「男だから」「女だから」という考え方にとらわれないで
最近のヨーロッパでは、ジェンダーフリーの考え方が広まっている。男の子はブルー、女の子はピンクというような従来の価値観から離れ、まずはニュートラルなものを与える。その上で女の子がピンクを欲しがるようなら、それは周りの大人によって否定されるべきではない。ただ、最初から“女の子はピンクだ”と大人が決めつけると、価値観が固定化されてしまうのだ。
「知人のスイス人夫婦は、子どもに『シンデレラ』を読み聞かせるとき、ガラスの靴のくだりを変更しているそうです。シンデレラは仕事をがんばり、仕事を通じて知り合った王子様と仲よくなって結婚した、というふうに。ふたりは、“靴がぴったり合うことで王子様に見初められるというストーリー展開は、女の子の教育上、よくない。娘には活動的で、高い自己肯定感を持ってほしい”と言っていました」
基本的にヨーロッパでは、仕事を通して自分の力で生活できる子を育てるのが親の役割だとされているそうだ。そこに女の子らしさや、「経済的には男性に頼ればいい」という価値観はない。自立するのがごく当然で、親は子どもがそういう大人になるように育てていく、ということだろう。「専業主婦になりたい」という女子大学生はヨーロッパには見られないという。
「専業主婦も多様な生き方のひとつだろう」と反論されることもある、とサンドラさんは言う。
「でも、ヨーロッパでいう多様性を認めるという意味は、LGBTQへの理解を深めたり、これまで女性が就いてこなかった職業に就きやすくなったりというように、社会が今までより積極的に前に進めることを指すんです。これが、“古風な生き方も認めろ”という日本と大きく違うところだなと感じています」
今までの殻を破ることが、多様性に近づくカギなのかもしれない。
外国人の受け入れで大切なのは「相手の人格を完全否定しないこと」
「“郷に入っては郷に従え”というのは本当だなと思うことがあります。ドイツでは、男女共用のトイレが主流になりつつあるんですが、ジムのサウナなども共用なんですよ。ドイツに転勤した日本人女性がジムに入会してサウナに行ったら、男女問わず、すっぽんぽんで入っている。思わず逃げたらしいんですが(笑)、そのあと、再挑戦。そして何度か通っているうちにまったく気にならなくなっていった、と。そういう場面で男女間に問題が起こったというケースも聞いたことがありません」
日本だと盗撮とか、それをきっかけにストーカーとか、何かしら問題が勃発しそうな気がするが、もともとオープンな土壌があれば、そこで異性に対して「妙な感情」を起こすことはないのだろう。
サンドラさんはごくニュートラルに、母国であるドイツと日本、どちらも好きだし、どちらも居心地がいいと言うが、それは彼女の懐の深さなのかもしれない。
「日本はまだ外国人の数が少ないけれど、これから受け入れるようになると、いろいろと問題は出てくるかもしれません。いきなり仲よくなれるわけではないし、ぶつかるところはぶつかって、交渉したり徹底的に話し合ったりしながら、少しずつ距離が縮まっていくのではないでしょうか。道のりはスムーズではなくボコボコだと思いますが、大事なのは相手の人格を完全否定しないこと。お互いにそうやって配慮しながら一緒に社会を作っていけたら、それがまさに、多様性への第一歩ではないかと思います」
サンドラさんがさまざまな事例をもとに、ティーンエイジャー向けに書いた『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社刊)は、大人が読んでも目からうろこがぼろぼろ落ちる1冊である。多様性という曖昧な言葉の裏には、厳しい実態もあることがよくわかる。それでも、違うことを認めつつ、相手の声を聴いて理解を深め、お互いに居心地よく暮らせる社会を目指すのは、決して不可能ではないと信じたい。
(取材・文/亀山早苗)
【PROFILE】
サンドラ・ヘフェリン ◎ドイツ・ミュンヘン出身。日本人の母とドイツ人の父を持ち、日本在住歴は20年以上。日本人であり、ドイツ人でもあるという立場から、ハーフ、多文化共生をテーマに執筆や発言を行っている。主な著書に『ハーフが美女なんて妄想ですから!!』(中公新書ラクレ)、『体育会系日本を蝕む病(光文社新書)、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社)などがある。