので、そこで准看護師資格を取りました。そのあと、2年制の短大に進学して、正看護師の資格も取りました」
──看護師はいつごろから志していたのですか?
「もともと『ナースのお仕事』や『ER』というような、医療を扱った作品が好きだったのです。テレビドラマを観て、“自立した女性ってかっこいいな”って思っていました。でも当時の自分には得意なものはなかったので、高校にあがるときに、“将来は資格をとって、何か技術を身につけよう”と思ったんです」
──モデルだけでやっていこうとは考えなかったのですか?
「モデルの一本でやっていくという道も頭をよぎったのですが、この時代の人たちの多くは、私も含めモデルが趣味のひとつというか……。“学生のときの思い出作り”みたいな感じで、それで食べていこうとはしていなかったと思いますね。『KERA』の表紙に登場しても、ギャラが1万円だったんです。“これでは生活できないな”って感じていました」
──モデル業もシビアな世界なのですね。ご両親からもモデルの仕事を反対されたりはしましたか?
「一度、20歳くらいのころに、“モデルが楽しいから看護師になるのを辞めたい”って親に相談したんです。父は“とりあえず資格だけは取っておきなさい。そうすれば好きなことができる。好きなことするには、筋の通った仕事をひとつ持ちなさい”って言ってくれた。両親は、モデル業界は浮き沈みが激しいということを、わかっていたんだと思います。資格を取ってからは、特に何も言われないですね」
ハードな医療現場と華やかなモデル業界とのギャップ
──普段は、どのような医療現場で働いていますか?
「訪問看護の仕事をしていて、在宅での介護や看護が必要な方の自宅をまわっています。看護師のときは動きやすさが命なので、ナース服で、髪もまとめています」
――看護師の仕事は大変ですか?
「20歳から25歳の5年間は大学病院で働いていました。夜勤もあったのでハードでしたし、肌荒れがすごかったですね。不規則な生活だったのですが、夜勤明けになぜかマクドナルドのメニューを食べたくなるんですよ。看護師ならこの感覚、わかってくれるんじゃないかと思う。でも、そのせいでさらに肌が荒れて太りました(笑)」
──看護師の仕事で印象に残っていることはありますか?
「看護師1年目のとき、ステルベン処置(エンゼルケアとも呼ばれる死後のケア)を担当していたんです。霊安室に遺体を持っていくまでに、服を着替えさせて、身体をきれいにする処置を行います。夜勤は、例えば患者さんが50人いる中で、看護師は3人しかいないような環境。
まだ20歳だったので、遺体を前に“えっ、どうしよう”って慌ててしまって、なぜか鼻血が出てきました。でも、どうすればよいのかいいのかわからない。そんな状況を経験して、“(仕事が大変なぶん)もっと自分の好きなことをやったほうがいいなって感じました。それがロリータファッションを着ることにつながっているかもしれません」
──肉体的にもハードな中で、看護師を続けられているのはなぜだと思いますか?
「白衣に憧れていたというのもありますね。看護師になりたいという気持ちの中には、“白衣を着てみたい”っていう単純な理由もあったんです。ロリータと同じで、ファッションでモチベーションをあげたかったんです」
──ご自身のTwitterでは、アパレルブランド『ローラ アシュレイ』とコラボしたメディカルウェア(ナース服)を着用した画像もアップされていましたね。
「看護師も可愛いナース服が着たいですし、それでモチベーションを持つ人も多いと思うんです。今は聴診器もさまざまな色があるので、好きなものが選べます。でも、地味じゃなきゃいけない、こうじゃなきゃいけないっていう束縛が医療業界にはまだ強い気がしますね。
看護師のイメージって、きつい・汚い・くさいの3Kだと思うんです。コロナ禍で、“3Kな職場”というマイナスなイメージがさらに強くなってしまった。だからこそ、可愛いナース服を作ることで、若い方々にも興味を持ってもらいたいとも思っています」
──今は、看護師の仕事とモデルの仕事の割合はどれくらいですか?
「モデル業とブランドとのコラボやプロデュースが9割で、1割が看護師です。ここ最近は、企業とのコラボ企画も増えてきました。でも、コロナ禍でモデルの仕事が減ってしまい、少し前までは看護師が9割で、モデル業が1割でした」
──美沙子さんが看護師とモデルの仕事を両立されていることに対し、周りから何か言われたりしますか?
「二足のわらじを履いていると、“看護師だけに絞らないのか”と言われたりもします。同業者の中には“看護師という職業を極めるべきだ”という価値観を持っている人もいるので、2つの仕事をすることは、業界的にはよくないことという印象だったみたいですね。“看護師としての熱意はないのか”って言われたこともあります」
──それでも、看護師業を続けられた理由はありますか?
「熱意を持ってやっているという自負がありますし、コロナ禍でも仕事がある看護師という職業はありがたいなって思います。逆に、モデルのような芸能界の仕事ってギャンブル。売れるかどうかわからない不安定な状況はストレスで、これ1本では自分には耐えられないと感じました。だから、わりと安定した仕事をしつつ、モデルの仕事もするほうが、生活と心の安定を保てるかなって。実際に、2年くらい前は、コロナ禍でモデルの仕事が減ったので、看護師の仕事をめちゃめちゃ頑張りました」
──異なる業種の仕事をしていることでのメリットはありましたか?
「看護師の仕事をしていると、時に病むというか……。つらいこともあるなって思っていて。普段の医療業界とは違う世界に自分を置きたい、みたいな願望は以前からありましたね。だからこそ、モデル業のよさや楽しさがわかったし、視野も広がった。ただ、看護師の仕事は、今後モデル業がいくら忙しくても、たとえ月1回でも続けたいと思っています」
──確かに、今は副業や複数のキャリアを持つのも当たり前になってきていますね。
「人それぞれの働き方があると思うんです。ファッションも多様性を受け入れようと言われる中、働き方も多様性が必要だと感じています。看護師の中には、私以外にも二足のわらじを履くタイプが増えてきていますし、そのあたりは昔よりは変わってきたかもしれません」
自宅の衣裳部屋には500着。総額1000万円以上!
──ロリータファッションをしていることで、最初は周りの反応が気になったりしましたか?
「最初は、親からも“そんな格好で外に行くのか”って言われたりしました。特に、家からの道は、近所の人に会ったりするかもしれないのでドキドキしました」
──ロリータファッションをしている人がいたら、確かにチラ見してしまいますね。
「最近、電車の中ではみなさんスマホを見ているから視線は気にならないのですが、スマホからふっと顔を上げたとき、だいたい目が合います。そして、みんな目を見開くっていう(笑)。酔っぱらいにも絡まれたりするんですよ」
──着ている服だけで、そんな目にも遭ってしまうのですね。
「やっぱりまだ、ロリータファッションは一般的なイメージがよくない。本当は、自分のアイデンティティの部分はあまり語りたくはなかったんですが、看護師という部分を入れて発信していかないと、ロリータのイメージも上がっていかないなって思ったんです」
──ちなみに、ロリータ服は何着くらいお持ちですか?
「500着は持っていますね。1着あたり3万円するものが500着なので、1000万円以上は使っていると思います」
──1000万円ですか!?
「田舎だったら、マンションも買えなくはないかな(笑)。家には服用のお部屋があります。ロリータファッションって、1着ではなく一式。ひとコーデ用に、上から下までそろえてパニエも買わなきゃいけない。高価な趣味なんです」
年齢を公表した理由は?「自分らしく生きる」ということ
《こういうDM本当沢山くるのょー メンタル強くならんと好きを貫い生きていけない ちなみに私は38歳ですが》(青木美沙子さんのTwitterから引用)
──美沙子さんは、38歳という年齢を公表されています。ロリータファッションに理解がない人から非難される可能性もある中、どうして年齢の公表を決めたのですか?
「『セブンルール』(フジテレビ系)という密着番組に出演したときに、“年齢を出してほしい”って言われたんですよね。そのときは33、34歳という微妙な年齢だったので、表向きには年齢は非公表にしていたんです。年齢を出すことによって、“ばばあって言われたらどうしよう”とか、“みんなが引いちゃうだろうな”って思ったので迷いました。でも結局、はっきりと年齢を言ったことで、共感の声が上がったんです」
──例えば、どのような反響がありましたか?
「“私も同年代だけれどロリータファッションをしています”、“応援しています”というような好意的な意見がほとんどでした。自分がコンプレックスだと思っていた年齢を言ったことによって、逆によかったんだって気づいて、自分のパーソナルな部分を恐れずに出していこうって思えました」
──女性は結婚や出産というライフイベントのタイムリミットを言われることが多いですよね。
「ロリータファッションも、フリルやレースがついているので“若い子が着るもの”という風潮があるんです。私のところにも、“ロリータババア”という中傷や、“モデルの賞味期限切れ”というような言葉が届くこともあります。でも、“何歳になろうが、ピンクやフリルを着たりしても別にいいじゃん”って思います。年相応のファッションというものは特にないって思っているし、そういう価値観は変わっていってほしい」
──心の中では好きを貫きたいと思っていても、周りの圧力に耐えられないという人も多そうですよね。
「私は、世の中の“普通”に反するとしても好みの服を着ていたいし、自分らしく過ごしていきたい。誰かが決めた年相応のファッションではなく、好きなファッションを貫く。好きなように生きたほうががいいって思っています」
ロリータファッションを通して、自分にあった働き方や価値観の多様性を発信している青木美沙子さん。穏やかな語り口のなかには、凛とした強さが感じられました。インタビュー第2弾では、美沙子さんがマッチングアプリで遭遇した、男性からのロリータファッションへの根強い偏見などについて語っていただきました。
(取材・文/池守りぜね)
【PROFILE】
青木美沙子(あおき・みさこ) ◎正看護師兼ロリータファッションモデル。日本ロリータ協会の会長でもあり、2009年には外務省から「カワイイ大使」として任命され、これまでに25か国45都市以上を訪問。Twitterのフォロワー数は約8万8000人、中国におけるSNS総フォロワー数は100万人を超える。ロリータファッションブックの発売や、数々のアパレルブランドとコラボしたプロデュース業も行っている。
・オフィシャルブログ→https://lineblog.me/aokimisako/
・公式Twitter→@aokimisako