教科書を破り捨てたインディーズ集団「印象派」

 ロマン主義もだんだんと世間的に認められていくのだが、フランスでは、アカデミーがずっと画壇の中心だった。そんな時代において風景画や静物画は、作品展に出品しても、そもそも議論の対象にすらならない。「なんでアイツ、ずーっと空と海ばっかり描いてんの?」みたいな扱いで、サロンでも即、落選だったのである。

 この状態に腹を立てていたのが、冒頭で紹介したモネやルノワールだ。彼らはもともとアカデミーの出身だが、「んだよ! 歴史画とか嘘みたいな絵ばっかり描きやがってよ! 日常の風景のほうがリアルだろうが」とガチギレだった。ひずみのきいたギターで「ジャアアアアン!」と、かき鳴らしたわけだ。精神的には、もうツンツンのモヒカンだったはず

 すると、セザンヌなどの、ほかの画家も呼応。1863年にはマネ(この人もアカデミー出身)が先輩として組織をリードして、全員で一斉に、アカデミズムとは真逆のスタイルでサロンに出品した。サロンはもちろん彼らの作品を容赦なくすべて落としたが、「この年の落選数は明らかに異常だった」という。

 なかでも、マネの『草上の昼食』は大スキャンダルを起こした。当時「裸体は卑猥(ひわい)だから歴史画だけね」というルールがあったが、それを普通に破ってみせたのだ。また「娼婦を連れてピクニックをする」という当時の遊びを描くことで、アカデミズムの求めるものを完全に無視したのである。

エドゥアール・マネ『草上の昼食』

 この作品は「落選者展」に出品された。「落選者展」とは、文字どおり「サロン・ド・パリ」に落選した作品を集めた展覧会で、多くの場合は1863年のものを指す。先述したとおり、この年は大量の作品が落選し、それに画家たちが抗議した結果、当時の皇帝・ナポレオン3世が企画したのだ。

 この展覧会で『草上の昼食』は、もう爽快なくらいボロクソに大炎上する。ただ、炎上商法的な感じで、このスキャンダラスな作品に注目も集まった。このあと、彼らの作品は一部の界隈で愛されるようになっていく。

 しかし、サロンはだんだんと「落選者展」すら開催をしなくなっていく。マネやモネ、ルノワールたちはそんな状況に「もう自分たちでイベント開こうぜ! 画壇を変えようぜ」と、サロンとは別で勝手に展覧会を開催したのだ。地下でやっているバンドがオリコンチャートを見て「なんだこの、セルアウトしちまった魂のない音楽は」と、勝手にインディーズでアルバムを出す、みたいな感じである。

 1874年に開かれた第1回の展覧会(後に「印象派展」と呼ばれる)に、モネは『印象・日の出』という作品を出品。

クロード・モネ『印象・日の出』

 結果的にいうと、この展覧会は大不評だった。評論家から「あー、これ実像じゃなくて印象なのね(笑)。いや、確かに、ふわっとした絵だわ(笑)」と、腹立つ感じで批判される。この批評から「印象派」という名称がついた。

 サロンが1か月で40万人の入場者を集めたのに対して、第1回の印象派展は3500人しか来なかったし、ほとんど「やばい絵が展示してあるらしいよ!」と面白がってきた客だった

 ただ、印象派はめげずに第2回、第3回と「印象派展」を開催する。すると面白いことに、民衆から「なにこの新しい表現! オシャレでいいじゃん」と、受け入れられ始めるのだ。当時のフランス人は、それまで数百年にわたって画壇を支配していたアカデミズムの様式に、もう飽き飽きしていたのかもしれない。こうして、印象派は世間に受け入れられていくわけである。まるでマンガみたいなストーリーで、印象派は認められたのだ。

 印象派の画家たちは基本的に画壇での評価を受けなかったので、ほぼみんな、貧乏なまま死んでいった。ただ、モネ、ルノワール、ピサロなどは、最終的にちゃんとサロンでも評価される彼らのパンクな精神は、ついにサロンを変えたのだ。

 この流れを受けて、逆にサロンは「おいおい、まだ伝統芸能やってんのかよ。もう古いっしょ」的な感じで批判され、1881年からは改革のために、国家ではなく民間で運営するようになる。また、1884年には「審査なし! 作品を送ってくれたら、誰のどんなものでも展示するよ」というテーマで「アンデパンダン展」が開かれはじめた。今の日本でいう「コミックマーケット」的なやつだ。

 アンデパンダン展が始まったことで「どれだけ前衛的な表現をしても人の目に触れる」という場ができた。こうして絵画の表現はどんどん広がっていく。門戸が大きく開いた背景には、確実に印象派による「印象派展」がある。これを開催しなかったら、まだ閉鎖的な流れが続いていたに違いない。

 印象派の作品は、いま見ると優雅で素敵な作品ばかりだが、その背景には、インディーズパンクバンド並みの尖(とが)りまくった精神があったわけだ。いやもう、改めてモネやルノワールの肖像を見ると、鋲(びょう)のついた革ジャンとツンツンのモヒカンがうっすらと見えてくるに違いない。

(文/ジュウ・ショ)