“年に何回かは食べたくなる”と言われるケーキを作りたい

 それからは東京と京都をまさに東奔西走する日々。2か月に一度はアメリカに行って、お菓子作りに必要な材料や道具なども仕入れてこなければならない。毎日のように朝・昼・夜と教室があり、一度に8人の生徒を教えていた。店に出すケーキもすべてきちんとプロデュースした。

 あるとき、テレビでとある女優さんが「お土産として持っていく」とアップルパイを紹介してくれたことから、松之助のアップルパイが爆発的に売れた。しばらくは代官山の店の前に行列ができていたという。

「ほかに店を持つとかデパートに出すとか、そういうことは考えませんでした。シンプルなケーキばかりなので、量産しすぎると味が落ちるし、材料の品質を落としたらすぐわかる。混ぜ方、焼き具合、ほんの些細(ささい)なことで味が変わる。お客様の舌は正直です。おいしくなかったら、お客様はすぐにいなくなります。そういう怖さがあるんですね。そもそも、すべて手作りなので、量産できません。いつでもどこでも買える便利なお菓子ではなくて、“年に何回かは食べたくなる”と言われるケーキを作っていたいんです

 それは平野さん自身が、若いときに食べた『トップス』のケーキや、青山にあった『ココパームス』のチョコレートパイなどへの思い入れが強いからだ。ときどき、だが無性に食べたくなるケーキを目指して、彼女は今も勉強中だという。

 ただ、ニューヨークに店を出す夢だけはどうしても諦めきれなかった。駆け抜けた50代をへて60代になってから、思い切って夢を現実にした。

「物件があったので飛びつきました。小さなお店だったけど、私にはちょうどよかった。ケーキは買いに来てもらえたんですが、とにかく賃料が高い。撤退時期を間違えたらいけないと感じて2年で閉じました。結果はともあれ満足でしたね」