大学中退、母の涙、ニート生活。“チャレンジしなかった”ことへの後悔
──じゃあもう大学生活はバンドとラーメンの日々だったんですね。
「そうですね。学校には全然行ってませんでした。4年間在籍して8単位しか取れなかった」
──いやもう軽音サークルの大学生のあるべき姿というか(笑)。
「バンドマンはだらしない人が多いですからね(笑)。たしかに周りも留年組とか中退組ばっかでした。
学校に行かなかったのも、無駄に尖ってたんですよね。ほんとダメなヤツなんですけど、授業で先生の話を聞きながら“くだらねぇ”って思ってたんですよ。どうしようもないですよね。ほんと、あのときの自分をひっぱたいてやりたい」
──前回、THE BLUE HEARTSと尾崎豊にハマった話がありましたが、これこそ尾崎豊の影響っぽいですよね(笑)。「超高層ビルの上の空、届かない夢を見てる」みたいな。
「いや夢すらなかったんでね。ただの怠惰なヤツですよ。何も成し遂げてないのに、無駄に尖ってたんですよね」
──結局、大学はどうしたんですか?
「4年で8単位しか取れなかったし、そこから本気で単位とっても卒業までに3年かかるじゃないですか。“もう絶対、卒業は無理だろうな”と思って、親に相談して辞めました」
──親御さんの反応は?
「母親が号泣したのを見て、さすがに後悔しました。明治大学って弘前市でも名前は知られてるんで、親も"自慢の息子"と思っていたはずなんですよ。それが蓋を開けてみたら中退じゃないですか。大学を辞めたことより“親を泣かせてしまったこと”がショックでした。
こう言うと“なに被害者面してんだ。大学行けよ”って感じなんですけど、当時は将来を考える余裕がなくて、とにかく目の前の“大学行きたくない”が強かったんです」
──なるほど。でもポジティブに捉えると、中退することで"やるべきこと"がいったんリセットされるじゃないですか。それで、あらためて夢とか目標とかできたのでは?
「いやそれがまったくなくて。完全にノープランでした。さすがに親から仕送りを受け取るわけにはいかないから自立しないと……とは思いましたね。そのときちょうど留年組の友だちとシェアハウスすることになったので、家賃は安くなってたんですよ。
でもバイトを始めるわけでもなくて。当時は僕パチスロが上手だったんで、月25万円のノルマを設定して稼いでましたね」
──月25万円パチスロで勝てるって、それはそれですごい才能ですね。好きなものに対してはもうグイっと前向きになれるんですね。
「そう言われると、中学生のときにゲームセンターのメダルゲームが大好きだったんですよ。たしかに好きなことはめちゃめちゃがんばれるんですけど、好きじゃないことは全然できない性格だと思います」
──パチスロ生活はどのくらい続いたんですか?
「1年くらいです。途中で規制が厳しくなって、勝てなくなっちゃったんです。で、そこからは、ただ貯金を使うだけのニートだったんですよ。家にいながら、ずっと“このままじゃヤバい”という焦りを感じてました。でも人に誘われたら飲みに行く、アクティブなニートでしたね」
──その焦りのなかで就職はしなかったんですね。
「いやそうなんですよね……。いま考えたらめちゃめちゃダサいんですけど、“働かないことがかっこいい”という、あまりにも間違った価値観を持ってたんですよ。ほんとよくないっすよね。そのときの自分に“いますぐ履歴書書け!”って言いたいですよ」
──それも「好きじゃないことはしたくない」という思考が働いたんじゃないですかね。
「そうかもしれないですけど、やっぱ働かないとわかんないじゃないですか。大学もそうですけど、チャレンジすらしなかったことはすごく反省しています。やってみたら、おもしろさに気づけたかもしれないのに“つまらない”って決めつける。なんというか“スープの上澄みだけ飲んで"ダメ"って思っちゃう”みたいな。物事の深みを感じる前に判断してる浅いヤツだったんですよ」