規格外の「シンデレラ」

 デビューのきっかけは「東宝シンデレラ」オーディション。第1回グランプリが沢口靖子で、その後も長澤まさみ、上白石萌音、上白石萌歌、浜辺美波などを輩出している芸能界への登竜門。1996年、第4回の審査員特別賞を受賞した。

「東宝シンデレラを受けたのは19歳のとき。家族が書類を送ってくれました。私自身は芸能界にはまったく興味がありませんでしたし、向いているとも思ってなくて。それでも家族は向いてると思ったみたいで、それまでもいろんなオーディションに書類を送られて。そのつど “受かったから行ってみたら?”って言われて、それが恥ずかしいし嫌で嫌でたまらなくって。

 で、これで最後だよって、もうほかのことをするんだって意思表示をして最後に受けたのが東宝シンデレラだったんです。もう高校も卒業していたので友達も海外に行ったりしはじめてて、私も英語を勉強して海外に行こうかと思っていて」

田中美里 撮影/齋藤周造

「なので、“海外に行ったらナメられちゃいけない” と思って、髪の毛をばっさり短く切っちゃったんですね。でも、その当時の東宝シンデレラって、《きれいなお姉さんが好きですか》の水野真紀さん(第3回審査員特別賞)のイメージ。本当にベリーショートにしたので、私が出ていったら何か会場がザワザワして(笑)。

 それまでは私もすごい長かったんですよ。髪の毛が長い写真を家族が送ったのに、ぜんぜん違う人が現れた。履歴書も自分では書いていないし受かる気もなかったので、“履歴書に何て書いてあるんですか?” みたいなことを聞いて、“へー”ってなってたのを覚えてますね」

 審査員特別賞を受賞し、地元の石川県から上京する準備を進めていた時期に、連続テレビ小説『あぐり』のオーディションがあった。これまた無欲で参加したのが幸いしたのか見事に主役の座を射止め、半年間(撮影は9か月間)お茶の間の顔となる。

 その後は民放の連ドラ『WITH LOVE』『お熱いのがお好き?』などでヒロインを演じ、映画『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』では主人公でゴジラ打倒に闘志を燃やす特殊部隊のリーダーに。

 順風満帆なスタートを切ったように見えたのだが……。

「年齢のわりに顔がちょっと大人っぽかったので、『あぐり』をやり終えてからほかの現場に行くと“何年やられてるんですか?”みたいなことを言われることが多くて。できることがたくさんあると思われて要求されるんですけど、まだ20代前半だし実力が伴っていなくて、やりこなすので精いっぱいな時期もありました」

──ぱっと見の印象で、5〜6歳は上に見られたかもしれません。

「そうです、そうです。セーラー服がもう世界一似合わないっていう(笑)。これはデビュー前の話ですけど、本当の高校生なのにコスプレだと思われたみたいで、“どこのお店の娘?”って聞かれたことがあります(笑)」

フジテレビ『WITH LOVE』の制作発表。左から藤原紀香、竹野内豊、田中美里、及川光博(1998年3月) 撮影/佐藤靖彦
日本テレビ『お熱いのがお好き?』は銭湯を舞台にしたラブコメディー。椎名桔平と(1998年6月) 撮影/近藤陽介 

──大人っぽく見られて得することもあれば、そうでないときもあったでしょうね。

「その当時はギャルの全盛期。コギャルやヤマンバギャルがフィーチャーされていて、そういう言葉遣いをしてほしいって言われることもすごく多くて。自分とはかけ離れた言葉遣いができなくて戸惑ったこともありました

 番宣だったりバラエティーに出たりしたときに、“○○とかでー”とかっていうふうにフランクに話してほしいっていうキャラづけをされることがあって。あまりにも自分っぽくないので、うまくできなくて落ち込んだり」