野村監督の提案の真意は?

 前述のように、当時の新庄さんはツーストライクまで追い込まれると、最後は外側に逃げるとんでもないボール球に手を出して三振することが多いという欠点がありました。

 この悪いクセを直そうと考えた野村監督は、キャンプ中、新庄さんにこんな提案をします。

「自分がやりたいポジションをやっていいぞ」

 この監督の言葉に新庄さんは「ピッチャーがやりたい」と即答。これは、まさに野村監督の期待した回答でした。新庄さんは、まんまと野村監督の策にはまったのです。

 キャンプでは、実際にピッチャーの練習をさせました。そして、翌年のオープン戦では、本当にマウンドにも立たせたのです。

 もし、このままシーズンに突入していたら、大谷翔平選手が現れるより遥か前に、「二刀流」として成功していたかもしれません。

 しかし、「ピッチャー新庄」が見られたのはオープン戦だけでした。野村監督の本当の狙いは別にあったのです。

経験してみて、わかることがある

 野村監督は、新庄さんにピッチャーをやらせたことについて、その著書『プロ野球奇人変人列伝』(詩想社新書)のなかで、こう語っています。

「この経験は新庄にとってもプラスになったはずだ。自分でやってみて初めてわかることがあるのだ。実際にピッチャーをやってみて、ストライクを取ることがどれだけ難しいかということが、彼もわかったと思う」

 そうです。バッターがボール球に手を出して空振りしてくれることが、どれだけピッチャーを助けるか、新庄さんは身をもって知ったというわけです。

 事実、この「ピッチャー体験」以降、新庄さんは、外角に逃げるとんでもないボール球に手を出すことが少なくなりました。

「理屈で説明しても通じない相手に対して、実体験で学ばせること」に成功した野村監督。さすが、名監督と呼ばれただけのことはあります。

 野村監督が使ったこの秘策。一般企業でも使えるものです。

 私の知るある会社では、期間限定で、営業が事務スタッフの仕事を経験するということを実施しています。さらに、事務スタッフも期間限定で営業と同行し、実際にお客様先へ行くという経験をするのです。

 こうすることで営業は、普段、自分の仕事を支えてくれている事務スタッフの大変さを知り、事務スタッフのほうも、お客様と接する営業の苦労を体感することができる。

 双方が相手の仕事を経験することで、「お互いに助け合う気持ちが生まれる」という相乗効果が見込めるというわけです。

 自分と関わる「違う役割」を体験することで、その仕事の苦労を知り、自分の仕事へ活かすという、野村監督が新庄さんのバッティングを変えたこの秘策。

 いろいろな組織で、活用できるのではないかと思います。

(文/西沢泰生)