私の知る範囲では、日本でこういった調査はあまりさかんではないように思えた。

 そこで、英国のジャーナリストが、産まない選択をした50人の女性に取材する『「産まない」時代の女たち チャイルド・フリーという生き方』(ジェーン・バートレット・著/遠藤公美絵・訳)を読んだ。

 いろいろな側面から「産まない選択をするということ」について書かれたノンフィクションであり、新鮮だった。

 原書は1993年に出版されたようだが、「自分の意志で産まない」と言える人が、30年前からこんなにいたのか、という驚きもあった。

 私が特に注目したのは、インタビューした多くの人が《自分の意志で産まないと決めるまでの経緯を断定するのが難しいと答えた》という箇所で、著者も《ひとつ・ふたつの要因を拾い出して「理由」にすることが無意味だ》と述べている。

 まさに、私が父を知らずに育ったのはその「ひとつ・ふたつの要因」に含まれる。

「自分は、子どもを生まないという選択をする」

 周囲に言うだけでも勇気のいることだが、「なんで?」と聞かれたとき、答えを用意しないといけないという、もうひとつのハードルがある。

「寂しいから産むものじゃない」妹のひと言が契機に

 前述したように、30代で多嚢胞性卵巣症候群の可能性があると言われた私は、子どもを産む方向で治療を始めるか、もしくは産まない選択をして人生を送るか、選択を迫られているような気分になった。

 自分の老後を考える。

 子どもも孫もいなくて、夫に先立たれたらどうしよう。

 そのとき、「子どもを産めばよかった」という気持ちにならないだろうか。

 周囲の友人は、すでに子どもがいたり、不妊治療をしていたりして、だれに相談してもお互いに傷つけ合うことにならないか心配だった。

 とりあえず家族なら遠慮のない意見を言ってくれるだろうと思い、当時、独身だった妹に相談してみた。

 話を聞いた妹は「私は将来、子どもが欲しいと思っているけど」と前置きをしたうえで言った。

「自分の老後のために子どもを産むのは違うよね? 産む選択をした理由が老後のためって人は、ほとんどおらんと思うで。子どもには子どもの人生があるねんから、親がしばったらあかんやろ」

 20代の妹は、私よりずっと大人だった。

 そうだ、子どもを産む選択をしたとしても、それが自分の寂しさを埋める手段になってはいけない

 長いあいだ考えたが、私は、自分の考えではなく自分の老後や国の少子高齢化、周囲の「産んだほうがいい」という意見に影響されていることに気づいた。

 だんだんと「自分の意志で産まない選択をしている」と友人にも言えるようになった。

 すると、30代半ばになるにつれて、周りの友人でも同じように考えている人が増えていった。

 彼女たちもまた、「自分の意志で子どもを産まない」と言えずに悩んでいた。家族にさえ、打ち明けられないでいる人もいた──。

(文/若林理央)

【30代半ば以降、周囲の声を聞いて新たに考えたこと、経験したことをつづった第2弾は、3/31の12時に公開予定です】