関西の若手漫才師が漫才で勝負するコンクール『ytvお笑い漫才新人賞』(読売テレビ系。以下「ytv」)と、全国の若手芸人を対象とし、漫才やコントなどの面白さを競う『ABCお笑いグランプリ』(朝日放送テレビ系。以下「ABC」)。それぞれの歴代優勝者の顔ぶれを見ると、ytvは『銀シャリ』(2013年)、ABCは『かまいたち』('12年)、そして'17年にABC、'18年にytvを制した『霜降り明星』と、そうそうたる顔ぶれです。
'22年、あるコンビが同じ年にW優勝を成し遂げ、漫才の歴史を変えました。その名も『カベポスター』。ボケとネタ作り担当の永見大吾さんと、ツッコミ担当の浜田順平さんからなる、芸歴9年目のコンビです。漫才頂上決戦とも言われる『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)にも一昨年、昨年と準決勝に進出しており、勢いを増している彼らは、なぜ漫才師を目指したのでしょうか。話を聞くと、意外な過去がありました──。
お笑いで生活するためにも、賞レースでの優勝は大切だった
──ytvとABCのW優勝、おめでとうございます! 今は全国で関西の賞レースが配信されるので、私も東京で見ていました。
永見さん(以下、永見):ありがとうございます! どちらも何度か決勝まで進んでは悔しい思いをしてきた賞で、ytvで優勝して、やっと肩書きがもらえました。肩書きがあるかないかで、お笑い芸人の人生って変わるんです。
浜田さん(以下、浜田):ytvで優勝したときは、“これで4、5年はお笑いでごはんが食べられるぞ”と安心しました。
ABCは'19年、'21年と準優勝だったんですよ。そのときの悔しさを晴らしたくて。優勝の喜びを最初に伝えたいって思った相手も、ytvは親やったけど、ABCは昨年、決勝で僕らに勝った『オズワルド』さんと(笑)、応援してくださったファンのみなさんでしたね。
永見:僕の場合、ytvで優勝したとき、すごくはしゃいで、視聴者のみなさんからも“いつもクールな永見さんとは思えない”って言われるくらい、うれしかった。でも、ABCもいちばん最初に出た賞レースだったし、こちらでも優勝したいって思ってました。
人を笑わせるのが大好きな永見さん×正義感の強かった浜田さん
──おふたりがW優勝を成し遂げるまでの道のりを聞きたいのですが、子どものころは、どんな性格だったのですか?
永見:活発で、カメラを向けられたら変顔をするような、人を笑かす気持ち満々の子だったみたいです。姉と妹がいて、自分だけ男だったんで、成長するとひとりでゲームをするようになりました。
浜田:僕は午前3時25分生まれです。3180グラムだったらしいです。
永見:ああ、生まれたときの。
浜田:そうそう。1週間前に甥っ子が生後8か月になって、そんな話してん。
──あの、浜田さん、できればもうちょっと後のことも……(笑)。
浜田:幼少期は悪さをしている子を注意したり、保育園を抜け出そうとしている赤ちゃんを先生に報告したりするような、正義感の強い子どもだったらしいです。弟と妹がいて、今はふたりが安定した仕事をしてるおかげで自分は好きなことをできているから、感謝してますね。
──おふたりとも妹さんがいるのは、先輩で同じ『よしもと漫才劇場』(以下、マンゲキ)所属(※)のコンビ『マユリカ』さんと一緒ですね。
永見:マユリカさんのコンビ名の由来が、妹の名前であるマユとユリカやから、僕らの妹はカベとポスター。
──(笑)。それ、舞台でマユリカさんの次にカベポスターさんが漫才をするときに聞きました! とっさに思いつく永見さんのワードセンス、すごいですね。
永見:僕というよりも、親が名前をつけるときのワードセンスがすごいですよね。
浜田:いや、それ嘘やん。お前の妹の名前、俺、知らへんし。
《※ よしもと漫才劇場……カベポスターも所属する、お笑い界の未来を担う若手芸人のための劇場で、毎年スターが生まれている。『なんばグランド花月』に面したYES・NAMBAビル5階にあり、同ビルの地下1階には『NMB48劇場』もある。芸人になるためにお笑いの訓練を受ける『NSC吉本総合芸能学院』(以下、NSC)の大阪校を卒業した芸人の多くが、劇場メンバーになるためにお笑いライブでバトルを繰り広げるが、実際に所属するのは非常に狭き門で、別の事務所で芸人になる人や、ほかの仕事に就く人も多い。略称はマンゲキ》
──浜田さんは35歳で永見さんは32歳('22年10月時点)。年齢は違いますが、大阪NSCでは同期(36期)なんですね。
永見:大学を1年留年して卒業したあと、すぐNSCに入ったんです。同期には『8.6秒バズーカー』とか『ダブルヒガシ』、女性コンビの『オダウエダ』がいます。
浜田:僕は大学卒業後に1年ほど、自動車の会社で働いていて、NSCに入ったのは『キングオブコント』(TBS系)で『バイきんぐ』さんが優勝した'12年でした。ツッコミの言葉のセンスとか、ボケに対してツッコんだあとにちゃんと笑いがくるような彼らのコントが好きで、そんな感じのネタをよく書いてました。漫才でツッコミ担当になったのも、その影響があります。