小野小町の贅沢三昧メニュー

 平安中期以降の著作に『玉造小町』を主人公にした物語がある。これは小野小町をモデルにしたといわれ、その物語の中に小町の食膳が詳しく紹介されている。

「もともとは玉造小町が口にした料理なのですが、しかし当時すでに伝説化していた小野小町を意識しているのは間違いありません。そこには、美容効果の期待できそうな料理名があげられています」

 主なものをあげると、次のようになる。

 まずは、フナの包み焼き、焼き物はアユ、吸い物はタイ、サケの干し肉、ボラの干物、ウナギの鮨、マグロの酢味噌あえ、ウズラの汁、ガンの塩辛、キジの汁ものと続き、クマの掌とある。

 さらに蒸しアワビ、焼きハマグリ、焼きダコ、ナマコの煮つけ、カニの大爪、サザエの肝など。

 こうした贅沢な料理を楽しんだ後は、5色のウリ、リンゴ、ユズ、スモモ、ナシ、アンズ、干しガキ、といったフルーツだ(一部を紹介)。

「注目すべきは、ウナギの鮨や熊の掌、赤鯉の刺身、ふかひれで、美容効果が高いコラーゲンがたっぷりと含まれています

 ここで少しコラーゲンの解説をしておこう。

 身体の中で最もコラーゲンが多く含まれている組織は皮膚。全コラーゲンの約40%が集中している。次に多いのが骨や軟骨、腱で約10~20%、残りが血管やそのほかになる。

 しかし、20代をピークにして70代ではその半分にまで減少してしまう。まさに「花の色は移りにけりな」ということになる。小町は贅沢な食事をしながらも、身体にいい、美容にいいものを積極的にとっていたのだろう。

 現代の一般庶民はここまで食べられるわけがないが、それでもウナギの蒲焼きは何とか手が届きそうだし、牛スジや鶏の手羽先、そしてアジの開きなら簡単にとれる。

コラーゲンの吸収効率を高めるためには、ビタミンCが欠かせません。小町のメニューにはウリとかアンズ、ユズ、モモなどが山盛りされていて、その組み合わせは肌の若返りを図るうえで大変に科学的です」

 私たちもコラーゲンをとるときは、ビタミンCを忘れずにとろう。

明知光秀・妻の夫婦の絆食

 日本人のソウルフードのひとつである味噌汁。すでにそのルーツは卑弥呼の時代の野菜スープの「菜茹」平安時代になると「味噌」という文字が使われている。そして戦国時代には、多くの武将が味噌を積極的に食している。

 そんな時代のある賢女の物語をしよう。その女性の名は、煕子(てるこ)明智光秀の妻で賢女の誉れが高い

 光秀がまだどこにも仕官していない貧しい時代のこと。光秀と友人たちは順々にもてなし役を交代しながら汁講を行っていた。汁講とは、もてなす側はただ味噌汁のみをこしらえ、客は弁当箱にご飯を入れて、みんなで寄り合って汁を賞味し、話も盛り上がるという会

 あるとき、光秀にこの主人役が回ってきたが、お金がない。そこで妻に「もてなしなどできないので断ろうと思う」と伝えた。すると妻は「あなたの顔が立つように私が何とかします」といい、やがて友人たちが集まると、これまでのどの宴会よりも豪華な汁が用意されていた

 友人たちが帰った後で、どうやって金を調達したのかと光秀が尋ねると「髪を売りましたと妻光秀は大いに感謝していつか身を立ててお前の恩に報いるぞと決意した。味噌汁はまさに夫婦の絆を強くしたのだ。

「当時の味噌汁の具として定番だったのがサトイモ、ゴボウ、ねぎ、そして豪華にするにはイノシシ肉や鳥肉も加えたと考えられます。もしあなたが、人々の結束を強めたいと考えているなら、汁講を復活させてみてはどうですか」

髪の毛を売って、夫のために豪華な味噌汁を作った煕子 イラスト/上田惣子

 同じく戦国武将の前田利家の賢妻・まつも味噌汁作りが得意だった。

 尾張(名古屋)出身の彼らは、「豆味噌文化圏」で育っている。大豆100%の豆味噌は、必須アミノ酸のトリプトファンのほか、頭の回転をよくするレシチン、女性ホルモンに似た作用を持つイソフラボンが含まれる

 まつは12歳で利家に嫁ぎ、11人の子どもをもうけた。子だくさんの戦国時代においても、異例の多さだ。また平均寿命が30代後半の時代に、71歳という長寿を全うしている。「まつの健康、長寿、子だくさんの秘密は豆味噌の味噌汁にあったといってもよいでしょう

 まつの味噌汁は、あつめ汁といって、ダイコン、ゴボウ、サトイモなどの根菜類をふんだんに使っている。