はじめに
やけに、静かな夜だった。その静けさは、ずっと鳴っていた轟音が止んだフェスの終演のような喪失感を含んでいた。そんな夜に、クリオネが透明な翼足で水をかくほどの微かな音が鳴った。何かがこの後に起こるのではないか、という期待感の混ざった不思議な「気配」を纏った音だった。
今年も憎き夏が来て久しい。メンヘラ女のような執拗さをもったネチネチとした暑さと、熱血体育教師のような押しつけがましい開放感を抱えた夏は、年中室内で過ごす僕にすらジトジトと牙を剥いてきていた。しかし、昨日まで続いていた大雨のおかげか、メンヘラ女と熱血体育教師は綺麗に流され、もうその夏が押し返してくる様子はない。
なるほど、静けさの中に感じた気配は秋の気配だった。
そんな季節に、僕はコラムの連載をさせていただくことになった。
せっかくなので、初めに自己紹介をしておこう。矢崎チャル蔵という名前でカルチャー系YouTubeチャンネルの出演をしたり、ラーメンYouTuber「SUSURU TV.」を立ち上げてその編集と運営を行ったりしている。嫌いな季節は夏。嫌いなみかんは夏みかん。嫌いな文字は「な」と「つ」だ。
何故そこまでして夏を嫌うのだ。不自然なほど綺麗な歯を見せて、自然をこよなく愛する肌の焼けた奴は僕にそう問いかけるだろう。そして、夏の良さを頼んでもいないのに熱弁しだす。
「イベントがたくさんあってワクワクするじゃん」「景色が生き生きとしていてキラキラしてるじゃん」──だから嫌いなのだ。イベント感、キラキラ感、それが苦手なのだ。
キラキラと出会った春
時は大学1年生の頃に遡る。僕の入学した大学では必修科目として週に4回、第二外国語のクラスがあった。おそらく第一外国語としての位置づけであろう英語の授業は週に1コマの中、第二外国語が週に4回。第二という言葉の意味を辞書で引きながら、僕は数ある外国語の中からフランス語を選択した。
自由に授業の選択ができる大学生活で週に4回の必修科目となると、そのフランス語の授業がいわゆる高校のクラスのようなものと化していた。半ば強制的に集められたその30人程度の集団授業は、知り合いのいない大学1年生たちにとっては半ば強制的に仲良くなるきっかけに繋げなければいけなかった。
「僕がフランス語を選択したのはフランス語が一番モテそうだし、もしフランス人と付き合えたらカッコいいと思ったからです」
最初の授業で、何故フランス語を選択したのかを一人ひとり発表させられていく中で、僕はそう答えた。中高男子校だった僕は、オブラートという歯に着せる衣や、体裁という表現の包装の仕方を知らなかったので、軽く発した僕の言葉でサイトの中に突如現れる卑猥なバナー広告を見た時のような、変な空気になるクラスに驚いた。中身は同じなのに包装紙がないだけでこんなに非常識な奴と認定されてしまうのか、と。
そんな中「おもろいやん、淳也」と声をかけてきてくれた男は、後にクラスの主導権を握ることになる小林(仮名)だ。二つの衝撃に僕は思わず困惑する。まず、クラスで浮いたはずの僕に声をかけてくれたことに対して。そして、彼が初対面なのに馴れ馴れしく下の名前で呼んできたことに対してだ。
「ありがとう。しかし急に下の名前で呼ぶって、きっと君は映画館の肘掛けを何も考えずに左右両方使えてしまうタイプの人間なんだろうね」
……とはもちろん言わない。体裁という包装の方法を学んだばかり。これでも勉強はできる方なのだ。
「ありがとう。さっき自己紹介ですべり散らかしちゃって、焦ったよぉ」。僕は自虐というリボンをつけて結局そう返した。
「とりあえず昼飯一緒に食おうや。淳也の他にも、もう何人か誘ってんねん」
強引な昼飯の誘い方、彼はきっと映画館で静かなシーンでも気にせずポップコーンを食べてしまえる人なのだろう。しかし、小林は所謂「いい奴」には違いない。たとえ彼が僕の下の名前である「淳也」を本来あるべき「文化」のイントネーションではなく、「春画」のイントネーションで言ってきているとしても、彼に悪気はないのだ。キラキラしすぎてるだけなのだ。
こうして僕は「いい奴」の周りに集まった「いい奴」らと一緒にフランス語の授業終わりの昼飯を食べることが多くなった。ただ、この人たちと一緒に映画を見に行くことだけは避けよう。そう誓った。
グッバイ、サマー
大学という大きな舞台を一人で歩き回る度胸のない僕は、男子校で培ったものを捨て、オブラートの着せ方、授業中に服を脱がないこと、みんなが笑っていたら笑うこと等を習得し、順調にキラキラした「いい奴」に染まっていった。
そんな大学1年初めての夏。小林を中心にクラスでBBQが企画された。暑い中、わざわざ外で熱い飯を食べる行為に意味を見出すのが大変難しかった僕は、ついにその誘いを断ってしまった。そして、後々SNSに上がった彼らの写真に思わず目を閉じた。
──あまりにキラキラしすぎている。加工のせいで青すぎる空に照らされたクラスの男女が写ったその写真。そこには、日焼け止めと香水の混ざった暑苦しい匂いが写真からでも漂ってきそうなほど肌を露出したクラスの女子たち、その肩に自然と手を回す小林たちの気味が悪いほど屈託のない笑顔が夏々と輝いていた。クーラーをつけようと伸ばした腕に止まった蚊を潰して、僕は無表情でその投稿にいいねを押した。
そして次第に僕はフランス語の授業をサボるようになった。最終的には後期で全てのフランス語の単位を落とし、大学1年の早さで留年が確定した。ボルトもびっくりのスピード留年だ。あまりに早すぎる留年確定が自分でもおかしくて、僕は「いや〜、留年決まっちゃったよぉ」と小林たちにおどけてみせたが、彼らは苦笑いしか浮かべてくれなかった。「おもろいやん、淳也」と言ってくれた小林のキラキラに「留年」という単語はあまりに暗いらしい。キラキラした奴らは確かに「いい奴」だったが、僕とは光度の差がありすぎることを知った。
『グッバイ、サマー』という映画は、弱気で貧弱な主人公の少年が、クラスで浮いた存在の転校生と共に、自作の走る家のような車でひと夏の冒険に出かけるという映画だ。決して彼ら自身はキラキラしているわけではない。しかし、彼らの中ではその夏はキラキラに満ちているのだ。僕もあの時、浮いたまま誰か1人とでも世界を共有できていれば、夏を嫌いにならなかったかもしれない。
ちなみにフランスの映画だが、彼らのフランス語を僕は字幕なしでは一言も理解できなかった。
(文/矢崎、編集/福アニー)
【Profile】
●矢崎
LA生まれ東京育ち。早稲田大学文学部を中退後、SUSURUと共にラーメンYouTubeチャンネル「SUSURU TV.」を立ちあげる。その編集と運営を担当し、現在は株式会社SUSURU LAB.の代表取締役。カルチャー系YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」の矢崎としても活動中。
【今回紹介した映画】
●『グッバイ、サマー』(仏:Microbe et Gasoil、英:Microbe & Gasoline)
2015年制作。フランス映画。脚本・監督を務めたミシェル・ゴンドリーの自伝的作品。