桃屋さんの『ごはんですよ!』の最後、瓶の内側にくっついてるのりを箸でとるには限界があり、瓶の中にちょっとだけご飯を入れて、科学者がフラスコを回す要領でクルクルして出したご飯を食べたけど、思ったほどのりがついてなく薄味で、「やったかいがなかったな~」とモヤモヤしていませんか? どうも、つぶやきシローです。
今回からフムニューさんで連載をさせていただくことになりましたので、ご挨拶をと思いまして。
じゃあ、何を書くか。これが問題ですよ
いきなりですが、僕の文章は自分で言うのもあれなんですが、ちょっと独特と言うか癖があるというか、はっきり言ってうまいとは言えないので、そうとう僕に寄せて読んでもらわないと成立しなかったりします。つまり好き嫌いが分かれるので、読みたくない人は読まないことをおすすめします。だって、そういう人がムリして読むと悪口のコメントばっか書いてくるんでしょ? もし僕がそれを読んだら、“悪口とはいえ一理あるな~”って怒るに怒れなくてモヤモヤしちゃうしね。そう、あれくらい、なめたけの瓶の最後にちょっとだけご飯入れたのに、いまいち味がつかなかったときくらい。
じゃあ、何を書くか。これが問題ですよ。4月に一度書いたときは「今まででいちばん“こんな人いるのか!”って衝撃を受けた話」ってフムニューさんに言われたから書いたんだけど(該当記事:【つぶやきシロー、吠える】電車で出会った「今まででいちばん“こんな人いるのか!”と衝撃を受けた話」)、最後に「このお題はむちゃぶりだよね」って書いたら、今回は「ご自由にどうぞ」だって。
怒ってるのかな~、今後、締め切り秒単位でせかされるのかな~、粉々のルマンド渡されるのかな~、マイナスからのスタートだよ。でも「ご自由にどうぞ」って、いちばん困るんだよね。よく上司が「おまえの好きなようにやってみろ!」とか期待して言ってくれるけど、縛りがあったほうがやりやすいってときあるよね。「何やってもいいよ」が、いちばん何もできない。
子どものころ、よくお母さんが「夜、何食べたい?」って聞いてきたよね。本当はステーキとか食べたかったけど高いから、「何でもいい」って子どもながらに気を遣って、よかれと思って言ってたけど、お母さんからしたら、毎日の献立を考えるのも大変でつらかったんだろうなって。カレーとかハンバーグという子どもらしいおかず、あるいは身のほど知らずにすき焼きなんて、ワガママだとしても具体的に言ってあげればよかった。お母さん、ごめんなさい。どうしようもない道楽息子を許してください。毎日ご飯を作ってくれてありがとうございます。
フムニューさんの「ご自由にどうぞ」のおかげで、お母さんに感謝することができました。決して嫌みを言っているんじゃないんですよ、「ご自由にどうぞ」という突き放した……いや、僕への信頼の言葉のおかげで、何か忘れかけていたものを思い出したというか、前回からの軋轢(あつれき)……いや、ウイットに富んだプロレスとでも言いましょうか、そのおかげで空よりも広く海よりも深い母の愛情が肺腑にしみました。本当にありがとうございます。