星野源は不二の法門に入っている

 この『Same Thing』の世界観に、数少ない私のボキャブラリーから見つかるのは「不二の法門」という仏教の言葉である。『Same Thing』を歌う星野源は、不二の法門に入っているのだ。

 不二の法門とは、『維摩経(ゆいまきょう)』という有名なお経で説かれる奥義のようなもので、互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではない、ということを説いている。たとえば、生と死、煩悩と悟りは、相反する概念のように見えるが、それらはもともと二つに分かれたものではなく、一つのもの(不二)であるという。

 これを説くために、このお経の主人公である維摩があらゆる問いに対して、一文字も一言も話さなかった姿が、言葉や対立をも越える世界の表れであったとして、「維摩の一黙、雷の如し」という格言で知られている。まさに、これは『Same Thing』における星野源のスタンスと似ている。星野源は歌っているけど、何も意味を発してはいないのだ。

 一僧侶の目線から見れば、『Same Thing』は悟りの境地そのものなのである。野生のブッダと言わざるを得ない私の気持ちをこの原稿でほとばしらせてもらった(これで3回目)。もし文字数がゆるされるならば《侘び寂び》と《めちゃくちゃにしよう》という歌詞についても、仏教の目線で紐解けば、また新たな構造が見えてきて面白いのだが、その無駄な飛び込みはまたの機会にするとしよう。

 もう、とめどないのだ。取り上げても取り上げてもキリがない。恐るべき野生のブッダ、星野源。星野の一曲、源の如しである。出しても出しても、血が足りない。

 もはや語る言葉も必要ない。このまま静かに、地べたに横たわっておくことにしよう。

(文/稲田ズイキ)

《PROFILE》
稲田ズイキ(いなだ・ずいき)
1992年、京都府久御山町生まれ。月仲山称名寺の副住職。同志社大学法学部を卒業、同大学院法学研究科を中退のち、広告代理店に入社するも1年で退職し、文筆家・編集者として独立する。アーティストたかくらかずきとの共同プロジェクト「浄土開発機構」など、煩悩をテーマに多様な企画を立ち上げる。2020年フリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』の3代目編集長に就任。著書『世界が仏教であふれだす』(集英社、2020年)