3か月の完全休養
パニック障害を発症した苦しい時期も体験している。最初に異変を感じたのはNHKで主演ドラマの『一絃の琴』(2000年に放送)を撮っている最中のことだった。
「身体がおかしいなって思い始めて、撮影ができないっていうときがあったんです。あと怖くてリハーサル室に入れなかったりという症状が出たことがありました。
NHKの7階にリハーサル室があるんですけど、エレベーターに乗れなくて階段で上ったり」
──そんなことがあったんですか……。
「その中で発作みたいなってしまったらどうしようって。何かおかしいな、おかしいなって思っているうちに、どんどん不安になっていって。とてもじゃないけど、エレベーターは無理で。手すりに添いながらやっと上っていっているような感じだったんです。でも、そのときも本当に素晴らしい俳優さんたちと共演させていただいて。
あとから監督に聞いたんですが、竹下景子さんは私がどうしても現場に入れなかったとき “監督、何か私にできることないですか?”って何回もおっしゃられていたそうです。
本番なのに楽屋から出られないこともありました。時代劇なので、共演者の方も(衣装とかカツラとか)ぜんぶ用意しなくちゃいけなくて、本当に申し訳なくて……。そのときは山本陽子さんが楽屋にいらしてくれました。山本陽子さんって厳しいイメージがあると思うんですけど、すごくあったかくて優しい方で。トントンって(ドアをノックして)来たんですけど、“あ、そのまま出なくていいよ” “顔を合わせなくていいから、このまま聞いてね”っておっしゃって、“ぜんぜん大丈夫だよー。わかってるから”って、お帰りになったりとか」
──声が聞こえるようです。
「本当にあたたかい先輩方に囲まれてこの仕事をやってきました。年を重ねて魅力的な役者さんばっかりなので、私も一歩でも近づけたらいいなと思うんですけど。
そのとき監督に“どうしてみんながあなたに対して怒らないかわかる?”って言われてわからなかったんですけど、“みんな同じ経験してるからだよ”っておっしゃってくださって」
ドラマの収録を終えたあと病気のことを公表し、すべての仕事を完全にストップさせ、3か月間しっかり休みをとってリフレッシュ。映画『みすゞ』の撮影から現場に復帰した。
その『一絃の琴』の監督、NHKの大森青児ディレクターからは、さらにあたたかい励ましの言葉をもらったという。
「“今は抜け出せないかもしれないけど、諦めないで女優さんを続けてね” ともおっしゃってくださいました。“いま壁にぶち当たったんでしょう? よかったね” って。
最初 “え、なんでいいんだろう?”って思ったんですけど、“『あぐり』のときはがむしゃらで、まだ何もわからないから突っ切ることができたけど、少し経験を重ねていろんなことがわかるようになったから、壁ができたんだよ”って。“(自分は)それにとことん付き合うよ” と監督がおっしゃってくださって、いま私はここにいることができています」