養老先生とまるのベタベタしない関係

 さて、大の虫好きとして知られるばかりか、動物好きとしても知られ、子どものころから常に家に動物がいたという養老先生。中学生のころには猿を飼っていたこともある。まるちゃんの前には、チロちゃんという女の子とも暮らした。

「チロは自己主張の強い猫でね、よくテーブルの上に上がって食べ物に手をつけていた。それで女房がすっかり猫嫌いになってしまった。ところが、まるは行儀のいい猫でね、そこがよかった」

 そんなまるちゃんは、2002年に養老家にやってきた子猫のころから泰然として、大物感漂う猫だったそうな。

「気まぐれだし、決まったところで寝てばっかだし。若い時から置物的でしたね。猫は人間のように社会性の動物じゃありませんから、誰かに遠慮したり、忖度(そんたく)したりということがない。嫌なことはしない」

 まるちゃんはチロちゃんのように、日常的ないたずらで自己主張をする猫じゃなかった。フードをねだるとき以外は、自分からは養老先生にも近寄ろうともしない。決してベタベタしない猫だったと語るが、そう語る養老先生のまるちゃんとのつきあい方もまた、ベタベタしない、淡々したものだった。

「仕事から帰ると、まるの頭をポンとたたくのがあいさつがわり。そのたびに振り返って、“なんだよ?”と言った表情で私のほうを見る」

机にのぼって養老先生をじっと見つめるまるちゃん 撮影/平井玲子

 こうした淡々としたつきあい方は、先生のもともとの性格だけでなく、職業からもきているらしい。

「医者という職業の影響でね。僕、若いころ、臨床のまね事をしたけれど、臨床で患者さんが亡くなるんですよね。そうすると、こちらもダメージを受ける。別に冷淡っていうわけじゃないんだけど、いつもある程度、気持ちからは離しておかなくちゃならない」

 こうした気持ちの持ち方は、ペットとのつきあいに対しても同じだった。

「子どものころから生き物が好きだったので、常に動物が身近にいた。こうした動物に対しても患者さんと同じで、“切れたら致命的”という関係は持たないほうがいいと思っていた

ペットロスはどうしたら治せますか?

 そんな淡々としたつきあいが、いや淡々としたついあいであればこそ、先生の中でまるちゃんの占める割合が増していく。

「いそうな場所にふと視線を向けるといない。そんな時に、“なんでいねえんだよ”と思い、少したって“ああそうか、死んだんだ”と気がつく」

 どんなラブラブなカップルや夫婦でも、24時間1年365日のベタベタでは、見ないでいい部分まで見えるようになってしまう。友人との関係だって、破滅的なほどの破局は、あいさつ程度の人よりも仲がよい友人との間で起こる。ほどほどのつきあいこそが、関係を長続きさせ、真冬のストーブのおき火のように心地よいものにし続けるための秘訣(ひけつ)なのだ。

 でも、そうとはわかっていても、つい濃厚な関係になり、失うとぼう然となってしまうのが猫好きの常。残されたカラー(首輪)を見ては涙をこぼし、フード用のボウルを見ては鼻の奥をツンツンとさせている人も多いに違いない。あるいはペットを失う恐怖におびえたり、ペットが夫婦のかすがいで、そのかすがいを亡くしたいまは、パートナーとの会話がどうも続かない。そんなご夫婦もいるだろう。そこで先生にお聞きしてみた。

「愛するペットを亡くしたこの痛み、どうしたら治せますか──?」

「よく“また飼えばいい”って言っています。治すにはまた猫を飼うしかない。ようするに治らないってことです。(飼っている動物の)数を増やせばいいとも言っていますね」

 先生が言うには、死は自然の法則のなかに厳然とある事実であり、人も猫もかならず通る道とのこと。かならず通る道ならば避けることはできないし、ロスの悲しみがなくなる時は、絶対にやってこないものであるらしい。

 それを前提にしつつ、新たな家族を迎える。そして新たなその子のよさを見つけ出す作業を続けることで、こころ(脳)が痛む時間を短くしていく。そうやって脳をあざむき続けることこそが、ペットロスから抜け出す唯一の方法だと、脳科学の第一人者は言うのだ。

ポスターのまるちゃんの頭をなでる養老先生 撮影/山田智絵

 そう語る養老先生だが、前述のとおり、まだまだまるちゃんの跡継ぎを迎える体制ではないようだ。

「次の猫は、家にいる家族、なにより奥さんの意見を聞かなくちゃいけない。なかなか注文がやかましいからね。でも“いい”と言ってくれれば飼うかもしれないね」

 とはいえ、まるちゃんの写真を見つめる目はかぎりなくやさしく、まるちゃんへの薄れぬ思いにあふれて見える。

 どうやら養老先生も、まだまだ脳をあざむくところまでは、行き着けていないようである──。

※後編《「どうして猫のように生きないんだろう」養老孟司先生が教える“楽に生きるヒント”》

(取材・文/千羽ひとみ)

《PROFILE》
養老孟司(ようろう・たけし)
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。幼少時から親しむ昆虫採集と解剖学者としての視点から、自然環境から文明批判まで幅広く論じる。東大医学部の教授時代に発表した『からだの見方』で89年、サントリー学芸賞。2003年刊行の『バカの壁』は450万部を超える大ベストセラーとなった