「現状維持」という言葉が、ネガティブにとらえられることもある現代。ですが、年収90万円で東京ひとり暮らしをしていたこともある作家の大原扁理さんは、「現状維持はすばらしい」と語ります。
その理由は、この言葉のとらえ方にありました。
「現状維持」のほかにも、「夢や希望」「自己責任」……そんな言葉が、時として攻撃的に使われることに違和感を感じるみなさんに、大原さんは新たな価値観を教えてくれました。
(過去のインタビューでは、25歳から始めた隠居生活やお金に関する考え方、死生観などについても語っていただいています。第1弾:「社会の価値観と自分の正解は別」東京で“ひと月6万円生活”をした大原扁理さんに学ぶ、低収入で楽しく生きるコツ / 第2弾:『年収90万円でハッピーライフ』の著者が「お金も家も、人格化して考える」理由とは)
変化し続けているからこそ「現状維持」ができる
──「現状維持ってすばらしい」とおっしゃっていましたが、そうと思っている理由を教えてください。
「私、現状維持が大好きなんですよね。というのも、本当の現状維持って、微調整の繰り返しなんです。そのまま放っておいたら、後退するので。後退せずに現状維持し続けているのは、常に変化をしているからこそできることなんです。これって、実はすごいことなんですよ」
──日本では、現状維持という言葉にネガティブな印象を受けることがありますよね。
「そうですよね。本当に変わっていないことに対しては、『現状維持』ではなくて『時代遅れ』っていう言葉がふさわしいのかなと。それこそ、役所での事務作業なんかがその典型ですかね。“(もっと効率化できるはずなのに)ただ昔のやり方を引き継ぎ続けているだけじゃないかな”って感じます。
私自身は現状維持のために常に変化してきましたし、これからもしていくと思うんですけど、“毎日を楽しめて、明日死んでも特に後悔はないな”と感じられていれば、とりあえずは合格ということにしています」
「自己責任」という言葉は他人ではなく自分に使いたい
──大原さんの新著『フツーに方丈記』は、鎌倉時代の僧侶・鴨長明による随筆『方丈記』を現代風に落とし込んだものだと思います。本著を書いていたときに感じたことはありますか?
「コロナ禍で『方丈記』を読み返してみて、本当に共感しかなかったんですよね。たぶん当時なんて、特に“生まれた場所で人生が決まる”くらいの時代だったと思うんですよ。鴨長明は、神職の最高官位である禰宜(ねぎ)の次男。せっかく“いいところ”に生まれたのに、すべてを捨てて隠居生活を開始するんです。地位も名誉もあきらめて、鴨川のほとりに小さな家を建ててひっそりと暮らします。
今でこそ『多様性』っていう言葉が出てきましたけど、当時にそんな言葉はありません。でも、社会の枠にとらわれず、自分らしい価値観を生活に落とし込んで楽しく生きている様子は、読んでいて引き込まれました」
──著書の中に「自己責任という言葉は、他人にではなく自分に対して使う人間でありたい」というフレーズがありましたが、これも鴨長明の言葉ですか?
「鴨長明がそっくりそのまま、言っているわけではないんです。でも、もし鴨長明が現代にいたとしたらどういう言葉を使うのかなって考えたら、このフレーズが頭にふっと出てきたので、“方丈記の新訳”の一部として書いちゃいました。自分に対しての覚悟として、自己責任という言葉を使うのはいいと思うんですけどね」
──確かに、現代においては少し攻撃的な言葉になっているかもしれないですね。
「すごく違和感がありますよね。“自分の人生をコミットする”というポジティブな意味でも使える言葉なので、どうせならいいふうに使いたいですよね。他人を責めるかのように、攻撃的な意味で使うことがマジョリティにならないよう、意味を更新していかなければと思います」
──本書には「人生に夢や目標のない人って、目の前のことにその都度対応するだけで、ある意味強い」という言葉がありました。この真意を教えていただければと思います。
「コロナ禍になってから、“計画を立てる意味がなくなっちゃったな”って思ったんです。明日のことすらわからないのに、“これまで目指していたことがムダになってしまった”ってなったら、挫折したっていう感情を生むと思うですよね。だから、夢や目標を持たないっていうのは、戦略として大いにアリだと思うんです。挫折を生まないための、ひとつの方法なので。
あと、夢や希望を持つことが称賛されすぎているんですよね。今日の自分が不備なく生きていれば、それ以上にすばらしいことなんて何もないと思うんです」