“古川未鈴”の誕生。メイド喫茶の店員から念願のアイドルへ

──接客業は嫌ではなかったですか?

「このころから“未鈴”を名乗り始めたのですが、本名ではなく、“未鈴ちゃん”として人と接することが不思議と楽しかったんです私が話しかけることで、お客さんに喜んでもらえるといううれしさも覚えました

──メイド喫茶は、自分に合っていたと思いますか?

「はい。毎日違うことが起きるので、なんて面白いんだろうって感じていました。あと、人が喜んでいるところを目の前で見られることもうれしかった。メイド喫茶を経験すると、おもてなしの心がより強くなるんじゃないかなって思いますね

コンビニやデスクワークなどさまざまなバイトをしたが続かなかったものの、メイド喫茶だけは飽きずに続けられたという 撮影:山田智絵

──そこから、でんぱ組.inc結成のきっかけとなるライブ&バー『秋葉原ディアステージ』(以下、ディアステ)で働き始めたきっかけは何でしたか?

「ちょうど秋葉原に萌え文化が広がり始めたころで、“少しでも自分の名前を売りたい”という思いでディアステに入った、という感じですね。その当時はディアステのバイトだった、もふくちゃん(福嶋麻衣子・でんぱ組.incの現プロデューサー)とは、一緒に歌って踊ったりもしました

 今考えれば幻の時代なんですけれど、もふくちゃんは絶対音感の持ち主なのに、歌はめちゃくちゃ下手でしたね(笑)。もふくちゃんから教わった言葉で、“やりたいことは口に出せ”っていうのがあって。だから周りにもずっと“絶対にアイドルがやりたいです”って言い続けていました。その結果、でんぱ組.incが生まれたんです

──いわゆるアイドルのスタートとしては、異質な感じですね。

「そうですね。でんぱ組.incは、大手事務所がオーディションをしてメンバーを集めて始まった、というわけではないんです。2人組(古川未鈴、小和田あかり)のユニット『でんぱ組』から始まって、メンバーが増えていった。最初から舞台が用意されていたアイドルではなかったので、手探りでしたね

──未鈴さんは、ソロになるつもりはなかったのですか?

「ひとりでステージに立つことよりは、みんなで何か1曲を歌って踊るのがよかったので、ずっと“ユニットでやりたい”と主張し続けていました。でも当初は、グループで握手会とかリリースイベントを開いても、10人も来ないんですよ。“このお客さんとの握手が終わったら列が途切れちゃうから……”と、粘りに粘って5分くらい握手したこともありました」

──えっ、本当ですか!?

「本当に人気なくて……(苦笑)。“誰にも求められていないな”っていうのが、でんぱ組初期の感想ですね。同じころに、アイドルソングとアニメソングって、似ているようで相反するものだって、実感したんです。当時は二次元VS三次元みたいな風潮があって、でんぱ組は、その中間を行くような立ち位置だったから、どっちのイベントに出ても受け入れてもらえない。“どこにも需要がないんだな”って思っていましたね」

「いやあ〜しんどい日々でしたね……」と振り返る。冬の時代を乗り越えたからこそ、今より輝いているのかもしれない 撮影:山田智絵

──つらいですね。センターならではの重圧も感じたりされたのですか?

「“未鈴がセンターね”って言われたわけではなくて、なんとなく“私が真ん中に立つね”って感じで、すべてが“なんとなく”で始まった。最初はそんな感じでしたね」

──苦しい経験も多かったなか、どうやってアイドルとしてのモチベーションを保とうとされましたか?

「もふくちゃんが、“電波ソングとアイドルを掛け合わせたグループはまだいない”って言ったんです。“だったら、今は世間に認められていないけれど、いつかは受け入れられるはず”。そう思って、謎の自信で活動を続けていましたね」