「映画を作る」ようにクラフトビール店をプロデュース!

──初めてのお店作りは、大変なことが多かったのではないでしょうか?

「大変でしたが、意外にもお店を作るのと映画のプロデュースは、行うことが似ているんです。調べて、取材して、吸収して、予算を工面して、実行する。企画をしたら最後までやり遂げる、というスタイルは今までと同じです

──どのようにして、クラフトビールのお店を作っていったのでしょうか。ビールの作り方はどうやって学びました?

まずは、クラフトビールのコンサル会社にアポを取りました。その会社が携わっている、店内にビールの醸造所があるビアレストランがあり、そこで待ち合わせをしたのですが、実はすっぽかされたんです。

 ただ、そのお店でビールの醸造の仕事をしている人がいたので、コンサル会社の人が来るのを待っているときに、声をかけてみたんです。

 その人は、そのコンサル会社と提携して、(フリーで)醸造の仕事をしている人で、“あさってから新しい機械で作るから点検に来た”のだと。

 これはチャンスだと思い、“アルバイト料はいらないので、手伝わせてください”とお願いをしたら、その人がビアレストランの店長さんに話をつけてくれて、手伝うことになりました。それが、“ビールの師匠”との出会いでした

──コンサル会社の人にすっぽかされたからこそ、つながったご縁ですね。運命的なものを感じます。どれくらいの期間、お手伝いをしたのですか?

「4か月くらいです。ただ、ビールは1日仕込んだら、その後は出来具合(熟成具合)をチェックするだけなので、毎日、行ったわけではないのですが。

 ただ、そのお手伝いが面白かったんです。電気が止まるといったトラブルもあったのですが、師匠は途中で諦めずに、“やれることは何か”を考えて徹底的に追求して、最後まで作り切ったんです。そこにカッコよさを感じました

──「タダ働きした」ともいえますが、言い方を変えれば、「無料でビールの作り方を教わった」ともいえるのでは?

「そうなんですよ。コンサル会社に頼んでいたら、かなり高額な費用がかかるところでした。私には師匠ができたので、いろいろと相談して、酒類製造免許も自力で取ることができました」

元中華料理店をほぼ解体して店づくり

思わず立ち寄りたくなるオープンな店構え 撮影/近藤陽介

──センスが光るモダンな店舗ですが、もともとは中華料理屋さんだったんですか?

「正確に言うと、中華料理屋のあと、カラオケスナックになって閉店し、売りに出ていたんです。

 私は笹塚に20年以上住んでいて、よくこの道を通っていたんです。駅から10分くらい歩いて、喉が渇くあたりの場所なのですが、喉を潤すようなお店がないので、この辺にあればいいのに、って思っていたんです。

 連棟式の長屋の真ん中の建物なので、立地にしては価格が安く、投資の面で考えてもいい物件だったので、購入して、リフォームすることにしました

──飲食業の経験もないのに、お店の物件を購入するというのは、ずいぶん思い切りましたね。お店のインスタグラムを拝見すると、元の建物の基礎の部分以外はほぼ解体し、今のお店に生まれ変わるまでの過程が紹介されています。どのようにして、店舗を作られたのでしょうか。

「この物件を買って、友達の設計士に相談して改装内容を考えたあと、施工会社に見積もりをとったら、ギョッとするほど高額だったんです。

 そんなとき、近くの商店街で、1人でリフォーム工事をしている大工さんを見かけました。声をかけてみたら、たまたま私が知っている俳優事務所の役者さんだったんです。リフォームにいくらかかるかを聞いてみたら、断然安かったので、拝み倒して、引き受けていただきました

解体中の様子(OURDAYs Brewery & Club houseのインスタグラムより)

──西口さんも一緒に作業されたようですね。

はい。かなり大変でした。たとえば、天井を壊したら、黒いものが落ちてきたのですが、それはネズミのフンでした。壁をあけたら、ゴキブリの卵が貼りついていたり……。

 照明や材料はすべて自分で発注しました。窓やドアなどをいいタイミングで発注しないと、次の工事が進まないので、スケジュール管理が難しかったです。

 当初の予定よりも2か月オーバーし、予算も少しオーバーしましたが、どうにか許容範囲内におさめました」