貸本・劇画系のヒット作も登場

 1960年代はまさに激動の時期であり、トキワ荘だけでは終わりません。トキワ荘が地上で活躍するメインストリームだとしたら、ちょっとサブカルっぽいところにも革命児たちがいるんですね。そのひとつが「劇画」でした。

 1950~60年代当時に流行(はや)っていたのが「貸本店」。もともと戦後すぐから、「赤本」という書籍がありました。これは出版社の正規ルートを通さずにコストを抑えて作られた本で、書店ではなく、祭りの縁日や駄菓子屋なんかで売られていました。ただ、1955年くらいから値上がりして、小学生のお小遣いでは買えなくなります。

 その代わりに、10〜20円くらいで借りられる「貸本店」が急増するんです。当時は学校の図書館みたいに、本の末尾に借りた人の名前を書くスタイルでした。だから、漫画編集者が貸本店に来て本の末尾を見て、「どれくらい人気なのかな~」と調べていた時代です。

 貸本店にある漫画は比較的、小規模な版元が多かった。書店に置かれる大手版元では、前述したトキワ荘系の漫画家たちが描いていたんですが、小規模な版元の貸本漫画はさいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、松本正彦といったメンツがスターだったんです。

 彼らは、貸本漫画の人気が高まっていくころに、「劇画」の母体となった貸本短編誌『影』『街』といったヒット作品を作ります。1957年末には辰巳ヨシヒロが『幽霊タクシー』という作品で初めて「劇画」という言葉を使いました。従来の少年漫画に対してアクション性の高いストーリー漫画を指し、最初のほうこそ「説画」や「駒画」など呼称にばらつきがあったんですが、最終的に「劇画」と呼ばれるようになります。さいとうや松本も編集者に「紹介文に劇画と書いてほしい」と依頼していました。

「劇画漫画」は、絵のタッチが子ども向けの漫画とは明らかに異なるんですね。まず、キャラクターが当時はかなり写実的。線は男らしくて太く、背景の描き込みが複雑です。さいとう・たかをが描いた『ゴルゴ13』のデューク・東郷の眉毛を想像していただけるとわかると思います。カメラワークも引き・俯瞰(ふかん)的なショットがふんだんで渋く、画面もかなり暗めです。ストーリーも笑いどころは少なく、かなりシリアスな展開が多い。まさに「ハードボイルド」ですね。

 この「劇画」は漫画の歴史において、とんでもない革命でした。というのも、当時は「漫画=子どもの読み物」というイメージが強かったんです。松本正彦の自伝漫画『劇画バカたち!!』では、当時、貸本店を訪れた辰巳・さいとう・松本が店主から「いい年の大人が漫画を読むなんて世も末だね」と、あきれられる描写があります。

 ただし一部、大人向けの「風刺漫画」はありました。それにも「くすっと笑える要素」は必要だったんですね。

 しかし、劇画の誕生で、漫画は「必ずしもユーモラスでなくていい」「青年や大人も楽しめるもの」とイメージが拡大されます。今では、いろんな漫画があって老若男女誰しもが楽しめますが、その出発点はまさに「劇画」だったわけですね。

 一方で、これに対抗心を燃やしたのが、子ども向け漫画を描いていた「トキワ荘」のメンバーです。

 手塚治虫は劇画の代表作のひとつ、『巨人の星』を読んで「これのどこが面白いのか、説明してください」と、ちょっとキレ気味でアシスタントに尋ねたといいます。また、藤子不二雄両氏は「(劇画漫画を読んで)メラメラと情念を感じた」と回想し、赤塚不二夫は「絵がリアルならいいのか」と面白がって『ゴルゴ13』のパロディを作りました。

 ただ、赤塚は「これからの時代は劇画が来るかも」と予感していたともいいます。事実、1960年代には『週刊少年マガジン』によって「劇画ブーム」が来るんです。「トキワ荘vs劇画」という両者のぶつかり合いによって、さらに青年向けに意欲作が生まれ、1960年代に漫画の表現技法は発展していきます。

“攻め”の漫画「ガロ系」が世間に受け入れられていく

 劇画が盛り上がってきた1964年にリリースされるのが『月刊漫画ガロ』。サブカル系の、いわゆる「攻めた表現の漫画」のことを今でも「ガロ系」といいますね。これはマジで主観ですけど、文化系サークルに属する黒ぶち眼鏡をかけた大学生の部屋には、2022年の今でもほぼ100%、ガロの漫画がある。それくらい、今でも主に文系の大学生に影響力を与え続けている雑誌です。

『ガロ』を立ち上げたのは出版社、青林堂の創業者・長井勝一と漫画家・白土三平です。初期はそこに『鬼太郎夜話』を描いていた水木しげるなどを含めた体制で漫画を発表していました。ちなみに、白土と水木は紙芝居出身の漫画家で、実は、あの「ゲゲゲ」で有名な鬼太郎も、最初は紙芝居のキャラクターです

『ガロ』が創刊された1964年は、テレビや週刊少年誌の普及によって貸本漫画が衰退していた時期。だから、あえて貸本ではなく、コストがかかるうえに競合がめっちゃ手ごわい一般書店向けに雑誌を出しました。ライオンとトラがいる檻に、ちっちゃいモルモットがゆっくり入っていったようなもんなので、周りからは「いやいや、絶対ムリ。2歩目で食われるって」と止められたそうです。

 でも『ガロ』がすごいのは、そんな完全弱者なのに「売れること」よりも「漫画としての面白さ」を優先したところ。つまり、常人の思考ではついていけない”とがりまくった作品”が、デビュー志望者から持ち込まれ、編集者の干渉をほぼ受けずに出版されるんです。確実にモルモットなんですけど、痛点がない、みたいな「超ストロングスタイル」。これ、とんでもない男気ですよね。シビれます。

 蓋(ふた)を開けるともちろん、創刊当初は鳴かず飛ばずでした。しかし、1966年ごろから、その攻めっ攻めな表現主義の漫画が、大学生くらいの年代にだんだんと受け入れられ始めます。

 というのも、1960年代後半から国内外で、“既存の秩序破壊ブーム”が起きたんです。「フォーマットをぶっ壊していこうぜ!」っていうね。アメリカでは黒人差別に対してヒッピー・ムーブメントが誕生した。日本では「大学生による全共闘」が起きたわけですね。

 そんな思想と『ガロ』の今までに読んだことがないほど芸術性・作家性が高い漫画は、親和性が超高かったんです。それでガロは70年代にかけて、インテリ系サブカル青年たちに支持されます。

『ガロ』の漫画のスゴいのは、今でも「斬新すぎるやろ。何じゃこの漫画は……」と絶句してしまうくらい攻めているところ。冗談抜きで、今も昔も最先端の雑誌なんですね。その結果、50年以上たった今でも、『ガロ』の漫画はインテリ系サブカル大学生を魅了しているのです。