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社会

「一週間くらい何度も練習しましたよ」町の美容室のおばちゃんが“生業訴訟”の最高裁で語った故郷への思い

SNSでの感想
自宅でインタビューに答える深谷敬子さん=5月17日、福島県郡山市、牧内昇平撮影
目次
  • 「最高裁はお城みたいでビックリ。緊張はしなかった」
  • 「生きてきた証そのものを、原発事故が奪ってしまった」
  • 勝ち負けはどうあれ「原発事故のことを忘れてもらっては困る」

 5000人を超える原告たちの思いを背負って最高裁に立ったのは、町の美容室のおばちゃんだった……。福島第一原発事故の被害者たちが国を訴えた「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ! 福島原発訴訟(生業訴訟)」の最高裁弁論が4月25日にあった。法廷で意見を述べる原告はたった1人。その大役を任されたのは、深谷敬子さん(77)だった。原発事故で避難するまで数十年、福島の浜通り(太平洋沿い)で美容院を開いてきた。「水商売用のアップが得意だったの」と言う町の美容師さんは、司法の最高機関で何を語ったのか?

「最高裁はお城みたいでビックリ。緊張はしなかった」

《私、深谷敬子は、福島県郡山市に生まれ、美容師の仕事に就きました。1968年に結婚したのちは、夫の故郷である富岡町に自宅を新築し……》

 4月25日午後、最高裁第二小法廷に、深谷敬子さんの声が響き渡った。

 深谷さんは、原発事故を起こした国の責任を争っている「生業訴訟」の原告の1人だ。13年に始まったこの裁判の原告の数は、遅れて提訴した第2陣も含めると5000人を超える。福島地裁、仙台高裁では住民側が勝訴してきた。最高裁でも国の法的責任が認められるかが、世の中の注目を集めている。

 最高裁の弁論はこの日のみ。意見陳述ができる原告は1人だけ。その大役を任されたのが、深谷さんだった。どんな人なのだろう? 現在の住まいである福島県郡山市の自宅を訪ねた。
 

◇   ◇   ◇
弁論が開かれる前、原告団の先頭に立って最高裁に入る深谷さん(最前列左から4番目)=4月25日、東京都千代田区、牧内昇平撮影

──傍聴していた原告の人たちが「深谷さんの陳述がすばらしかった」と言っていましたよ。

「私は感じたこと、見たままのことをそのまま話すだけなの。原発事故の避難者だって裁判官だって、肩書をとればみんな同じ人間でしょう。家に帰れば普通の父ちゃん母ちゃんですよ。いろいろ聞けば、楽しくなったり悲しくなったりするんですよね」(深谷さん/以下同)

──最高裁で話すのは緊張したでしょうね?

「ねー。最高裁なんて、普通に生きてたら自分の人生で用事ないでしょう。行ってみたらコンクリートでできた要塞。お城みたいな感じでビックリしました。立派なところでしたよ。でも、緊張はしなかった。私は図々しいから(笑)。私の前に話したのが向こう側(国)の弁護士の人だったでしょ。その人の話が難しくて、難しくて。私、少しトロンとしちゃったくらいなんですけど、となりの弁護士さんが“深谷さんの番ですよ”って小声で教えてくれて。それで目をピカっとさせて、用意していた文章を読みました

──あははは。

「人間、生身の身体だからそういうこともあるんですよ」

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