「足るを知る」ことが大切

 以前、誰かに、中国の思想家・老子の言葉で「足るを知る」という言葉があると教えてもらったことがある。この言葉には続きがあって、「足るを知るものは富む」と続くという。最後の「富む」は、金銭のことだけを言っているのではないだろう。

「自分にとって本当に必要なものは何か?」それを知り、不必要なものを取り除いていく。必要不可欠で身の丈にあった生活にこそ、満ち足りた毎日、精神の豊かさにつながるヒントがあると、おそらく老子は言いたいのだ。

 インタビュー中、先生は「居心地の悪いところから立ち去ると、居心地のいいところに自然と収まる」と言葉にされた。遠回りな言い方ではあるけれど、これはきっと、同じ意味に違いない。

 老子が言うように、猫のように温かな寝床、大好きなマヨネーズなど、必要不可欠なものを知り、それ以外を取り除けば居心地よくいられるだろう。だが社会性の動物である人間は、そう簡単にはいかない。

 仕事は定時までで十分と考えて残業を断れば幸せでいられるが、ほかの誰かに残業を押し付けることになる。人間の世界では、それでは人づきあいの悪い勝手な人間ということになり、ついには孤独になってしまうだろう。孤独に陥る前に職を失い、生活が立ち行かなくなるのは確実だ。

「だから、無理や我慢をしない、あるいは100%居心地が悪いわけでもない、自分が一番安定していられる状態ってところを見つけるのが大切だけど、それが結構むずかしい。でも女性は男性より見つけやすい気がするよ。それなのにダンナの尻をたたいたり、勉強しろと子どもの尻をたたいたり。それって“ちゃんと生活できているけど、もっと収入がほしいから”だったり、“お隣の子と比べてどうして?”ってことでしょう? どうして猫のように“足るを知って”生きないんだろうと思いますね」

養老孟司先生 撮影/山田智絵

“好きに生きたい”思いを猫に託して

 他人の目なんか気にしない。必要と不必要を見極めて、不必要なものとは距離を取る生き方。それができれば、どんなに心穏やかに生きられることか……。

 そんな絶妙な距離感の取り方も、実は猫との生活にヒントが隠れていると養老先生は言う。

 猫は非社会性の動物で、人間社会を支配する常識や忖度(そんたく)はみじんも意に介さない。だがペットとして社会性の動物と同居している以上、その生活や居心地は、人間との関係のうえに成り立っている。“おなかがいっぱいになればゴロっと寝るし、嫌なやつとは会わない”状態であったとしても、人間とうまくやっていくことができるのなら、そんな猫の人間との距離感、人間とのつきあい方には、世間と自分との距離感、人とのつきあい方のヒントとなるものがきっと存在するはずだ。

「猫を飼っているということは、なにかいいところ、惹かれるところがあるからじゃないですか? たとえば、“ああいうふうにいられたら”とか。昨今、猫ブームが言われますが、その理由はここにあると思います。人間は犬を見ても“ものさし”にすることができません。同じ社会性の動物で、同じように社会にがんじがらめにされているから惹かれないんですね。人間は人間の“好きに生きたい”という思いを、猫に託しているんだと思います」

ポスターのまるちゃんの頭をなでる養老先生 撮影/山田智絵

 仕事に疲れ果て、「好きに生きたい」と感じたら、猫と暮らそう。人間関係に困り果てたら、猫とつきあってみよう。そして猫の毎日と生き方を、じっくりと観察するのだ。

 猫と暮らす毎日には、もっとよく、もっと気楽に生きるための、ヒントがぎっしりと詰まってる──。

(取材・文/千羽ひとみ)

《PROFILE》
養老孟司(ようろう・たけし)
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。幼少時から親しむ昆虫採集と解剖学者としての視点から、自然環境から文明批判まで幅広く論じる。東大医学部の教授時代に発表した『からだの見方』で89年、サントリー学芸賞。2003年刊行の『バカの壁』は450万部を超える大ベストセラーとなった