他国の慣習をなんでもかんでも受け入れるのは、多様性とは違う
ドイツは現在、移民国家であり、さまざまな国の人々が住んでいる。文化や慣習も違う。実際に多様性を認めなければ生活できないのだ。
「ドイツではどの文化も尊重されるべきだと考えられていますが、同時に、“多様性とは、ほかの国の慣習をすべて認めることではない”という共通認識もあります。例えばドイツでは、“結婚前の娘がドイツ人の男性とデートして性行為をした”という理由から、イスラム教徒の父親が自分の娘を殺害するという事件がたびたび起こります。イスラム教徒の一部には、家族の名誉を汚した娘を殺害することでしか、一家の名誉を回復することはできないという考え方があるようです。裁判になったときも、加害者の父親や男兄弟が、“家族間の問題だから、周囲は干渉すべきではない”と言ったりするんです。
もちろん、そういう意見が通用するはずもない。ドイツの法律に基づいて加害者は罰せられます。いろいろな国の文化や慣習が入ってくると、いい面もありますが、こういう問題も生じる。これに対して、ドイツ社会は“暴力や女性蔑視は受け入れられない”とはっきり明示しています」
文化の違いだからという名目で、暴力や女性蔑視などを受け入れるようなことがあってはならないのだ。移民を受け入れるなら、受け入れ先の国の価値観を理解してもらうことが何より大事であり、暴力や差別などの残酷な慣習までも認めるわけにはいかないと、国がきちんと示す必要がある。はたして日本にそれができるのか、甚だ不安ではある。
そしてもちろん、個人レベルではコミュニケーションをとることが重要だ。
「先日、ドイツに2週間ほど帰っていたんです。朝からミュンヘンの市民プールに行くと、年配の女性ばかり。更衣室では知らない人同士のおしゃべりに花が咲いていました。私も、見知らぬ人に、“ちょっとビキニのフックを止めてくれる?”とか、やたらと話しかけられました。みんな人とコミュニケーションをとるのが好きなんですね。裸でシャワーを浴びているときでも、いきなり話しかけてくるので、閉口することもありますが(笑)。
でも、日本ではあまり知らない人に話しかける風習がないような気がします。相手を知ることから多様性は始まるのだから、日本も多国籍社会になるのなら、もっとコミュニケーションをとったほうがいいとは思います」