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おいしい

『プッチンプリン』発売から50年、コロナ禍でも売上を伸ばした「変わらぬ味」とパッケージの秘密

SNSでの感想
今年で発売50周年を迎えた『プッチンプリン』
目次
  • アイスピックで底をついて出すゼリーを見てひらめき
  • プリンカテゴリーは3つ。プルン、焼き、あと1つは?
  • ステイホームがもたらした甘いもの需要
  • パッケージに秘められた思い

 誰しも一度は食べたことがある国民的スイーツ『プッチンプリン』。底のつまみをプチっと折るだけで、中からプリンが飛び出す仕組みに、子どものころは胸を躍らせたもの。

 かく言う私もプッチンプリンのファン。日頃から小学生の娘と一緒に食べているのですが、最近になって1972年に発売されたプッチンプリンが今年で50周年と知り、驚きました。老若男女に長く愛される秘密は、一体どこにあるのでしょうか?

 そこで今回は、プッチンプリンのマーケティングを担当する江崎グリコの柳澤香さんにお話をお聞きしました。時代が変わっても変わらない味の裏には、隠された工夫や努力がありました。

アイスピックで底をついて出すゼリーを見てひらめき

──今年で発売から51年目を迎える『プッチンプリン』ですが、最初からこの商品名だったのですか?

1972年に発売した時は『グリコプリン』で発売しました。パッケージのふたの部分には、“底のポッチをプッチンしてね”ってポイントが書いてあったんです。そこから呼びやすい名前にしようということで、1974年のタイミングで『プッチンプリン』に改名しました。当時はまだ、スーパーなどの売り場ではほとんどプリンが市販されていなかった時代。デパートやパーラーで食べる『プリンアラモード』というような、ごちそうでした。最初の商品は、小ぶりな110グラムでした。今、コンビニなどで販売している『Bigプッチンプリン』は、160グラム。それがスタンダードになっています」

──当時から、自宅で食べるプリンとして知名度はあったのですか?

「1974年の改名とほぼ同じタイミングで、プリンとしては初めてのCMを放映しました。そこから徐々に認知されていきましたね」

──そのような時代背景の中、プッチンプリンはどのようにして生まれたのでしょうか?

会社からは“ヨーグルトを売りなさい”と言われていたのですが、チルド商品の担当者にはプリンを作りたいという思いがずっとありました。でも、社長はプリンに見向きもしない。そこで担当は、社長の昼食のお弁当に競合他社のプリンを付けて、社長がプリンと接する機会を作っていたらしいです

──逆境からのスタートだったのですね。

「すでに何社かがプリンを販売していましたので、グリコは後発になる。社長は“そんなのやっても意味がない”という姿勢でした。そのため、新規のプリン開発は、案件としては却下されていました。でも、諦めきれない社員が市場調査などをしたそうです」

──プッチンプリンと言えば、なんといっても底にあるつまみをプチっと倒すのが楽しみの一つですが、この容器はどのようにして生まれたのですか?

当時、レストランや喫茶店で食べられているプリンが上がカラメル、下がプリンだったので、一番おいしいプリンの形はこれだ! と思ったことが、この容器に着眼する出発点でした。そこから、普通にスーパーで売られていたプリンとの差別性を見出したいと、容器が生まれていきました。

 カラメルが上になるやり方を探しましたが、なかなかアイデアが浮かばずじまいでいました。でもあるときパーラーで店員がゼリーの型の後ろにアイスピックで穴を開けて空気を入れ、ポトンッとゼリーの中身を落としていました。それを見た担当者が“これでプリンを容器から落とせるかも”と思いついたんです。そこで、容器メーカーと開発をしたそうです

つまみをプッチンすると、プルンとプリンが!

──偶然の発明だったのですね。それだけ柔らかいプリンなのに、自転車で商品を運んでも崩れないですよね。

「容器と中身の接着の部分はかなり研究していて、落ちにくいようになっています。結着性が高いため、容器とぴたっとくっつく。くっついているからプッチンできるんです」

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