ヨーヨーの魅力は“コミュニケーションツール”であること

――今振り返ってみて、なぜそこまでヨーヨーに魅せられたのだと感じますか?

「僕自身、これまで“ヨーヨーはコミュニケーションツール”と広めてきたのですが、まさにそこが魅力だと思います。ハイパーヨーヨーが流行(はや)りはじめたときって、新しい遊びだからスタートラインがみんな同じだったんです。大人も子どもも世代に関係なく教え合って、ほめ合う関係性になれていたんですよね。自然とコミュニケーションが取れる上にスキルが上がっていく楽しさを味わえたのは僕にとって大きなことでした」

――ヨーヨーを共通言語にして輪が広がっていくことに魅力を感じていたんですね。

子どものころから大人数で遊ぶより一人遊びが好きで、基本的にはヨーヨーも一人で追求する遊び。でもハイパーヨーヨーは海外から入ってきた文化だから、少しノリが違って。自分が習得した技を友達に見せて盛り上がって自然と輪が広がっていくんですよ

 また、ヨーヨーがきっかけで英語が話せるようになったのもコミュニケーションツールであると思ったひとつの理由です。ヨーヨーでハワイに行くことになったとき、コミュニケーションを取らざるをえないから、ロクに話せなかった英語もどんどん話せるようになった。ハイパーヨーヨーとの出会いで自分の性格まで変わりましたね(笑)

ワールドヨーヨーコンテストにおいては、過去3回(2002年、2005年、2011年)AP部門で世界チャンピオンに輝いている 撮影/山田智絵
2005年に開催されたワールドヨーヨーコンテストの授賞式(左から4番目が長谷川さん) 写真提供:長谷川貴彦

――遊びや趣味のままヨーヨーを続けていくこともできたと思うのですが、そうではなく仕事にしたのは、そういったヨーヨーの魅力を広めたいと思ったからですか?

当時これほどヨーヨーにハマっていた大人って僕くらいしかいなかったので、それをみんなに伝えていきたいという責任感がありました。ヨーヨーの将来を考えている子どもはいませんでしたし、ハイパーヨーヨーブーム以前も何度かヨーヨーブームがあったものの、文化として断絶を繰り返していましたから」

――たしかに、70年代のコカ・コーラヨーヨーブームや、80年代の『スケバン刑事』を発端としたヨーヨーブームも一度は去っていたわけですもんね。

99%の子どもは大人になったらヨーヨーをやめてしまうのが当たり前でしたからね。でもオリバーさんは“大人になってから始めたんだから、ブームに関係なくずっとヨーヨーを続けてほしい”と言ってくれて。ディップス就職後はアメリカにあるオリバーさんの家にホームステイしながらヨーヨーを学んだんですよ。アメリカで見たヨーヨーの世界は日本にないものだったから、自分たちで初めからコミュニティをつくっていこうと。そこからヨーヨーの練習会を全国に広めたり、全国大会を開催したり、合宿をしたりと、活動を始めていきました

オンラインショップから世界大会をかなえた『スピンギア』

――『ヨーヨーショップ スピンギア』を立ち上げたのも同じタイミングですか?
「1997年からディップスで働き、6年後の2003年にオンラインショップとしてスピンギアを立ち上げました」

――実店舗を構えたのはいつ頃でしょう。

2006年ですね。“中野ブロードウェイに空きがあるから出てみないか?”と声をかけてもらったのがきっかけです。当時はすでにヨーヨーブームが終わっていたので、実店舗が成り立つとは思っていなかったのですが、思いのほか人が集まったんですよ。それまではヨーヨーって、月〜金は練習して土日にイベントで交流する週末の遊びだったけど、実店舗があることで月〜金も交流したい人が遊びに来てくれた。ヨーヨーでコミュニケーションを取れる場所が、もっと必要だと気づきました

――中野ブロードウェイでコミュニケーションの場が構築されていた中、2011年に秋葉原へ移転していますよね。

ちょうど秋葉原に『AKIBAカルチャーズゾーン』というビルが建設されるタイミングで、サブカルの聖地である秋葉原にいつかお店を出してみたかったこと、“​10年続けたらサブカルチャーに、20年続けたら文化の入り口に立てるのではないか”と思っていたことから、秋葉原という広いエリアでヨーヨーを発信し続ければもっと多くの人に知ってもらえるかもしれない。そんな思いで秋葉原への移転を決めました」

――秋葉原に移転してみて、いかがでしたか?

「移転してすぐ、カルチャーズゾーンの目の前にあるベルサール秋葉原で“​いつかヨーヨーの世界大会をやりたい”と思ったんです。その目標に向けて地元の人たちと関係をつくり、2015年に実現できました。海外20か国以上、2000人以上が集まり、キャパオーバーするほどの盛り上がりで。聖地的な感じでスピンギアにも足を運んでくれる人がいたので、大成功だったと感じています

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 25年間にわたり、ヨーヨーに魅せられ、ヨーヨーの普及と発展のために取り組んできた長谷川さん。次回インタビューでは、長谷川さんが運営する『スピンギア高円寺店』の移転秘話と、ヨーヨーを通して成し遂げたい夢に迫ります。

(取材・文/阿部 裕華、編集/FM中西)

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◎長谷川さんTwitter→https://twitter.com/taka_yoyo