「昔はよかった……」的な風潮になっていくサロン
当時、アカデミーの会員になることはすなわち、将来の安定を約束されること。会員は、フランスじゅうの画家の憧れだった。だから画家たちは「アカデミーにウケる絵を描かないと、食っていけない」となり、世の中は歴史画と肖像画ばっかりになる。
そんななか、1789年にフランス革命が勃発(ぼっぱつ)。簡単に言うと、あまりに横暴だった王家を、力をつけた一般市民がクーデターで倒したのだ。
王家が解体されたので王立絵画彫刻アカデミーはいったん解散したが、1816年には王政復古の勢いのまま「芸術アカデミー(アカデミー・デ・ボザール)」と名を変えて再スタートした。それで、サロンもまた始まった。
このころ流行(はや)っていたのが「ロココ主義」。とにかく豪華絢爛(けんらん)でド派手。そして、ちょっとエロい。そんな絵画作品が一部でもてはやされていた。
そんな風潮に対してサロンの審査員は、もう“激オコ”。「色彩で感情を爆発させるんじゃなくて、まずは教科書どおり、デッサンから大切にすべきだ。大事なのは色じゃなくて”線”なんだよ」といった具合に、とにかく超保守的だった。
再び吉本の例でいうと「突飛なボケとかやめて、まずは三段オチとか天丼から学べよ」って感じだ。こうした考えを「アカデミズム」という。次の絵は「アカデミー・フランセーズ」の院長・アングルの絵画だ。シンメトリーでかっちりした構図が「あぁ、古きよきルネサンス」という印象である。
しかし、フランス革命後の画家たちは以前よりも強かった。「なんや王家は。そんな閉鎖的だから革命起こされるんやぞ。新しい表現も評価しろや」と、キレてかかったのだ。
まずアカデミズムとバッチバチになったのが「ロマン主義」。彼らは「感情表現をがっつり込めて”色彩表現”をするスタイル」だった。下の画像はロマン主義の代表的な画家・ドラクロワの名作『民衆を導く自由の女神』だ。
アングルのかっちりした作品に比べて抽象度が増し、色彩による微妙な表現がよく表れている。「なんで戦場で半裸やねん」などとツッコんではいけない。これがロマン主義というものだ。