その昔、喫茶店や食堂のテーブルに置かれていた魅惑の暇つぶし。昭和のレトロアイテムが次々と消えゆく中、現役の背景を探ると──。
「今でも月約150〜200台ほど売れています。昔からずっと同じ金型を修理しながら使って製造していますので、見た目も性能も変わりません。おみくじ1回の値段も100円のまま据え置きです」
と話すのは、岩手県滝沢市の「北多摩製作所」の取締役営業本部長・進藤卓弥さん。
球体のマシンには12星座占いそれぞれのコイン投入口があり、100円玉を入れてレバーを引くと上部のルーレットがスタート。同時に小さな筒状に丸められた運勢を告げる紙がポトリと排出される。
ルーレットの玉が何番に収まるかが占いの行方を左右するため、レバーを引く力加減やタイミングで利用者の技術介入余地を残しているのが最大の魅力だ。
開発に3年! まるで“下町ロケット”?
同社はこの「ルーレット式おみくじ器」を現在も製造・販売する国内唯一の企業。本業は金属加工で、メーカーから注文を受けて医療機械に使う金具を作ったり、パソコン内部の骨組みに精密な穴を開けるなど“下町ロケット”のような仕事に取り組んできた。だれもが知る超大手メーカーの人気商品にその技術が採用されたことも。
そんな企業がどうして、おみくじ器をつくることになったのか。話は1983(昭和58)年にさかのぼる。
「おみくじ器では後発メーカーでした。当時は社名の通り東京・調布市で町工場が参集するエリアに会社があり、社長はよく隣近所のネジ加工業やプラスチック加工業の社長らとマージャンをしていたんです。ある日、“最近、喫茶店でおみくじ器がはやっているらしいよ”とだれかが話し、よし、作ってみようとなったのが始めです」(前出の進藤さん)
その頃、街の喫茶店でよく見かけたのは、上部が灰皿になっている半球体のおみくじ器だった。すべてまねるわけにはいかないので、灰皿の代わりに、カプセルにドライフラワーを入れて鑑賞する球体にした。
「ところがほとんど売れませんでした。もう金型はつくってしまったので、ある程度、量産しないと元が取れない。どうしたものかと考えていたところ、周囲にギャンブル好きが多かった社長が“ルーレット式”に仕様変更することを思いついたんです。おみくじ器をつくるメーカーは当時たくさんありましたが、ルーレット付きはうちが最初です。開発には3年かかりました」(進藤さん)
おみくじ器に3年。これぞ“ものづくりジャパン”の技術者魂と言っていい。喫茶店などに出入りするレンタル業者らに飛ぶように売れたものの、はやりあれば廃りあり。やがて売り上げは下降線をたどり、競合メーカーは手を引いてゆく。