ゲストの来店履歴を残し、毎回、異なるコース料理を提供

 北海道・函館の実家が雑貨店だった菊地シェフは、忙しい母親の代わりに子どものころから自分の食事を作っていた。料理も苦にならないが、食べることが何より好きだったこともあり、料理人を目指した

 専門学校でそれまで縁がなかった本格的なフランス料理を初めて知り、興味を持った。フランス料理を食べたこともなかったが、コックコート(コック服)に憧れ、フォワグラなど、見たことのない食材にも惹かれた。

「母親とは今も仲がよくて、昨日も電話で近況報告をしていたんですよ」とはにかむ 撮影/伊藤和幸

 辻調理師専門学校を卒業後、多くの名シェフを輩出していた人気店『オー・シザーブル』「クラブNYX」での下積みをへて、1991年に渡仏。

 リヨン近郊『プーラルド』、南仏モンペリエの『ル・ジャルダン・デ・サンス』、ブルゴーニュのボーヌ『レキュソン』、そしてイタリア、フィレンツェの『エノテカ・ピンキオーリ』など、数々の星付きのレストランで修業。'96年に帰国し、東京・表参道の人気店『アンフォール』のシェフを務めたあと、'00年に独立し、『ル・ブルギニオン』をオープンした。

「オー・シザーブルで僕はまだ、学校を出立ての素人。何をやっても怒られて、毎日やめたいと思っていました。3年ほど我慢して続けたら知識も技術もついてきて、ようやく楽しいと思えるようになってきた。そこで、海外修業に出たのですが、スイスのレストランでは言葉の壁にぶち当たり、3週間でクビになってしまいました。んで日本を出たからには帰るわけにもいかず、フランス語と格闘の末、なんとか会話ができるようになって、先輩の紹介でフランスでの修業先が見つかったんです」

 そこから約5年、人気シェフのもとで、さまざまなタイプのフランス料理を学ぶことができた。

「モンペリエの『ル・ジャルダン・デ・サンス』には、そのとき破竹の勢いだった大人気の兄弟シェフ、ジャック&ローラン・プルセル兄弟がいて、トレンドの料理に触れたいと、門をたたいて働かせてもらったのですが、連日満席で、仕込みをやってもやっても追いつかない。あっという間に朝になるので、ヘトヘトでしたね」

 フランスで最後に研鑽を積んだブルゴーニュが、修業時代にもっとも思い出深い場所だったことから、自身の店を『ル・ブルギニオン』と名づけた。

 ブルゴーニュの郷土料理はブフ・ブルギニヨン(牛肉の赤ワイン煮)が楽しめるが、定番の人気メニューは、にんじんのムースブーダン・ノワール(豚の血や脂を使った腸詰め)。現在は一部の料理を、テイクアウトでも味わうことができる。

 定番以外は、年に4回、季節ごとにメニューを変えるようにしている。素材の組み合わせは同じでも、毎年バージョンを更新していく。来店履歴を残してあるため、ゲストは店を訪れるたびに異なる料理を楽しむことができる。

 ブルゴーニュでの修業時代、数々の生産者を訪ねたという菊地シェフはワイン通としても知られ、厳選されたブルゴーニュワインがリストに並ぶ。

「最初に修業したプーラルドで出会ったエリック・ボーマールは、世界一のソムリエになることを目標に掲げて勉強し、コンクールで準優勝しました。描いた夢にぐんと近づいた彼に触発されて一念発起し、自分も誰よりワインに詳しいシェフになることを決意して、ブルゴーニュでは、仕事の合間にワイナリーを100軒以上訪ね、ワインの勉強を重ねました

ワインシェルフには、シェフ一押しの代物がズラリ 撮影/伊藤和幸

「フランスで食事をするようにワインを楽しんでもらいたい」と、価格は驚くほどリーズナブル。

 足しげく通うファンが多いのもうなずける、オープン以来、長きにわたり予約の取りにくい人気店である。