星野源は“間”を目指す
《欲望を越えろ》
未だかつてサビ前のブリッジで、欲望の超越を歌い上げるJ-POPのアーティストなんていただろうか。星野源はやはりすごい。
なんとなく私のイメージかもしれないが、J-POPの歌詞、特に疾走感のある楽曲の歌詞は、欲望を肯定する傾向にある気がする。「好きなようにやっちゃえ!」とか「時にはLet’s party!」といった具合に。
『Crazy Crazy』もサビの文言だけ聴けば、「Crazy」の名のもとに、快楽を肯定しているようにも聞こえる。でも、興味深いのはBメロでは決まって「上」を目指していることだ。
《愛しいものは 雲の上さ
意味も闇もない夢を見せて》
《等しいものは 遥か上さ
谷を渡れ 欲望を越えろ》
そして、「上」のモチーフの直後で、一番では「意味」と「闇」が並べられ、そのどちらでもない境地を探す姿が歌われる。二番では「谷」である。谷とは山と山の間を指す言葉であり、ここにも何かと何かの「間」を進もうとする意志が歌われている。
この曲だけではなく、星野源の音楽ではしきりに「間」を歩む姿勢が表現されているように思う。
《自分だけ見えるものと
大勢で見る世界の
どちらが嘘か選べばいい
君はどちらをゆく
僕は真ん中をゆく》
──星野源『夢の外へ』より
その究極が『Same Thing (feat. Superorganism)』だと思うのだけど、その感想は次回に置いておくとして、間を歩むことはつまり、そのどちらにも偏らないことを意味する。追随でもなく、反抗でもない。物事を2つに分ける世界から距離を置くあり方である。
仏教の言葉を借りるなら、それを「中道」とか「無分別」と言い表すことができるが、『Crazy Crazy』もまた、こうした二項対立の超越を歌っているように聴こえるのだ。